仕事⑤ 〜三方よしの精神〜

2018年2月中旬、入社4年目を終えようとしている頃、正式に台湾行きが決まった。会社は2015年の構造改革からまもなく3期目を終えようとしていた。そして目標よりも前倒しで会社は回復基調を見せていた。残すは再上場である。思い返せば入社してからここまでずっとネガテイブな状況だった。だが利益水準は確かに戻ってきていたのである。

これを可能にしたのはやはり総力戦だ。すべての部署で徹底して経費CTLのうえ社員1人1人徹底的に無駄を省く。そしてよい商品を作り1つでも多く買って頂く。小売業に限らずビジネスにおける利益の最大化はこれに尽きる。この1ヶ月、新型ウイルスの蔓延により小売業の厳しい現状を目の当たりにする。

某アパレル企業3社の方針は「倒産」「700店舗の閉店」「米ファンド指示による社長交代(実質的にはクビ) かつ150店舗の閉鎖」各社に非常に厳しい状況が伺える。でもこれらすべて会社(僕)が経験してきたことだ。要は先にやったか、やらずにここまできたかの違いだけである。これから小売に限らず多くの会社が同じような危機的状況に瀕するだろう。多様性に対応できない組織は社会情勢や経年変化で淘汰される。これは世の常なのだと知っている。

日本は戦後、ものづくりを長所とし、メーカーが一時代を築いてきた。メーカーを贔屓目に見るわけではないが、ものを作ることは0⇒1の発想で価値が高いと感じる。そして在庫のリスクも背負う。それでも世のためにものを生み出すのである。だが実際はそうしたメーカーが先に潰れて、それを取り巻く二次産業が安定的に収益を得ている実情がある。

僕が3年目の時、雑貨子会社の展示会があった。この雑貨会社の北山社長(仮名)は少し異色だ。若い頃から社長をやっており60手前になった現在も現役で経営者だ。紆余曲折あってこの会社に入ってくることになったが、経営者としての長年のキャリアを有する北山さんは役員からも一目置かれている存在だった。ある人に聞くと経営哲学をかなり持っており、お喋り好きで社員を家族のように大事にする人だと。でも見た目は無口そうな細身の紳士老人。とても興味が湧いた僕はこの展示会でコンタクトを図った。

通常、目上の方にお伺い立てるのはあまりよくないが、この頃の僕は社外で偉い方にお伺いを立てることも多くその感覚が麻痺していた。それとこの人にはいい意味であまりお偉いさんのようなオーラはなかった。コーヒー休憩の隙を見て話しかけた。「はじめまして」「はい、どうも。それであなたは何年目なの?」「3年目です。」「そう。あなた、この会社はどう思いますか?」

どうやら北山さんの2人称は「あなた」らしい。そして物腰柔らかそうな喋り方とは相反した素早いレスポンス。「規模も大きく先輩方も経験豊富なので勉強になることが多いです。」「そう。でもあまりこの会社っぽい人になったら駄目ですよ。この会社っぽさって何ですか?」「・・真面目でお堅いところですか」僕はなんだか主導権を握られた。そしてあれよあれよとペースに引き込まれていた。

「私は外部から来たからよく分かるんですよ。この会社っぽい人だなぁとか。この会社のやり方だなぁとか。それはあなたの色じゃなくて会社の色なんですよ。そういう人になったらよくない!」それからしばらく語られたが、言ってることは間違っていない。かといって反発したアウトローの感じでもない。

そして続けざまに質問が来た。「あなた、この仕事(営業)は好きですか?」僕はとっさに「はい」と答えた。「では近江商人の三方良しは知ってますか?」僕は当時それを知らなかった。北山さんはコーヒーを置き立ち上がり「私が大事にしてる考えです。あなたの仕事に役に立ちますよ。」と時計を見てまた展示会場へと戻っていった。最後まで不思議な時間だった。

でもこれがはじめて時間を支配される感覚だった。相手のペースに飲み込まれ柔道で言えばもうずっと奥襟を掴まれているような感覚。社内ではじめてそんな感覚を味わった。そこからはもう必死に三方良しについて調べる。簡単に言うと近江商人の経営思想で「売り手」「買い手」「世間」の三方がすべてよく回るような商売をせよ、ということだった。今考えれば特別なことではない。だが当時の僕には体験も含めて印象深かった。

自分たちの利益ばかり考えてはいけない。それが北山さんの言う「この会社っぽさ」だったのかもしれない。実はそれから北山さんとは一度も会えていない。きっと僕のことも覚えていない。

だが「三方良し」は確かに僕の記憶に残った。この言葉の定義に照らして言うと先述の非メーカーの会社は果たして買い手、世のために、あるのだろうか。どんな業種も今は利益追求、で三方良しを忘れてしまう。もちろんビジネスなので結果が大事だ。でも結果よりも魂に正直でいたいと思う。人のために、世間のために、なるのかだ。もしそうじゃないものを僕は無理に売りたくはない。それが会社の色に染まるのではなく、自分の色を出すことだと解釈した。

いつかまた帰国したら北山さんに会うだろう。その時、僕は少しは取っ組み合えるのだろうか。期待と不安とが交じり合う中、空港で独特な異国のにおいを感じながら台北に到着した。

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