大平観音堂 円空仏

 円空さんにとって、ここ伊吹山は特別な場所だったようで、北海道洞爺湖で、造られた観音様に書かれた、自分の僧侶としての肩書に、伊吹山の平等岩で修行をした円空、と云うように記されているそうです。

 この仏様は、元は、伊吹山の中腹にあった、大平寺と云う集落に祀られていたそうです。大平寺は、現在、この仏様がいらっしゃる春照(すいじょう)から400メートル以上高い、伊吹山の3合目あたりにあるそうです。円空さんもそこに住んで伊吹山の頂上附近の岩屋まで登り、修行をされていたそうです。しかし、あまりにも山深く、雪が多かったので、昭和38年に15軒の集落がまとまってここ春照に移ったそうで、その時、この十一面観音様も一緒に移られたそうです。

 

十一面観音様は、お寺と云うより、集会所といった感じの建物の中で、ガラスケースに入っておられました。説明をして下さったボランティアの方が、ケースの扉を開けて、回転台に乗られた仏様を回しながら、全身を見せて下さいました。

 この仏様は、背面に和歌や漢詩等とともに、造られた時の年月日や詳しい製作日数が記されています。それによると、1日目に桜の木を切り、2日目に加持祈祷をし、3日目に彫って、4日目に開眼供養をしています。

 当時58歳の円空さんが、この180センチもある仏様を、堅いさくらの木からたった1日で刻まれたことを知り、驚きました。
 生涯で12万体の仏さんを刻んだと言われている円空さんですが、その驚異的な製作の速さが具体的に分かるのは、この仏様だけだそうです。

 この十一面観音様は、見る角度によって、印象がかなり違ってきます。正面からですと、ただ穏やかに微笑んでおられるように見えますが、右斜めから見ると、少し悲しげな感じがします。
 円空さんは、7歳の時、洪水で母親を亡くされています。この少し悲しげに微笑んでいる仏様を刻まれた時、円空さんの頭の中に、母親のことがあったのかなぁと、じっとこの仏様を見ていてそう思いました。

 円空さんの故郷岐阜県や、愛知県でも、円空仏を拝観しましたが、今までに見た円空仏の中でも大きさもさることながら、この十一面観音様は、特別、印象に残る仏様でした。そして、改めて円空仏の素晴らしさを感じました。その理由は、円空さんにとって、伊吹山が、特別の場所だったからかも知れません。

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 拝観のお世話をして下さるボランティアの方の調整が必要なようですので、1週間前までに、窓口の伊吹山文化資料館へお電話されるのが宜しいかと思います。(拝観時間は毎月第1第3日曜日午後1時から3時半です。)