自己肯定感についてのエトセトラ

【1】自己肯定感は上がったり下がったり?

 最近、学校で働いていると自己肯定感が上がるとか下がるとか書かれている文章をよく読むのですが、

自己肯定感は上がったりたり下がったりするものではなく、有るか、無いかなのでは?と思ってしまいます。

そもそも自己肯定感などという言葉を使わなくても、自分が好きか、嫌いかでも良いのではないかなとも思います。

以前は、自分にOKを出すという表現がよく使われていました。

これですとOKを出すか出さないか2つに1つなので、わかり易い気がします。
 
 
【2】自己肯定感は感覚

ともあれ自己肯定感は感覚の一つです。

従って何らかの刺激を感じて起こります。

その刺激の大部分は、周りの誰かが自分を褒めたり、非難あるいは批判したりするのを見たり聞いたりしたことだと思います。

多分誰かから褒められれば自己肯定感を感じ、批判されれば自己否定感を感じる気がします。

でも、褒められても肯定感を感じなかったり、また、どんなにたくさん褒められても、批判された後には自己肯定感は感じにくかったりします。

また、誰かと自分を比べた時も、自分の中で自己肯定感や否定感を感じます。

どっちにしてもただの感覚ですので実体はありません。

気にしないでいられれば(或いは関わらなければ)いつのまにか消えていくものです。

でもそうと分かっていても、気にしないではいられないので厄介です。


【3】自己肯定感を育む

 どうしたら自己肯定感を育むことが出来るのかという話をよく聞きます。

学校では、単純にその人がしたことを褒めることで自己肯定感を育もうとしています。

子どもを褒めるのは私も大好きで、毎日ことあるごとに、子どもたちを褒めています。

でもそれは私の場合、自己肯定感を育む為ではありません。

子どもたちに楽しく学んでほしいからです。

自己肯定感を育むなら何かその子がしたことを褒めるのではなくて、何もしていないときその子の存在そのものにOKを出すことが大切なのではないかという気がします。

ぎゅーと両手で抱きしめたり、

君に会えて嬉しいと、あなたのことが大好きだと、繰り返し繰り返し、はっきり伝えるのが良いような気がします。

 
それが欠けてしまうと、学校で褒められ慣れていればいるほど、社会に出て褒められなくなると、あったはずの自己肯定感がたちまち揺らいでしまうと思います。


【4】自己肯定感を育む先にあること

自己肯定感を育むのは、褒められても自惚れず、批判されても大きく落ち込まずに、すっとして、そういうものから距離をとって生きられるようになるためかなと思います。

良くも悪くも自分は自分。人間なので当然、良いところばかりじゃない、至らないところ、嫌なところがたくさんある。

そういうことを受け入れたり、理解するためには、まず自分を肯定しているという、下地のようなものが必要な気がします。

まずは落ち着いてないと、他からの評価が気になって、その先には意識が向きにくいように思えるのです。

自分がしっかり立つための足場を作る感じでしょうか。


でも、最終的には、自分を肯定するとかしないとか問われても、肯定もしないし、否定もしない、

自分なんて好きでも嫌いでもない、そんなことどうでもいい。

そんな風になるのがいいのかもしれません。


※自己肯定感についてもやもやしたものがたまったので、書いてみました。

勝手に考えたことなので間違いが沢山あると思います。あしからず。