コロナの中、天津スタジオに移動する

 毎年、半分近くを中国で過ごしていた僕が、コロナが始まってからずっと日本に長居している。それどころか自宅と事務所の車での移動の日々になった。その間、たしかにボストンや上海や泉州や国内となんどもズーム会議をしている。国内でも中国でもズーム講演会は問題がない。スタッフたちはリモートワークで時々必要なときだけオフィスにくる。そんな日々を過ごしながら閃いたのだ。そうだ、天津に行こう。そこから中国をいろいろ仕事してまわろうと考えたのである。日本を拠点にしてこれまで以上に国際的に仕事しているのだから逆に天津を拠点にインターネットで仕事できるはずだ。

 ビザが簡単ではないのだが、幸い会社が中国にある僕は取りやすい。それでも政治力で招待状を中国の地方政府に出させてもいる。抗体検査だとかPCR検査をしたり、ワクチン接種証明書を入手したりして、なんとか今、上海のヒルトンホテルに隔離されている。コロナを畏れていた日本での日々と真逆に、こんどは僕が畏れられて隔離されているのだから面白い。だから毎日料理をはこぶ人、検温するための担当者は医療関係者のように完全防備なのだが、僕はもう何日もマスクさえもしないでいる。

 ここからいろいろな仕事をしている。このホテルはWi-Fi環境は優れてはいないから途切れたりするのだが、なんとか会議できる。さすが、講演をするには心配がある。天津に移動してからにしている。深センのデザイン会議や大連での複数の大学のための講演会やソウルの大学のためのレクチャーは天津からすることにしている。寧波の大学のための講演は断った。ちょっとは休憩したいからだ。

 ここで一番参るのは「変わらないこと」だ。何も事件が起こらない。何も起こらないということがどんなに人間の生命力にマイナスかを痛切に知ることになった。日本での季節の変化やその季節に合わせて料理を味わい、新しい時代の空気をファッションや毎日のニュースで感じることがどんなに生命を刺激してくれていたかを思い知らされている。新製品は新鮮でなくてはならないのだ。毎日、部屋を端から端へ100回歩いている。これでやっと3000歩〜4000歩である。風景が変わることがない室内散歩はほとんど労働になる。風景が変わるだけで生命が刺激されていたのだ。中国は今、国慶節の真っ最中である。早く、あの連中と混じりたい。

物学研究会主宰 黒川雅之

*年末までの3ヶ月、天津を拠点で仕事するつもりでいる。12月24日に帰国予定。それまで何も変わらなくここから仕事をする。北京ダックや美味しい中華料理は堪能できるが美味しい鮨が食べられないのが辛い。

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