見出し画像

モノが生む感動を再考しませんか?

長屋明浩さん(ヤマハ発動機執行役員 クリエイティブ本部長)寄稿
「クロストークを終えて」

 先日、9月24日に、物学研究会のクロストークイベントに登壇させて頂きました。お題は、「モノが生む感動を再考しませんか?」でしたが、自身がやってきた仕事を通じて、そもそも何をやろうとしてきたのか?そしてこれから何を求め表現していくのか? について自問自答の機会を頂き、私も大変勉強になりました。

 傾聴が大切、ひとの話を聴く、ということの価値が重要な時代と言われております。目立ちたがりで、パフォーマンス大好きで、お喋りな私故、努めて傾聴あるべきと、マネージャーになった頃から強く意識してきました。しかしながら同時に最近感じることは、ひとの話を聴くのには結局は自分の視点が必要だということでした。読書感想文を書けと言われて原稿用紙のマス目を見て途方に暮れた子供の頃。本を読んでも結局視点がないと書き写しの羅列になってしまいます。学びがあるのは結局、ああは言ってても自分はこう思うけどなー、とか思いながら聴かないと‥ということなのですね。ふんふん、なるほどそれも然り、と呑み込むのは良いのですが、つっかえるものがないと結局学びにならない。いつもの登壇は「やったことを話す」わけですが、今回は「考えてることを話す」だったわけで、これは自分にとってその、つっかかる視点を整理する良い学びの機会だった訳です。  

今回のパンチラインは、「一を聞いて十を知りまた戻るその一はモノデザイン」というオチなんですけども、時代はモノからコトに「進化」したわけではなく、モノは予めその「イミ」を内包している為、その機能としてコトが表現されるだけであり、機能進化の過程に過ぎなく、本質ではないということだったのですが、この辺りは黒川さんとのトークを経てさらに顕在化して頂きました。ひとの話のポイントは、それが自身と同軸であっても、異軸であっても、結局違う見解がある、ということに気づくかどうかなんですね。つまり同意されていても完全一致ではない。一方、反対されても否定されている訳ではない。そういう度合と、選択肢の多様性、その上に現世が、生き様が、文化が、ひとが成り立っている。そういうことを改めて私自身が気付かされる機会ともなりました。

「学ぶより教えよ」とよく言われます。それは、教えるためには学ばないとそもそも出来ない、ということがあるのと、教えることにより返しが来て、学ぶことになるわけで。結局、知ってる様で知らない、知らないから偉そうなことが言える、という恥をかきながら生きていくことを前提としないとダメだと。粋とか美はまさしくそういう均衡の上に乗っている、と思った次第。


●メールマガジン登録
「おのまとぺ」をメールで受信したい方はこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?