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われわれ編集室 オープン

がいよう〜

私は去年、「野生のネットワーク」ということを考えて、色んな場面で多様な人々がそれぞれもつ生活の中のことばを引き出し、記していく、というようなことをしてきました。活動を続ける中で、自分の中にも見える形で変化があったので、「野生のネットワーク」を訂正し、「われわれ編集室」という継続した活動を、見える形でも見えない形でも続けていこうと思っています。集団ばくとしての活動というよりは、山田淳也が思いつきで始めている活動です。

感じてる問題意識

私は最近、信じるに値することばが不足している、と感じます。政府のことばも信頼できず、SNS上のことばも信じられない。そもそも言葉の裏側に人間がいるかどうかすらよくわからない(AIかも!?)。だから震災に対してもなんにも動き出せなかったし、政治的なことをいうのは今でも怖い。でも、この状況ってよくよく考えたらやばくないかあ!?と思い立ちました。そうやって周りに決められた言説に閉じたままキョロキョロ周り見て前ならえしてたから今のこの激ヤバ社会状況になってんじゃ?と感じました。この一番の原因は、やっぱり自分の周囲の言語世界から逸脱してしまうことの怖さ、「空気読めない」ことへの怖さじゃないかと思うわけです。逸脱するのは僕も怖いですが、実は以外に簡単なことでもあって、それは自分の感じたことを大事にする、ということでもあります。
ニュースでみたからそれが真実?
みんながすごいという人が言ったからそれが真実?
なわけないだろー!っていうことは、今社会をみてりゃ火を見るより明らかです。
ちゃんと自分が信じられることばって、ちゃんと自分が信じられる人のことばかどうかだけでも判断できるかと思います。信じられる人って例えば自分の友達や家族や仲間といえる人たちの中にいますよね。もちろん親しくなくてもこの人は信じてもいいかもなと思える人はいると思いますが、そういう人を見つけること、そして自分自身の感覚という、一番信じるべきものをちゃんと信じて言葉を自分でも紡ぐことが大事と思います。

今、世界のバランスを保つために必要なことばが全然足りてないように思います。それが地震やら事故やらで明るみに出ますが、みなさんきれいにスルーされる。
例えば、僕は日々を豊岡市という小さな街で過ごしていますが、この地震で「能登半島の限界集落のような小さな町の人々は集団で移住すべきだ」というような言説が現れました。被災者の感情や、それ以外の日本の地方に住む人々の尊厳を軽視した言説で、これに賛同する人々の地方差別も酷いものでした。しかし、これは何も突然現れたものではなく、潜在的にこのような問題を日本国民は抱えていたということでしょう。つまり、普段は明るみに出ずやり過ごされていたけど放っておくとまずい問題というものが、いくらでも私達の平穏に見える日常には転がっているということです。その無視された問題は、ある時爆発して人を危険に脅かし、人が人である尊厳をいとも簡単に奪い去ります。今のパレスチナをみていたら一目瞭然でしょう。

私の願いは、あらゆる人が人として尊厳ある生を実感しながら生きていく社会を作ることです。正義の話でもないし、政治的主張の話でもないです。あなたが誰かから愛されるように、私も誰かを思うままに愛し愛され、自由であること。なんにも変わった願いじゃないと思っています。

幸運なことに、私達の先人は幾度となくそのような社会を作るべく、トライしてきたようです。その痕跡はことばとなって、今の私達にも重要なヒントを与えてくれます。人文学とはそのための学問であるらしいですね!アカデミックなことはわかりませんが、この学問の目的は上記の私が望むこととかなりリンクしているらしいです。

やることの指針

私は、そうして蓄積されてきた今も使えることばを「読み」
間違って使われてしまったことばを「訂正」し(例えば民主主義、という日本では笑っちゃうことば)、
繋げたり引き剥がしたりしたほうが効力を持つことばを「編集」したり、
これまで読んできたものと今を生きる自分たちの実感とを織り交ぜて後世に残すために「書く」
このような仕事こそ、いま必要なのではないか、と思います。その上ではじめて、そうしたことばの効力を最大限に活かし、果てはことばを失わせるような豊かな時間としての上演があるはずです。
具体的には、

①新聞の発刊
②リサーチベースの作品制作活動(現在は豊岡市の文化のリサーチ、万博についてのリサーチ)
③ドラマトゥルクや創作のアドバイザー(作者になるわけではなく、その作品の批評的価値をアドバイスする立場)
④多様な立場の人々の発刊する自主印刷物の収集と編集
⑤活動の報告と意見交換&おしゃべり会

のようなことを計画しています。勝手気ままにやっていつの間にか変わっているかもしれません。また、もうすでにこのような活動をされている方々もいると思います。ぜひ、お話聞かせてください。色んな人がそれぞれのフィールドでこういう活動をしていくことに価値を感じています。ぜひ、ご参加ください。

最後に

人が人を求める限り、わたしたちはみな尊厳をもった生をおくることができるはずです。そう信じて、手を動かします。考え続けているだけではなく、手を動かしながら考える、ことをしようと思います。

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