実験作りワークショップ「自然化するコントロールの抜け道(仮)」

実験作りワークショップのお誘い

こんにちは。山田淳也といいます。「実験作りワークショップ」を開催するので、そのお誘いをします。5人ほど集まってくれたらいいな、と考えています。
「実験」とは、みんなで今感じるモヤモヤやこれを知りたい、という興味を持ち寄って、その違和感をみんなで体験できる仕組みを作ってみる集まりです。作品という単位ではなく、集まった人たちにとっての、世界をより見やすくするためのフレームを一緒に作ることが目的です。

山田がもやもやしていること。

僕達の「安心安全」や「公衆衛生」、「人権意識」「マトモな感覚」を人質にとって、ある一方の側を「否定」をする、そして否定された人はまた相手を否定し返す連鎖を作るやり方で管理を続ける構造が或る気がします。とにかくなにかの評価基準を作り、その問題を解決するにはこの方法しかない!と思わせることで、その方法を取らない人を否定する。否定された側も、逆の意見を持った人を否定し返します。僕たちはどちらかの評価基準にいつのまにか巻き込まれ、何が事実かを知るよりも、相手側を否定することの方を優先させてしまいます。そのうちに、また別の問題が起こり、別の基準が作られていきます。
そして無限に事実や真相から引き離されてしまい、無力感に囚われてしまいます。怒りの矛先が自由自在に変化することで、私達は何に立ち向かうべきか、何から脱出したいのかを煙に巻かれてしまって、まるで自然にこの状況に陥ってしまったかのような感覚を受けます。

例えば、僕はコロナ禍でマスクをみんながしなきゃいけないというムードになっている中で、マスクをしませんでした。なにか違和感を感じていたからです。僕は様々な方向から「否定」されました。そのうちに周囲の評価基準を内面化して、自己否定をするようになりました。急速に「公衆衛生」上の危機が報道され、誰が決めたかわからない評価基準が設定され、その基準を満たさなかった僕は「反マスク派」というレッテルを貼られて「否定」されました。
では、単純にマスクをした人は善で、しなかった僕は悪なのか?逆に、いわゆる「反マスク派」が言うように、した人が悪で、しなかった人が善なのか?コロナが終わってからも、無数にマスクを肯定する情報、逆に否定する情報がどちらも流され、無限に事実から遠ざかっていきます。

その間にも、日本が戦争しやすくなるような法律がどんどん勝手に決められていきます。そういう理由で僕はこの現象に、誰かしらの意図的な介入がある気がしています。

このコントロール手法のようなものを現代のバケモノとして、もう少し具体的な形を持って召喚できたら、同時に今を生き延びるための切実な命の声も召喚されるのではと感じています。
そのためのいくつかの実験をつくり、それを経たうえで一つの作品にしていきたいと考えています。その実験をつくるのを、誰かと一緒にできないか、と考えています。一人の視点では限界があるからです。多くの人とともに現代のバケモノの輪郭をはっきりさせていきたいです。



開催日

7月中に計5日ほど(詳しい日程は集まった人と相談して決める)



申し込み↓

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