見出し画像

今年も母は作り続けていた

あけましておめでとうございます。
今年も懸命に諸々をやり過ごす所存。

年末年始は、いつものように実家へ。
コロナの事もあり、少し迷ったけど、母が全力で準備をしているし、そもそも全員一緒に食卓につくことができない(テーブルのキャパ)ということもあり、いいかな・・ということで行ってきました。

私はもう慣れてしまっているのだけれど、わが母の作る料理の量は、ちょっと常軌を逸していることに気が付いた。
そもそも、先導師旅館(とある神社の神職かつ旅館経営)の娘であった人なので、人をもてなすことには命を懸けている節がある。

一週間前から仕込みを始めるというその料理について、きちんと記録と写真を撮っておかないといけないなという気がしている。
しかし、今回もうっかりしていて、iPhoneの写真しかないことが悔やまれる。

31日の夕飯のメニューを書き出してみる。

・鶏の唐揚げ
・カニ
・生野菜(ニンジン・胡瓜・エンダイブ)
・大根の漬物、白菜の漬物
・スモークサーモン
・ポテトフライとてんぷら(エビ・ごぼうとニンジンのかき揚げ)
・数の子
・酢飯
・煮豆
・そしてこの後蕎麦

画像1

画像2

追加で筑前煮が出てくる。(忘れていたらしい)

画像3

みんなが腹八分になったころに、
「アッ!もつ煮とハンバーグがあるんだった!」
と言い出す母。
明日にしよう、明日に。

母の献立メモをアップしてみる。
これは、作りながら改めて書いたものらしく、一枚目の構想メモには、ポテトサラダと春雨サラダも候補に挙がっていた。
なぜサラダが2品も候補に挙がるのだ。

そうか、明日はお雑煮じゃん。

画像4

そして明けて1月1日。
お雑煮から始まる。
来年は、もう少し綺麗な写真を撮ろうと思うんだ。

画像5

お散歩を兼ねて、実家近くの小さな神社にのんびり参拝。
誰にも会わない。

帰ってきたら、コーヒーとお手製のバナナケーキが出てきた。
そして母は、ポテトサラダを作っている。

画像6

お昼。
おにぎりともつ煮込みと出来立てのポテトサラダ。
このもつ煮が美味しくて、高校の時わざわざ食べにくる友人がいた。
葱と柚子の皮はどっさり派。

画像7

おなかがいっぱいになったところで、お土産の準備。
食べきれずに残ったおにぎりや煮物、唐揚げやポテト、たくさんの地場野菜とともに、煮豚、ハンバーグ、衣がついて揚げるだけになっているヒレカツなどが箱に詰められる。
小さな蓋つきバケツが出てきたので何かと思ったら、白菜の漬物の容器だった。

山のような荷物を積んで、帰宅。
江の島により、元旦の海を見てくる。
ドライブの合間に、おにぎりと唐揚げとポテトは、おやつとして子供たちのおなかの中へ。

帰宅。
夕飯は、蕎麦を茹で、持ち帰ったものや自分で作りおいておいたものを並べるだけだ。
夫が、冷凍のホタテフライを揚げるのを見て若干びっくりする。あんなに揚げ物食べたじゃん。

画像8

画像9

画像10

たった1日で、かなり肥えた気がする。
というか、胃が拡張されて、食べられる量が増えているような気がするのだ。
約二ヶ月、血を吐くような思いで続けてきたダイエットが全てパーである。

否。ダイエットがなんだというのだ。

母の、この愛情の塊のような料理を食べられることが、決して当たり前のことではないと、いくら鈍い私でもそろそろ気が付くべきである。

「まだまだしばらくは大丈夫よ。命のある限り作るわ。」

という母の言葉に、まだ安心しきっている私がいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?