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未来に繋ぐための対話/演劇と『法律』vol.8 演劇と『社会』

演劇と社会の繋がりを考える対談連載です。板垣恭一(賛同人代表)が、弁護士・藤田香織(当基金の法務担当)に、演劇と『法律』についていろいろ聞きました。

対談連載第8回  演劇と『社会』

いちおう最終回です。法律を通して、演劇が社会とどういう接点を持っているのかを探る対談でした。今回は全体の振り返りをしたいと思います。付録もあるのですごく長いです。すいません。でも読んでみて欲しいです。

今回のポイント
▼演劇と社会の接点について
▼この対談では何をしてきたのか
▼演劇とは何なのか

板垣=いやあ、思いつきで始めた企画だったのですけれど、8回目になります。最初は賛同人だけに向けたモノだったのですが、途中からnoteで一般公開した方がいいという声をいただきまして。

藤田=そうでしたね!! 賛同人の中で、きちんと考えた方が良いテーマについて、内部的に発表していた対談でしたが、舞台制作に関わる側が多い賛同人だけではなくて、この基金に興味を持って、寄付をしてくださった方とも一緒に考えたいテーマだなと思って、noteで公開したんですよね。

板垣=はい。単純に自分が知りたいことを藤田さんに聞くのが目的だったのですけれど、意外とみんな同じような興味を持っているんだなって。で、クラウドファンウンディング期間が終わるのにあたり、一度、対談を終了しようかと。

藤田=これから先ももしかしたら続くかもしれませんが、一応のまとめをして、私たちの立っている場所を確認したくて。

板垣=そこで我々はお互いに宿題を出しました。対談するにあたり、5つのテーマについてそれぞれ文書にして交換しておきましょうと。そうしたのは事前に互いの意見を理解しあってから語り合った方が、最終回としてキレイかなと思ったことと、藤田さんの思いが溢れて、対談であっても長文が爆裂することが予想されたからでして笑

藤田=実際に爆発しちゃいました。長文笑

板垣=爆笑。なが〜い文書を頂戴しました。それは別途公開させていただくとして、ここでは新たな気持ちで対談してみましょう。

【5つのテーマ】
1、この対談で我々は何をして来たか。
2、それはなぜだったのか。
3、演劇とは何なのか。
4、観客は何を観ているのか。
5、これからの演劇と観客はどうあるべきか。

板垣=まず「この対談で我々は何をして来たか」僕としては「演劇と社会の結びつきを考える」という場でした。

藤田=そうですね。私も同じことを考えていました。ただ、私は演劇業界の外にいるので、少し見え方が違うかもしれません。

板垣=と言いますと?

藤田=今まで私は演劇から本当にいろいろなものを受け取ってきたのですが、受け取るだけで、それを作る人たちが何を考えて、どうやって実際に私たちが見ている舞台を作り上げているかを想像することってなかったんです。でも、今回のこのコロナのことがあって、演劇の作り手も、私たちがいる社会とひとつながりのところにいるんだなと改めて感じました。

板垣=ええ。そうなっているかはともかく、そうありたいと僕は思ってます。

藤田=板垣さん、私と、どうやって演劇業界を経済的に助けるかという話をしたの覚えてらっしゃいますか? 私は、「ノブレスオブリージュ」じゃないですけれど、昔から、大企業とか大金持ちのパトロンが芸術振興のために寄付をして演劇業界を助けてきたから、今、私たち観客がその寄付者の代わりに経済的に演劇業界を支えるべきだと言ったんです。でも板垣さんはそれにきっぱり反対された。

板垣=え、そうでしたっけ? 全然覚えてない笑。

藤田=いろいろ話をする中の一つでだったのですが、板垣さんは、寄付で成り立つ構造ではなくて、きちんと演劇が演劇の公演を打つことで経済的に利益を得られるような仕組みが必要だとおっしゃったんです。これって、私にとってはすごく大きな発見で、現代社会の中での芸術の役割を、今まで私、甘く見てたかもしれないって思ったんです。あれだけ人の心を動かす演劇の興行が、寄付がないと経済的に回らないというのは不健全だなって。 

板垣=あ、言ったと思います、そういうこと。僕は18歳くらいから、もし演劇やるならそれで食べられるようになろうと思ってました。別に特別な考えがあったわけじゃなく、仕事に出来ないのならどうせ続けられないと思っていたので。

藤田=才能がある人たちに、その才能に見合うだけの報酬を支払って、その上で経済的に成り立つような仕組みがあり得るはずだと思うんです。芸術が「弱者」になるのはおかしいなと思って。今はまだ方策が見つからないし、どうやっても演劇の興行を打つのは経済的にしんどいというのはよくわかっているのですが、きちんとした制度設計ができたらなと思うようになりました。そして、それは、まさに演劇が社会とつながるということを前提としてるんだと思うんです 

板垣=そうなんですけれど、僕はもう少しシビアかもしれません。芸術は守られるべきという言説を聞くことがあるのですけれど、僕は芸術の中にも好まれるものとそうでないものがある、という考えかたをしているんです。好まれれば対価を受け取れる可能性は高く、そうでない場合は続けること自体が難しくなるのは仕方ないのではないかと。ルーブル美術館に行ったときしみじみ思ったんですけれど、ここにあるアートはほぼ全てクライアントがいたんだよなあって。モナリザは違うみたいですけれど。

藤田=資本主義の原則からいくと、好まれる芸術が経済的に成功し、好まれない芸術は淘汰されていくということはあるでしょうね。それでいいのかは考えなくてはならないかもしれません。とはいえ、今の、2000人もの人たちがチケット争奪戦を繰り広げ、やっとの思いで見られるような人気公演でも、その制作に関わる人たちに、十分な報酬が支払えていないというのは問題がありそうです。

板垣=ええ、演劇界自体がブラック体質かもしれないという疑いはあります。でも、それこそ資本主義が進みすぎた現代においてはどの産業もそうである、もしくはそうなって行くかもしれず、悩ましい問題です。

藤田=私は法律家なので、法律に過大な期待をしているのかもしれませんが、きちんと見合った報酬を受け取る、必要な権利をきちんと守る、行きすぎた資本主義から、守られない人を助けるというのは、法律、あるいは法律家が行うべき権利擁護です。演劇が社会とつながるということは、まさに、法律を守り、法律から守られる、健全な経済活動をして、私たちに与えてくれた感動に見合うだけの収益を上げるということなのではないかと思います。

板垣=そう考えてくださって嬉しいですね。でも、どうすれば実現できるのでしょう。

藤田=それが、まさに私たちが今まで対談してきたことなのではないかと思います。コンプライアンスを守り、社会での演劇の地位を守っていくこと。演劇に関わる人たちが権利を侵害されないように法律的な知識を持つこと。そして、演劇業界全体として、きちんとした労務環境を整えること。このようなことの積み重ねが、演劇と社会のつながりを作っていくのだと思います。そうやって演劇業界の社会的地位を守った上で初めて、経済的に自立する方法を模索することができるのではないかと思うんです。

板垣=おっしゃる通りですね。藤田さんの発言には二つの側面があると思います。まず、僕を含めて演劇界に関わるものたちに、あまりに世間知らずな人が多いということ。その時点で「社会性ないじゃん!」と僕は思ったのでこの対談をやりたくなりました。もう一つの側面は、それゆえに金銭的に人権的に他者を搾取してしまったり、されてしまう可能性があるということ。「搾取」って言葉を初めて使いましたけれど、藤田さんが心配していただいているのは後者の部分ですよね?

藤田=まさに、ちょっと強い言葉なので使うことを躊躇っていましたがその通りです。少し前に「やりがい搾取」という言葉がよく使われていましたが、演劇業界は、憧れの職業ですし、芸術家肌の方が多いので、役者になれたんだから、実演家になれたんだからと、不十分な報酬で働いてしまいがちです。同じことが、セクハラやパワハラにもいえますよね。狭い業界ですし、我慢すればいいと思ってしまう。でも、それを続けることは、業界全体としても不利益だと思うんです。使用者側の人たちと話をしていたって、皆さん、きちんと報酬を払いたいと死に物狂いで資金集めに奔走しているし、セクハラパワハラを無くしたいと心から思っている。なので、あと一歩、どこが問題なのか、何をしてはならなくて何を守らなくてはいけないのかという知識があれば、改善する部分もあると思うのです。もちろんそう簡単じゃないことも承知していますが。

板垣=僕たちが抱えた大きな問題なのだと思います。うっかり自分たちが「特別」だと考えちゃいがちなんじゃないかな。人間を扱うことだったり、基本的に生でしかお見せすることが出来ないなど、他の仕事にはない特徴があるので。でも、それは「特徴」であって、どのような仕事でも「特徴」があると考えられれば「特別」意識は消せるとは思うんですよね。

藤田=や、特別なんですよ。特別なんです!!だって、特別な作品を作り出している人たちですもん。他に二人といない特別さですよ。他の人にはない、特別なギフトを持っている人たちです。ただ、その特別は、才能が特別なのであって、だからといってかすみを食べて生きていけるわけでもないし、その人を守る、あるいはその人が守らなきゃいけない法律やルールを知らないと大変になってしまうのです。そういう知識をみんなでつけていこうよということなんだと思います。いきなり一人でお勉強しなさいって言ったって大変ですから、みんなで協力しながら、これからコツコツやっていけば良いと思うんです。

板垣=みんなで協力してコツコツは賛成です。でも、甘やかさないでください。やはり特別ではなく特徴として自分たちの足元を見た方がいいと思うのです。受け手が思って下さることはともかく、作り手の僕らは気をつけないと。ってこの話、以前にもしませんでしたっけ?

藤田=そこは、でもきちんと線引きをしなくちゃいけないところだと思います。表現方法は確かに特徴でいいと思います。ただ、表現に必要な才能は、きちんと才能として、自覚して欲しいんです。そこは、私たち観客が大事にしている、宝物なんです。なので、たとえその宝物を持ってる本人だからって、それを見くびられると悲しくなっちゃいます。「業界にいること」「演劇という手段を選択していること」は、特徴です。でも、「劇場の後ろの後ろまで届くのびやかな声を持っていること」「フランケンシュタインの、みんなが何度でも語りたい、最後の階段のシーンを作り出したこと」「天使みたいに美しい顔と長い脚を持っていること」これは、特別な才能で、「私、私たちにとって」大事な大事な宝物です。

板垣=うーん、ダメですね。ここだけはどうしても僕らの意見が合わない笑。思ってくださることはとても嬉しいですけれど。

藤田=何度でも前のめりにお伝えしたいことです!!素敵な舞台を観劇した日は、その舞台を作り出した人みんなに「生まれてきてくれてありがとうう!!」って何度も叫びたくなっちゃいます。板垣さんのお父様お母様に感謝です。

板垣=ありがとうございます笑。僕はともかく、特別な才能を持っているなと感じる方は確かにいらっしゃいますからね。ま、それは置いておいて、話を進めましょう。「演劇とは何なのか」ということについて。藤田さんはどうお考えになっていますか?

藤田=演劇とは………って難しいですね。演劇って観客にとっては個人的な体験だと思うんです。お友達と感想は言い合うものの、受け取るのは自分自身なので。以前のMirai CHANNELでも、劇場そのものが、現実から夢の世界にしばらくの間連れて行ってくれる。そうやって何度も救われたのだとお話ししました。

板垣=はい。

藤田=そうやって、辛い時には演劇は私を現実から守ってくれましたが、同時に、演劇は私を導いてくれる知識や知恵を与えてくれるものでもあります。多分、私は、恋愛感情だったり、嫉妬や自己犠牲だったり、大人になってから獲得する感情を、子どもの頃に劇場で初めて体験しているんだと思います。登場人物になりきって物語を体験して、自分が実際に体験したことのない経験をすることができます。そこで得た、感覚や感情、知識は、人生をこれから生きていく上で本当に必要な叡智なんだと思います。演劇は、辛い時には私を守ってくれて、エネルギーが必要な時に元気をくれて、生きて行く上で必要な他人への思いやりや想像力を与えてくれるものです。

板垣=じつは僕、藤田さんと何度も対談したおかげで気づいたことがあるんですよ。「演劇とは何か」ということなのですが、「演劇はなぜ必要なのか」ということで説明させていただきます。別途文書に起こしてあるのでここでは手短に。えー、発表します。「演劇は人間に対して、客観性と多様性という視点を気づかせる可能性の高い表現である!」 いろいろな立場の人がいるということをイヤでも気がつくということです。演劇ってホラ、お客様にとってはどうしても「三人称」の物語になるので。

藤田=発表、承りました笑。そうですね確かに!! さらにいうと、たとえば新聞で読んだ情報も三人称だけれど、新聞の登場人物に感情移入はしないですよね。演劇は三人称の物語を、それぞれに感情移入しながら、自分の物語として追体験できるというのが大きいような気がします。だから何度見ても面白いんですよね。若い頃はマリウスとコゼットにしか感情移入しなかったのに、だんだんバルジャンの気持ちもわかるようになってきた!とか、サンセット大通りの、若い男性に夢中になるノーマの身をねじりたくなるような焦りがわかってきたり………そうやっていろいろな人に演劇の中で触れて、普段生きていれば接触するはずのない人への理解が深まっていく気がします。

板垣=さらに言えば、ワンシーンしか出ない役というものが少ないじゃないですか。少ないというより、興行として有り得難い。ということはどんなに悪い役だったとしても、それなりにキャラクターの事情というものが描かれます。そういう部分は人の「善悪」ではなく「違い」について目が向くきっかけになりやすいと思うんですよ。作り手としては、キャラクターに必ずある一定の説得力を持たせないと、見てらんないと思われてしまうということなのですけれどね。

藤田=舞台ではカメラから見切れるということがないので、台詞がない役だって、舞台の端っこにいたって、その人の人生を覗くことができるんですよね。自分のことなんて誰も見てないな、自分は価値がないなって思って悲しい気持ちになることもあるじゃないですか?そんな時に、舞台の端っこで一生懸命生きている人(役)に、すごく勇気をもらいます。真ん中じゃなくてもいいし、主役じゃなくてもストーリーがあるって素敵ですよね。そして、世界ってそうなんだって認識できるのも、すごく大きな力なんだと思います。どうしても、主役、善人だけに目がむきがちですから。

板垣=生であることが演劇の良さだって言われてきたと思うんですけれど、どうして生だといいんだよ!って僕は思ってきました。そしてちゃんと考える時間ができた。演劇が出来ないという事態になって、僕としては初めて本気で、演劇ってどうして必要だって言えるのかな?と考えることになりました。この対談も僕にとってはその一環だったのかもしれません。ということで藤田さん、かなり長い回になっております。文末に付録として我々の宿題も掲載するつもりなので、そろそろ締めようかなと思っているのですが、何か言い残したことがあれば。

藤田=こうやって、全く違う業界の板垣さんと、同じ「演劇」というものをいろいろな視点から見て、話して、本当にたくさんの発見がありました。また、これも長い文章に書きましたが、舞台芸術を作る中の人達が、私たちが思っている以上に観客のことを考えてくださっていて、案外、観客と演劇って相思相愛なんだなと認識できたのも大きな発見でした。こうやっていったん立ち止まっていろいろな発見をして、また灯りのともった劇場で、演劇と観客が再会した時に、きっとまた、違う、素敵な気持ちが生まれるんだろうなと思います。このような機会をいただけて光栄でした。ありがとうございました! 

板垣=こちらこそ。藤田さんが弁護士であると同時に、ディープな演劇ファンだということがこの対談をさらに興味深いものにしてくれたと思います。僕個人としては観客の立場の方と、こんなに長く語り合ったことがなかったので新鮮かつ楽しかったです。さて、この対談、8/25のMiraiCHANNELの生放送特番でも実施します(20:30〜21:00)。同じテーマであらためて喋るという笑。この文書の発表と前後してしまう可能性もありますが、そちらの「生対談バージョン」も良かったらお楽しみください。藤田さん、ひとまずお疲れさまでした。どういう形かはともかく、またこういうのやりましょう!

藤田=ぜひ!! 本当にありがとうございました!

板垣=毎回、読んでくださった方も、ありがとうございました!


***************
付録:対談の総括

【5つのテーマ】
1、この対談で我々は何をして来たか。
2、それはなぜだったのか。
3、演劇とは何なのか。
4、観客は何を観ているのか。
5、これからの演劇と観客はどうあるべきか。

==========

板垣恭一の場合

1、この対談で我々は何をして来たか。

僕の場合、演劇と法律の接点を通して「演劇の社会性」について考えることが主眼でした。

2、それはなぜだったのか。

演劇は必要であると我々は簡単に口にしがちですが、なぜそう言えるのか。アートだから文化だから必要である、という言葉も同じで。なぜアートや文化が世の中に必要なのか、ちゃんと説明できる言葉を持ちたいと考えました。そのためにはまず、演劇と社会の結びつきについて考える必要がありました。

3、演劇とは何なのか。

結果として、演劇はなぜ必要なのかについて、ひとつの答を見つけました。まず、演劇は観客にとっては「三人称の物語」になるため、人間を客観的に見ることが必然になるということ。さらに、出演者が一場面にしか登場しないということが興行形態的に成立しづらいため、いかなるキャラクターであってもある程度のエピソードを持った形で描かれ、結果的に人間の様々な立場を俯瞰できる可能性が高いということ。それらを合わせた場合、たとえ悪人役であったとしても、そのキャラクターを丸ごと受け止めるしかないであろうということ。

つまり演劇は、人間に対する「客観性」と「多様性」に対する意識が培われる可能性の高い物語表現なのではないか。それは、人間同士がよりよく暮らすためには大切な意識ではないか、と思ったわけです。

4、観客は何を観ているのか。

じつは前段落「3」については藤田さんに教わった部分が大きいです。「観客は作り手が思う以上にその作品が好き」「レミゼに色々な立場の人がいると教わった」という話が僕に具体的な考察をもたらしてくれました。演劇は作り手のものという以上に受け手のものなのだということを、今まで以上に強く意識するきっかけになり感謝している次第です。

5、これからの演劇と観客はどうあるべきか。

今回考えたことをもとに、今まで演劇を観てくれている方にはもちろん、演劇をあまり観たことのない方たちにも「演劇って面白い」と感じてもらえるよう努力していきたいと思います。将来的に、様々な立場の人が劇場に集うことを願って。

                                     以上

==========

藤田香織の場合

1、この対談で我々は何をして来たか。

この対談は、基本的には板垣さんが今までに困ったこと、悩んだことを私に教えてくださり、それを一緒に解決できないか、なにか打開策がないかを考えていく対談でした。

対談の前、私は舞台芸術の観客で、作り手である板垣さんは別の次元、世界にいると感じていました。

舞台芸術の作成過程やその収支、「なかのひと」たちの生活費などについて考えるのは、芸術を値踏みするような気がして、それ自体がおこがましいことのように感じていました。

板垣さんとの話の中で、「なかのひと」は、魔法の力でこれだけの芸術を作り出しているのではなく、舞台を作るには人件費、著作権の許諾費用、会場費、機材費等の費用が掛り、これをチケット代で回収して利益を出しているという、当たり前のことに気づきました。

あんなに完成されていて、私たちを感動させる舞台は、我々が良く目にする飲食業やメーカーや不動産業と同じように、業としてなり立って我々に提供されており、社会の中で業として成立するために、法律に則り適切な活動を行なう必要があるということです。

同時に、板垣さんと話をする中で、その言葉の端々に文字通り全身全霊をかたむけて舞台を作っていく気概や決意、舞台に対する真摯な思いを感じました。雑談のなかでも、舞台での表現を本当に大事にしていることがわかりました。これは、この対談だけでなく、未来基金にかかわった全ての舞台関係者の皆さんから感じたことでした。

板垣さんは、経済や法律の枠組みの中で舞台芸術に何が出来るかをシビアに考えていて、芸術を、法律の枠のなかで、あるいは経済の枠の中で成立させるということが必ずしも芸術を冒涜することにはならないのだということを教えてくださいました。これは私にとってのおどろきでした。

この対談では、今まで「芸術」として、社会からある意味浮いているように捉えていた舞台の社会活動としての側面をみて、社会の中で舞台芸術が十分にその魅力を発揮できるように何をすべきか、どこに注意すべきかと言うことについて、様々なテーマで話をしてきたのだと思います。

2、それはなぜだったのか。

コロナによって公演が次々と中止になるまでは、我々観客にとって、舞台芸術はただただ「受け取るもの」でした。これだけSNSが発達して、舞台の制作過程やお稽古の内容等が役者さんたちによってつまびらかになっても、それは夢のような舞台をより楽しみに受け取るための綺麗なラッピングに過ぎませんでした。

ところが、コロナによって舞台の公演が全て中止になり、予定されていた公演が、お稽古途中であろうが公演の途中であろうが、止まりました。払い戻しを受けてチケットがお金に代わり、そこで初めてあれ?舞台の「なかのひと」たちは経済的にどうしているんだろうということに思い至ります。同時期に、SNSをはじめとしたメディアで、役者さんたちを中心に、このままでは生きていけない、生活が苦しいと言ったSOSが発信され始めました。「なかのひと」たちは、資金、生活費を必要としていて、舞台芸術の灯を消さないようにするには、お金が必要だということが現実のものとして見えてきたのです。

ほどなくして、『舞台芸術を未来に繋ぐ基金』が活動を開始しました。

寄付が集まりはじめて驚いたのは、この基金では大口の寄付ではなく、数千円から数万円の寄付が大勢を占めていたということです。現在の芸術を支えているのは社会的強者による「ノブレスオブリージュ」ではなく、芸術を楽しみながら社会活動を送る、私を含めた一般の人たちでした。

舞台芸術は現実世界とは離れた高貴な楽しみなのではなく、我々が死にものぐるいで生活している社会のなかに同じく存在するエンターテイメントであり、そのことは舞台芸術の芸術性をひとつも損なうものではないということに気づきました。そうであれば、舞台芸術は、社会活動や経済活動として正当に評価される必要があります。しかし、芸術に対する助成金が次々と出てくることに対する社会の評価は、芸術にお金がいるのか?といった、経済活動としての芸術に疑問を投げかけるものが多かったように思います。

舞台芸術が我々のいる現実世界と同じ次元のものとして存在しているのであれば、社会的にも経済的にも健全な循環のなかで活動ができ、「なかのひと」たちは才能に見合った報酬や評価を得られなければなりません。

そのために、舞台芸術の中からも外からも働きかけが必要です。この対談は、そのような働きかけの一つとして動き出したように思います。

3、演劇とは何なのか。

演劇が大好きな友人は、舞台が休止している間もそれなりに元気そうにしていましたが、5ヶ月ぶりに観劇に行って帰ってきて「私、この5ヶ月間ほんとうの意味では生きてなかった。劇場の椅子に座ってわかった。」と言っていました。

以前も対談の中で話しましたが、虐待を受けて逃げてきた子を観劇に連れ出したことがあります。その子はたった一回しか舞台を見に行っていませんが、観劇から5年くらいたったあと「あのときに舞台からさしてきた光が忘れられない」と話してくれました。

私自身、つらいことがあってご飯を食べるのもしんどいような時期にも、舞台という非日常の世界に連れて行ってもらえることでなんとか元気を取り戻せたり、舞台上で見た登場人物の勇気やエネルギーに後押しされて、思ってもない力が出せたりという経験を何度もしてきました。

愛とか、嫉妬とか、自己犠牲とか、成長と共に知っていく感情に最初に触れたのはお芝居のなかだったかもしれません。登場人物になりきって、追体験をして、自分には言えない気持ちを登場人物に代弁してもらったり、喧嘩した友達に似た登場人物に感情移入するうちに、自分が友達を傷つけたことに気づいて反省したり、作品を見る前の私とみた後の私が、違う人になってしまったような発見をすることもありました。人物のバックグラウンドを知りたくて本を読んで、知識を得ることもありました。そうやって成長してきたので、いままで見てきた演劇が私を形作っています。

私にとって演劇とは、このような、生きていることを実感できるような喜びだったり、観劇後何年も自分を照らしてくれる光だったり、背中を後押ししてくれるエネルギーだったり、生きている中で本当に必要な叡智です。

4、観客は何を観ているのか。

私はこれまで、演劇は舞台上で完成されていて、観客は、ただ完成された舞台をのぞき窓からのぞいているようなものだと思っていました。劇を作っている人たちも、作品を作ることだけに尽力していて、その先に観客がいるかどうかということは、舞台芸術にとって意味の無いことだと思っていました。

ところが、お芝居を舞台上で見せることがかなわなくなり、配信に切り替えるのか、中止するのかといった決断を舞台関係者が必死に議論している様子からは、観客という存在を必要としてくださっている様子がみえました。「お客様に作品を届けたい」「お客様とカンパニーを守りたい」という言葉を幾度となく聞きました。無観客の舞台を配信するという試みをした際に、椅子に舞台ファンからのメッセージが貼られたり、再開後の舞台で舞台上から客席に向かって照明が明るく照らされ、客席を涙を目にためながら見つめる役者さんを見る機会がありました。

舞台芸術を作っている人たちは思いのほか私たち観客のことを愛していて、私たちは舞台芸術に必要な存在で、私たち観客と舞台芸術は思った以上に相思相愛だったのかもしれません。舞台の幕を開けるかどうか悩みながらも、「たかが芝居に命をかけることができ、そこにプライドを持てる人種になれたことはある意味致命傷でもあり、最高に幸せなことです」とおっしゃったプロデューサーがいらっしゃいましたが、その、「芝居」の中にはお芝居を固唾をのんで見守る観客がいるということが私にとって何より幸せな発見でした。

私たちはもちろん、すばらしい演劇を見に劇場に何度でも足を運びます。でも、舞台からも客席からも同じ最大の熱量で発される、お芝居、演劇への愛情を感じることも観劇の醍醐味です。劇場にさざめくうきうきした気分、舞台に穴が空きそうなくらい見つめる観客の目、すばらしい演劇をその観客に届けようとする「なかのひと」の気合い、こういうもの全部をひっくるめた劇場への愛を、観客は何度でも見たいと思うのでしょう。

5、これからの演劇と観客はどうあるべきか。

舞台芸術の「なかのひと」が、その才能に応じて評価され、才能に応じた報酬が得られるよう、また、舞台芸術そのものが、産業として自立するよう、その仕組みや在り方について考えなければなりません。演劇業界はもっと社会的な地位を得るべきであると考えますし、そのためには、社会の中での役割を明確化し、経済的に自立し、法的にも適正な活動を行なっていく必要があります。

また、舞台芸術の観客はコアな舞台ファンに限られるものではありません。昔彼女とデートで行ったお芝居のことを大切な思い出にしている人、親に連れて行ってもらったミュージカルの記憶を鮮明に覚えている人、まだ劇場に行ったことはないけれど、テレビで気になった役者さんが出るお芝居を見に行こうか悩んでいる人も観客の一人です。特別なときにしか観劇しない観客にとっても、舞台のことしか考えられなくなって3日とあけず観劇する観客にとっても、舞台が幸せな場所であることには変わりありません。潜在的な観客を含めると、舞台芸術の観客は、社会で生活する人みんなです。

これからコロナ禍を経て社会自体が大きく変容していく中で、演劇や演劇の業界も変わっていくのだと思います。経済的に演劇の業界が苦しいことは間違いが無いでしょう。でも、「演劇のなかのひとと観客っておもいのほか相思相愛だったね!」と気づいた私たちにできることは、案外たくさんあると思っています。今はクラウドファンディング・寄付といった、観客からの支援を演劇業界の人が受けるといった単純な形ですが、これから、『舞台芸術を未来に繋ぐ基金』でも、舞台芸術のカタチについて考え、様々な試みがなされると思います。舞台芸術が、「なかのひと」にとってしあわせなカタチであると共に、観客(潜在的な観客)にとって、見に行きやすいものであるように、より開かれた芸術であるように、舞台の中と外から支えていくことが出来ると良いなと思っています。
                                     以上

●第3回目までの対談内容はこちらでも見ることができます

◆noteマガジン:未来に繋ぐための対話/演劇と『法律』連載

◆8月25日(火) MiraiCHANNEL (アーカイブ有り)
【生配信】8月特番「みらい基金LIVE 」詳細

舞台芸術を未来に繋ぐ基金とは?

この公益基金では、寄付による原資を使い、新型コロナウイルス感染症の拡大防止によって活動停止を余儀なくされた舞台芸術に携わる出演者・クリエーター・スタッフ(個人、団体問わず)に対して今後の活動に必要な資金を助成します。

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