2021/04/11

昨日はひさしぶりに映画館に行った。池袋のシネマロザ。いかがわしい街にある古い映画館で、え?こんな前の列と段差ないの?字幕みれんやんと思ったりした。

「14歳の栞」
なんでこの映画を見ようと思ったのかはなんとなく興味がわいたからなんだけど、どこにでもいる普通の中学生で、主役不在のドキュメンタリーみたいな認識で見に行って、確かにみんなにスポットライトが当たるようになっていて、とても面白かった。若いお客さんが多くて、あんな青春過ごしてないわ~と見終わった後トイレで話していたラクロス部の女子高生がとてもまぶしかった。いや、まだまだ青春やろ。これと同じことをきっと40歳以上の人はわたしに感じてるのかもしれないし、もう34か~と思ってるのかもしれない。ちなみに最近は年齢を聞かれたらややめんどくさくなって35と答えることにしている。

一人一人にインタビューされる時間があるんだけど、わたしは数か月前に豊岡で受けたインタビューを思い出していて、インタビューをされるときって、カメラが回っているときって、わたしは普段から自分で言うのもなんだけど人を楽しませるためのサービス精神を持っているので、インタビューだろうが面接だろうがそれなりに面白いことを話そうとするし、ついつい喋りすぎて後悔することもある。そして数ヶ月前の自分が話したことがすでに変わってしまっていて、それが嘘になってしまうことだってある。そんなときに感じる罪悪感はどうすればいいのだろう。少なくともあのときに語った未来の展望はもう叶えることが困難だったり、叶える気力がなかったりする。インタビューで不登校の学生が、自分が不登校になった理由を聞かれて「答えたくない」と言っていたのがとてもよかった。そして、その理由を彼の友人にインタビュアーが聞いていたのがそれは少し違うのでは?と思った。本人にしかわからないことを想像することは素敵だけれど、詮索するのは違う。聞き手は答えてもらえて当たり前と思って聞いてないよね?そんなことはないと思うけど。

そのあとは同い年の俳優と水道橋で飲んでいて、6回目の結婚をしたというご婦人に絡まれたりしつつ、演技をするための拠りどころってなんだろうね、そんなものないねって話をしたと思う。それがメソッドだったり方法論だったりするんだろうけど、そんなものがないので、なくて俳優やるにも作演するにも困ってるので、やっぱりひとりでそれを見つける為にやる必要があると感じた。というか、人とものをつくれることは奇跡みたいなもので、相思相愛ってかなりムズカシイので、今はあきらめるしかないのかもしれない。散々、出会いとか、伝手とか、つながりとか欲しくていろんな場に行ったけどそんなものはできなくて、でもできる人にはできているのだからわたしにはできないのだと思ってあきらめて、その時間をすべて自分一人で使ってもいいかもしれない。と思った。

1年前に書いた2020年度の目標はほとんど達成されていて、なかなか自分やるなと思った。すべて達成されれば自分が変われるような気がしてたんだけど、そんなことはなかった。もっと自分を肯定してあげてもいいんじゃないかと思う。ほんとうに。一人芝居もやったし、演劇学校も入ったし、戯曲賞にも応募したし。しかし自己肯定感は一年前より低い。


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