心根の問題だよ

結構、まじめにコロナで以前のような日常が無くなり、当たり前が当たり前でなくなったときに人はこれほどまでに心が揺れるのかと驚いている。そんな中で、まぁ何のために演劇をやっているのか本気でわからなくなって、社会や人の役に立つという大義名分を果たせない生き方をしている自分って何なんだろうかと思い、無駄なものを作っている自覚を持ちそれを誇れないなら辞めるべきだと思えてきた。幸い、これしかない人間ではやいし、ほかに出来ることもあるだろう。向いてることを残りの人生でやるのも悪くないと思ってきた。バッサリ辞めるのがいいのか、立ち寄るカフェの一つみたいに演劇を扱う方法を探す方がいいのかと考えている。一か百かしかないような生き方は苦しすぎる。

演劇を使ってなにをやるのが一番いいかと考えたときに、例えばわたしは0から1を作ることはできない。自分のメソッドを作ることはできないから人のメソッドでそれっぽくやると、劣化版ができる。この劣化版のクオリティを上げることができる器用さはない。じゃあ、例えば会話はどうか。会話はみんなオリジナルな言葉を喋っているし、これを台本にすればいいのではないか。じゃあどの場面の会話を台本にする?って考えたときに、そういえばあのときのわたしは何を考えていたんだろうか、どうするのが正解だったのだろうかという場面がいくつか思い浮かんだので、それをまずは台本にしてみようと思う。

先日、とりあえず上演するしないは別として台本を書いてみて、それをパートナーに読んでもらったら、「今どきの子だね、こういう受け答えするの」と言われ、「まぁわがままだよね」と言われた。ああ、あのときの自分はわがままだったのかという思いと、いや、わがままだと思われたら失敗だからどうにかわがままだと思われない方向にするにはどうしたらいいかということを考えて書き直したりしていて、まぁ筋は通った話になった。結果、真実ではないものができあがったけど、これは演劇かもしれない。この作業を通じて結構そのときの問題を客観視することができたし、面白い経験だった。自分を切り売りするのではなく、自分の問題を演劇で解決する。たくさん問題はある。たくさん書けるかもしれない。面白い台本を書けるようになるのが先か、全部の問題が解決され健やかに生きていけるのが先か。

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