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物書庵初心週記帖(42号)「必要なのは透明性ではなく納得感では?」

小春日和の穏やかな陽気に誘われて、いつもの小貝川沿いを散策していると、春の訪れを告げる声が聞こえたような…。耳を澄ませていると「ホーホケキョ♪」やはりウグイスさんでした。囀っている当人はそんなつもりは毛頭ないのだろうけど、この声に春を感じる日本人は多いでしょう。背中の方向からなんだか忙しない鳴き声が聞こえたような気がして注目してみたら、こちらも今年お初のヒバリさん。常連のヒヨドリ、ハクセキレイも元気に飛び交っていた。

世界的イベントであるはずのオリンピックで、このクニの政界に蔓延る問題を露呈し続けていた森氏の女性蔑視発言を発端とした一連の騒動。橋本聖子氏を後任に据える事で着地をした。「透明性のある選考を!」「なぜ会議が非公開なのか?」とメディアでは叫ばれていたが、いやいや待てよ。そもそも会社組織に当てはめて考えてみると、組織の人事会議を公開なんてしたら率直な議論が出来なくなってしまうのでは。自社の人事会議を社員に公開している企業などまずないであろう。とすれば感じた違和感の招待は何か?と考えると、市民が本当に求めているのは「透明性」ではなく「納得感」なのだろう。「森氏の息がかかっている」「過去のセクハラ問題は」という指摘もあろうが満点人事というのはない。ゴールはオリンピックを成功させる(まずはどういう理由を付けて開催させるのかだが)という一点。開催予定まで半年を切った待ったなしの状況で火中の栗を拾った意気や良し。女性アスリートの草分け的存在であった橋本聖子氏の手腕を見届けたい。

しかし、1人引っ込んだと思えば間髪入れずに新しい御仁が出てくるもので、呆れを通り越して皮肉たっぷりに感心してしまった。自民党の重鎮竹下氏による橋本聖子氏に対する発言はもはや取り上げるに値しないとしても、オリンピック開催と聖火リレーに異議を申し立てた島根県知事に対して「注意する」の発言は見過ごせない。意見の是非を論ずるのではなく、国と地方の関係性を上司部下と勘違いしているのだろう。東日本大震災の復興で多忙を極める岩手県、宮城県知事に対して、バックアップする立場の復興担当大臣がお門違いの公開説教をした呆れかえるような話を思い出してしまった。国民のために汗をかくはずの国会議員にも関わらず、天下人だとでも勘違いしてしまうのは、時間は経てど政党は変われど、政治家の習性だと諦めるしかないのだろうか。

このクニの政治を穏やかに見守れる春が訪れる日はまだまだ先になりそうだ。

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