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佛心と輪廻転生

佛心と輪廻転生の関係について考えてみたいと思います。
佛心、つまり永遠の涅槃に人は死んだら誰でも行く、ということであれば、輪廻思想をどう説明したら良いでしょうか。
私は、輪廻はあると思います。
ただ「生死の中に仏あれば生死なし」というように、輪廻の中にありながらズッポリ涅槃の世界に入っているというのが悟りです。
悟りとは、気づきです。
この世界が天国だと気づいたら、白隠禅師も言っているように「当処すなわち蓮華国」であります。
私は、坐禅をして佛心に目覚め、また、信心によって佛心の法悦をいただいた人たちは、そのまま極楽浄土のようなところに、来世も行くと思います。
なかには、自分で望んで人助けのために、あえて佛心から娑婆へ生まれ変わってくる人もいるでしょう。
そういった目の開いた人以外は、輪廻転生するのだと思います。ただ、気づこうが気づくまいが、現実は幸福にあふれています。豚に生まれて屠殺されるのも佛心、犬に生まれて駆除されてしまうのも佛心の中のことです。
輪廻するのもありがたいとなればこっちのものです。死んで、極楽浄土に行くか屠殺場に行くかわからないけれども、仏の目からすればどちらも同じ幸福です。人間に生まれるというのは稀なことです。そして、人間でなければ輪廻を終わらせることは出来ないでしょう。
仏教は無我を標榜しますので、輪廻する主体はないはずですが、経験上、子どもなどに接していると、前世の記憶を持っていることを感じることがありますので書かせていただきました。

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