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私にとっての蒲田という街の風景

こんにちは!ビジネスマーケットの大矢です。

普段は、事業承継の活性化のための情報発信をメインにしているアカウントですが、未来に残したい風景というお題が目にとまったので、少し書きたいなと思いました。

私の原風景

私は、大田区の蒲田という地域で生まれ育ちました。

大田区蒲田というと外から見たイメージは、餃子、治安悪い、中小企業の工場といった感じでしょうか。このイメージについては、大体あってます(笑)

一方で、中から見た蒲田は居心地がよく、とても愛着をもてる街です。

気取らない自然体な雰囲気と、ちょっと混沌としたお店と住民、昔ながらの人情味が残る街だと思っています。

少し見た目が怖い人も、朝方に駅でシャッチョさーんと声をかけてくるタイ人のおばちゃんもいますが、何か怖い目に会うといったことはありませんでした。

また、街中に飛行機に使われるねじを作っている工場が普通にあったり、温泉が湧く地域ということもあり銭湯も多くあったりと、個人的にも自慢できることが多い街です。

変わりゆく街並み

私は23歳の時に家を出て、別の地域で転々と過ごすようになりましたが、たまに蒲田に帰ると街の変化を感じます。

大きな一軒家が経っていた場所が分譲住宅三軒に建て替わっていたり、飲み屋が連なっていたエリアが専門学校になっていたりします。

また、あれだけそこら中にあった工場や銭湯もどんどんなくなってしまい、マンションやコンビニなどに変わっています。

一見すると、全て新しくきれいな建物になり、街全体としてもきれいになっています。

しかし、待ち合わせに使った大きな家も、父と一緒に行った銭湯も、小学校の社会科見学でいった工場も、思い出と一緒になくなってしまったような、そんな寂しい気持ちもあります。

変わっていった街並みに思うこと

こういった変化が全部悪いこととは全く思いませんし、自然な流れで変わっていくことはそれはそれで楽しめるものだと思っています。

一方で、その変化が起きた理由によっては、残せたものもあるのではないかと思います。

例えば、工場や銭湯は後継者がいなかったら潰れてしまったのでは?うまく集客が出来なかったのでは?土地を手放した人は相続対策をうまくできなかったのでは?など考えてしまいます。

今自分が、こういった方を救う手段を持っていることから思う部分もありますし、こういった方を気にしていたから今の仕事で様々な支援をしているのかもしれないなぁと思います。

後ろ向きな理由で変わっていく街並みではなく、前向きな理由で変わっていく街並み。蒲田がそういう街であり続けてほしいと思います。そしてその結果できる街並み、それが私が未来に残したい風景です。

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