読書インプットのまとめ

今まで、いろんな本を読んできました。ただ、そこで反省すべきことは、読んだら読みっぱなし。インプットが十分できないまま、次に進んでいったように思います。

そこで、読んだ内容のアウトプット、ではなく、「私はこう読んだ」というインプットのまとめをしなければいけないだろう、と感じ、少し取り組んでいこうと思います。

で、今回は、「影響力の武器(第三版)」の第一章について、私が主観的にインプットしたことを、吐き出してみようと思います。

「文明が進歩するということは、
自分の頭で考えなくても
様々なことが出来てしまう、ということである」
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド


判断のヒューリスティックというものがあります。
ヒューリスティックとは、簡単に言うと、「無意識に使っている法則や手掛かり」のことです。
私たちは、情報過多の時代に、前例や経験則からくる法則を使うことで、判断の省力化を図っています。

このヒューリスティックをうまく活用すると、売り上げをあげることもできます。

この背景には、動物としての脳の機能が大きく影響しています。

動物の世界では、刺激信号の証明が数多くなされています。
刺激信号とは、固定的な動作パターンを取らせる信号のことです。
例えば、七面鳥は、ひなの「ピーピー」という鳴き声がひなを世話する刺激信号になっています。
コマドリは、縄張りに侵入する別の雄の胸の色だけが刺激信号になっているのです。

この刺激信号があることで、原始時代の私たちの祖先は生き残ってこられたのです。
野生動物からの攻撃のパターンを感知し、素早く逃げる、とかですね。


私たち人間の場合、この刺激信号は、どのようなものがあるのでしょうか?

図書館のコピー機で、順番を繰り上げてもらうための心理実験が行われました。
次の3つの言葉かけで順番を譲ってくれた人が何%いかた、問いう内容です。
① 「すみません・・・5枚だけなのですが、先にコピーを取らせてくれませんか?急いでいるので」(譲ってくれた人の割合・・・94%)
② 「すみません・・・5枚だけなのですが、先にコピーを取らせてくれませんか?」
(譲ってくれた人の割合・・・60%)
③ 「すみません・・・5枚だけなのですが、先にコピーを取らせてくれませんか?コピーをとらなければならないので。」(譲ってくれた人の割合・・・93%)
②と他の提案との違いは、「・・・なので」と理由を説明している。
① は合理的な理由であるが、③は理由にもなっていない理由です。
でも、結果はほぼ同じでした。
これは、「理由をいう」という行為自体が刺激信号として働いていると考えられるのです。

とある宝石店(観光地にあって、裕福層相手に商売をしてる店)での出来事です。
トルコ石がなかなか売れなくて「値段を2分の1にする」ポップを掲げようとした時、間違えて「値段を2倍にする」と出してしまった。
ところが、今まで売れなかったトルコ石が、全部売れてしまった。
ここにも、判断のヒューリスティックが働いています。
裕福層の観光客は、どの宝石が高品質でどの宝石が高品質でないかをじっくり調べることはしていません。
それに代わって、今までの経験則や原則に従ったのです。
それは、「高価=高品質」というステレオタイプに従ったのです。
これを、「判断の省略」と言い、よく用いられるヒューリスティックの一種です。
同じトルコ石でも、値段が2倍になっただけで「これは高品質だ」と判断したのです。

概ね、ヒューリスティックな反応に従っていれば、うまくいくのですが、恐ろしいのは、このヒューリスティックのパターンの機能を熟知している人に対しては、私たちは、全くの無防備になってしまう、ということです。

ヒューリスティックの原理のひとつに、「コントラストの原理」と言われるもがあります。
順番に提示されるものの差異が、私たちの判断に影響を与えるのです。

2番目に提示されたもの
⬇️
最初に提示されたものとかなり違う場合
⬇️
2番目が、実際以上に、最初のものと異なっていると考える傾向がある。

例①
同じ大きさの箱をふたつ用意する。
ひとつ目(A)は軽く
もうひとつ(B)は重い
甲さん:軽いAを持ったあと、Bを持つ
乙さん:重いBだけを持つ
結果、甲さんの方が、乙さんよりBがより重く感じる
※甲さん、乙さんとも同じ重さの箱を持っているが、最初に軽いものを持った時は、コントラストの原理が働き、重さが違うように感じる。

例②
洗面器を3つ用意し、それぞれに、冷水、常温の水、お湯を入れる
右手を冷水に、左手をお湯につけてから、両手を常温につける。
するとその人はとても困惑する。
同じ洗面器に手を入れているのに右手は暖かく左手は冷たく感じてしまうから。
これもコントラストの原理

このコントラストの原理の怖いところは2点ある。
① うまく機能する
② 見破ることがほぼ不可能

この原理を使っている事例
① 紳士服店
まず、スーツを選ばせて、その後にセーターを選ばせる。
決してこの逆ではない。
スーツの後にセーターを比較させるので、安価なセーターはそれほど高価とは感じなくなる。
(選ばせる順番を逆にすると、セーターに比べ、スーツはとても高価なものに感じられて、スーツを購入しにくくなる)
セーターではなく、ネクタイやワイシャツ、ネクタイピンなどのアクセサリー、スーツを選んだ後に誘導される。
② 自動車のディーラー
車本体を選んだ後に、オプションを紹介する。

車本体に比べて、オプションは一個一個が安価なため、財布の紐が緩みがち
③ ある不動産業者
非常に魅力のない物件を用意しておき、最初に顧客にそれを紹介する。
次に、同じような価格の売りたい物件を見せる
不動産屋のコメント
「ひどい家をいくつか最初に見せておくと、その後見せる家が本当に立派に見える」

「ヒューリスティックな反応」と対義するものが、「コントロールされた反応」です。
「コントロールされた反応」とは、すべての情報を十分に分析したうえで反応することです。
「ヒューリスティックな反応」ではなく、「コントロールされた反応」を用いるためには、「コントロールされた反応」を用いたいという欲求と能力が必要です。


現代は、情報過多な状況です。
すべての情報に対して、「コントロールされた反応」をすることは不可能です。

ここで、とても恐ろしいのは、このパターンの機能を熟知している人に対しては、私たちは、全くの無防備になってしまう、ということです。



さて、この章を読んで感じたことは、次のようなことです。
私は今、AIやテクノロジーの発展に強い興味を持っています。
ただ、AIやテクノロジーは、あくまでも道具であり、それが主役になることはあり得ないと思います。

主体は、あくまでも使う人間の側にあるのです。
なので、どのように使うかが大切な視点だと考えています。

そうであるならば、人間の心理を熟知した人が、強力な道具であるAIを使ったら、もしかしたら、一般の私たちは、容易にコントロールされてしまうかもしれません。

先日、介護分野での偉い方々の提案がありましたが、その中で、いくつか非常に気になる発言がありました。


ひとつは、「AIは科学的だから、介護計画の作成にあたって、AIを活用しよう」というものです。それ自体には、反対はしませんが、以下の点が気がかりです。
『AIは科学的』というフレーズです。

確かに、AIは多量のデータとそれを処理するための高度な統計的処理を行います。その過程に関しては、確かに科学的でしょう。
しかしながら、現在開発されている介護計画作成AIは、「機械学習」という手法が使われています。

この機械学習は、データの中にある特徴を見つけるために、エンジニアが、手作業で設計しなければなりません。エンジニアの職人的なスキルが求められているのです。どのような思想で特徴を見つけるのかは、ある意味設計したエンジニアしかわからないのかもしれません。エンジニアが見つけた特徴が、実態を正しく反映されているのか、ということの検証は難しいでしょう。
場合によっては、特徴を見つける段階で、バイアスがかかっているかもしれないのです。

私は、機械学習によるAIは、すべてバイアスがかかっていて、使い物にならないと言っているわけではありません。
偉い人が『AIは科学的』という言葉が判断のヒューリスティックになって、使う側が無防備に「AIはすべて科学的」とのステレオタイプの認識に陥ってしまうことが怖いと思っているのです。

もうひとつ
「AIを使って、現任のケアマネジャーが作ったケアプランを検証しよう」との発言が合いました。
これも、実はAIの仕組みをよく理解していない偉い方の発言であろうと思い、とても気になるところです。

AIが扱うデータ量は、確かに人間では太刀打ちできない処理をします。しかしながら、データの種類、いわゆる変数の数については、ある程度限界があるのです。機械学習という手法では、変数が多すぎたり、扱うデータ量が多すぎると、「過学習」ということを起こしてしまうのです。
「過学習」とは、与えられた学習課題には的確に答えを導き出せるのですが、未知の事柄に関しては、正確さが欠ける、という症状です。
試験勉強をしていて、前もって準備した摸擬問題には正確に答えられるけど、模擬問題とは違う本番の試験では、正解を導けない受験生のようなものです。

一方、人間は、扱うデータ量はAIには及びませんが、扱う変数量は、AIに比べて非常に多くのものが扱えます。例えば、利用者さんの家庭の状況で子供と仲がいいのか、確執があるのか?本人の希望では、まだまだ元気になりたいのか、人生でやるだけのことはしてきた充実感があるので静かにお迎えを待ちたいのか?
あるいは、人と会うことが好きなのか、一人静かな時間を過ごすことが好きなのか?

現在、発表されているAIを使った介護計画作成ツールでは、限られた変数しか扱えないのが現状です。
AIが人間より得意なこと、人間がAIより得意なこと、そのようなことを配慮に入れずに、『AIが人間が作った計画のチェックができる』といった判断のヒューリスティックに頼ってしまうことよって、本来発揮されるべき人間しかできない能力が、過小評価されてしまうことに大きな懸念を感じます。
それこそ、人間がAIを道具として使う、というベクトルではなく、AIに人間が使われるというベクトルに向かっていく恐ろしさを感じます。

責任があり、発言に影響力がある方々へのお願いです。孫子の兵法にもあるとおり、「彼を知り己を知れば百戦殆からず」にもあるように、AIの特性、長所・短所を十分理解した上での発言を求めたいものです。そうしなければ、影響力があるが故に、発言者が意図をしなかったとしても、それが「判断のヒューリスティック」になってしまい、人間性の排除につながる恐ろしさがあると感じています。ですから、「判断のヒューリスティック」ということに対して、より敏感になっていただくことが必要だと思います。

また、現行で働く介護関係の方々にも、偉い人が行っているから正しいと鵜呑みにするのではなく、現代社会の一般教養として、AIの基本的な仕組みや特徴を理解し、自分自身の人間性の軽視につながるような、判断のヒューリスティックには、十分警戒することが必要でしょう。


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