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お久しぶりでございます。

10月18日久しぶりにnoteを書かせていただきます。

久しぶりすぎて書き方を忘れてしまった。

どれぐらいぶりだろうかと思う位。

やはり止めるのは簡単だけど、続けるというのはどれだけ難しいかを痛感します。

最初はラジオアプリに集中したいなと思い、そして、若干ラジオアプリの方が簡単だなと思い始め、

そして、ラジオアプリとの話の区分けが明確に出来なくなってしまった自分がいました。

しかし、書いていない時期が進めば進むほどこのnoteに”書く”というのが気合いを入れないと書けない思いに憑りつかれているんではないかと思う位、書く作業が出来なくなるものですね。

でも、改めて思うとこの活字で物事を伝えるという大切さと威力はすごいものだと実感するものでありました。

活字の重要性を感じたからこそ、ここでは本気の想いというものを描いてみようと思ったわけです。

ラジオはラジオで肉声を伝える。魂を入れ込むという伝達力があるけれども、残像力としては活字のほうが大きいのかもしれない。

今時点、有難いことに6.6万人のyoutubeチャンネル”わぼいそ釜山”を運用させていただいているお陰で発信者という立場に身を置くことが出来る。

映像、画像、そして、音声、そして活字

さまざまな形態の伝達媒体を通して発信することで、なにかしらの影響力が存在する。

そしてその映像、画像、音声、活字どれもがそれぞれの特性を活かした発信媒体であることである。

youtubeは言わずとしれた映像における情報収集の場であり、また中毒性の可能性があるものだ。視覚的要素が多いため活字より多くの情報が一気に手に入れることが出来る。

音声メディアは、ラジオの形態としては昔からあるものの、個人個人が発信できる時代になり、携帯アプリとして様々なものが世に出てきた。

一番の特徴は、”ながら聞き”が出来ることで、皿洗い、出かける準備、運転中でも自分の日々のルーティンを壊すことなくそこに入り込むことができるのが強みだ。

活字は、整理した形で記録として残せるのが強み。元々このnoteも私の軌跡を残そうと思って始めたのがキッカケだ。

自分の考えなりを活字に起こしながら、整理してまとめていくことが出来、読み手もある程度整理した情報として得ることが出来る。

このような様々なことを通じて伝えるものは”情報”である。

その情報を伝えるというものを改めてこのnoteを読み返すことにより感じました。

今後とも何卒よろしくお願いいたします。




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