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意味付ける意味

youtubeをやっているとチャンネルをしている人は、若い人が多いですよね。

私の年代は、生まれたときにテレビがあり青春時代もそうだけども、情報が入る主な方法は、テレビであった。

ザドリフターズの「8時だよ全員集合」、ビートたけし明石家さんまの「俺たちひょうきん族」など、次の登校日に友人との話題に出てくるものは、やはりテレビの情報からであった。

だから、私の映像の指向性はテレビ的な感性が植わっていると言っても過言ではない。

しかし、youtubeというものが現れてtiktokなど自分で撮影したものを投稿できる世の中が文化となった。

わぼいそメンバーの若い子たちは特に、テレビももちろん情報源としてあるものの、youtubeなどの情報収集方法が多様化している中に生きてきた。

わぼいそ釜山においても私が編集したりしましたが、やはり私が制作するのと、ももかとか若い子が制作するのは視点が違くなる。

どうしてもテレビ的な感覚で制作するので、youtube感覚と違くなることを感じる。

youtubeなどは特に、テレビのように決まっている時間があるわけではなく投稿された動画ならいつでもどこでも何回でも見ることができる。

時間と場所を超越した物自体が今までの概念にないものである。

そのことを考えるのに、私は”すべてのことに対して意味づけをする”指向性がある。

動画一つにおいても、動画を出す意味というものをしっかりつけたくなる。

情報発信というものは、あるベクトルに指向性がある。

しかし、今の時代はそのベクトルに意味を持たさない時代でもある。

もちろんyoutubeの動画がすべてそういう訳ではない。

しかし、意味を持たない動画が投稿されそれをみんなが見たいと思うことも多くなっている。

すべて意味づけをすることを考えるより、意味を持たないことが面白い時代である。

そんな新しいというか、今までになかった思考性が文化圏を形成する場合は多いので、

私が青春時代のときに自分が楽しいと思っていたことを大人が理解できないことがあったように、

今の時代に流行っていること、もしくは今日のテーマである意味づけないことが今の私が理解できないこともある。

だから意味づけすると安心することもよりも、意味づけする意味にこだわる必要がないことがこの時代に受け入れられるものもある。

私はありがたいことにyoutubeを通して、若い世代と交流しているので今の時代の情報性に触れることが出来る。

意味づけする意味を考えるよりより新しいことの発信性をこれからも追及していきたいと思う。

面白い時代だ。もっと若ければ良かったなと、少しだけ考える日々

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