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【ジャンボタニシ】 フィクション


水田に合鴨のひなを放ってもうひと月が経った。だいぶ大きくなってきたし予定通りにジャンボタニシもよく食べてくれる。でも困ったことにジャンボタニシの繁殖スピードは合鴨たちの食欲を上回り明確に数を減らすわけではなかった。

万策尽きたわたしは近所の識者に知恵を分けてもらうことにした。その男性はわたしの訪問を随分と歓迎してくれて、ひととおりの話を聞いてくれた後に近々その道に長けた者を呼んでくれるとのことだった。

二日後のこと、家でお茶を嗜んでいると外から大きな音でギターのサウンドが鳴り響いた。驚いたわたしは家を飛び出て目の前に続く農道の先にいる男に目が釘付けになった。白いシャツに破れたジーンズ、黒い革のジャケットを着た男がタバコを咥えながら高揚した表情でゆらゆらと歩いてくるのが見える。畦道にパイプ椅子を置きタバコを燻らせながらヘラヘラと空を眺める、そんな男だ。

男は自身を【ジャンボ・ニタシ】と呼んだ。飄々としたなんとも掴めない男だったが腕に自信はあると言うので信頼して水田へ案内する。どうかタバコだけはポイ捨てしないでほしいことを伝えて携帯灰皿を渡し、次の朝にまた会うことにした。ここは無農薬水田なのだ。

翌朝に畦道にたくさんのジャンボタニシの貝殻が落ちていた。これは期待できると思った矢先にわたしはとんでもない光景を見た。なんとジャンボ・ニタシが2人いたのである。2人して水田からこっちを掴みどころのない顔でプレーリー・ドッグのようにわたしを見ていた。

次の日もジャンボ・ニタシは増えていた。今度は4人だ。そして加速度的にジャンボタニシ自体は数を減らしていった。確かに腕はあるようだ。

その次の日は8人になっていた。1日で倍程度の増殖をするようだった。幸いにも一区画目の水田からはジャンボタニシがいなくなっていたのでお礼の代わりに熱いうどんを振る舞うと、ジャンボ・ニタシと名乗る男たちはなにやら怒号を浴びせ合いながら喜んでそれを完食した。

計5箇所の水田からジャンボタニシが姿を消す頃には水田を埋め尽くすほどのジャンボ・ニタシと名乗る男たちが溢れていた。どうしたものか、新たな悩みはジャンボタニシのいなくなった水田にはこの増えすぎたジャンボ・ニタシの胃袋を満たすものが限られていることだ。

ザリガニや小魚といったものは捕食の対象となるのだろうか。恐る恐る増えすぎた中の1人に聞いてみた。すると、ジャンボタニシとシンプルなうどんくらいしか食わねえといった回答を得ることができた。うどん。自分で打つには安価に作れるかもしれないがなにせこの5箇所の水田を埋め尽くすほどの数の大男に与えるとなるとそれは大変な作業だ。それに明日にはまた倍になっているのだし。識者にまた見解を分けていただくことも考えたが、わたしにはある愚かなアイデアが浮かんだ。

その日に夜のことを綴ってこの置き手紙の筆をおこうと思う。もしわたし以外の誰かがこの手紙を見つけるようなことがあるとすれば、それはわたしの愚かな罪でありこの時にはどうしようもなかったことをわかってほしい。そしてその後もわたしは愚かであり続けたことも。言い訳はしない。もちろん許しも請わない。あらゆる質問にもわたしはこの手紙の内容と同じことを答える。これ以外の真実も事実も存在しないのだから。

わたしはぐっすりと眠る群衆のそばに立っていた。穏やかな寝相はどうやって倍に増えるのだろうといった混乱の中にいたわたしの心の中に少しの冷静さを取り戻させた。わたしはその中の1人にそっと声をかけた。できるだけ小さな声で、コミュニケーションを取れる最低限の音量でそのジャンボ・ニタシを水田の外に呼び寄せた。

この用水路を降った先にもっと大きな水田があるよ。わたしの水田とは比べ物にならないよ。そこにはジャンボタニシがたくさんいるし、その近くにはたくさんの大きな水田がさらに広がっているの。

マジかよ、ジャンボ・ニタシそう言って眠そうだった眼を大きく見開いた。まだ明けない夜空を背に畦道に一度広げたパイプ椅子に浅く腰をかけ咥えたタバコに火をつけた。マッチ棒は水田に落ちてジュッと音を立てて消えていった。大きなギターの音が鳴り響き、そのジャンボ・ニタシはパイプ椅子を片手でぶら下げてフラフラと用水路の隣の畦道を降っていった。水田を埋め尽くしていたジャンボ・ニタシがそれに気づき先頭に続く。ある種異様な光景だったがとにかくわたしの水田からはジャンボタニシもジャンボ・ニタシもいなくなった。怯えて小屋から出てこなくなっていた合鴨たちが大きくなった嘴の中で声を鳴らす。お腹が空いているのだ。

わたしは合鴨たちを真っ暗な水田に放った。カエルもザリガニも残った水田に散り散りに泳ぎ出していく。わたしの水田の稲はこれで穂にたくさんの実りをつけることができるだろう。そんなことを短い間思った。太陽の登る方向に小さくなったジャンボ・ニタシの後ろ姿がまだ幾つか見えた。手を振る気にはなれなかった。






【完】





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