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【サウナ刑事 未来編】 むつぎ大賞2023応募作

 なんの進展もないまま、もう随分と時間が経ったように感じる。玄田は再度、現場近くで起こった直近一ヶ月の事件に目を通していた。この事件に既視感がある。玄田はその直感を信じているのだ。
 五月に入り、何度かさらりとした雨がまとまって降った。その度に署の周りの植樹帯の広がりや花壇の小さな花の葉がひと回り大きくなる。
「デカ長!見てくださいこれ!これ!」
 現場周辺の調査を行なっていた吉永が駆け込んできた。息を切らしながらその手の中にある透明のジップ袋の中の1cm程の金属片を見せる。
「現場に落ちていたものです。被害者一家に金属を扱う仕事をしている者はいませんし、家の中にもこのような金属を用いた家具なども見当たりませんでした」
 吉永が軽く口の口角を奥に引き込みながら少し上げてみせる。刑事というものは後天的にこういった笑顔を作るようになるものだ。特に大きな進展を見込める場合には、全身の興奮を隠すことはできない。
 玄田はその金属の入ったジップ袋を手にとり、蛍光灯に照らした。
「なんや、これ。千切れたような形状や。初めてやな、なんかの部品か」
 吉永がさらに口角を上げたように見えた。
「ええ、僕もそう思ったんです。なのでこの金属がどんなものに使われているのかを調べさせました。そうすると意外な事実が浮かんできました」
 玄田は吉永のこういった演出じみた報告過程が苦手である。何秒と変わらないにしろ、迅速に情報を交換し合うというのが当然だと信じていた。
「磁気を利用するもの。例えばリニアモーターカーに使われるような金属、もしくはそれに近い人工物です」
 加工された金属なのだから人工物に決まってるだろ。そう言いかけたがそれを飲み込んだ。先週のように、気分を損ねた吉永が報告もなく勝手な行動をとる可能性がある。
「しかもです、炭素の使われ方が特殊であることもわかりました」
 舞台に一層のライトが当たるかのように、彼は目を細め、一呼吸を置いた後に詳細を語り出した。
「前回の件と酷似しています。地猫団の仕業です。そして連中は今、どこかで身を潜めながら僕たちへの報復を試みていると思われます。このままでは再び歴史の改竄を許してしまいます!僕たちはまたひとつ心に引っかかりを抱えることになります!」
 玄田の脳裏に猫の描かれたパウチ状の物が浮かんだ。でもそれが一体何であるかはわからない。ただ、それが確かにどこかにあって、失われてしまったことだけがわかるのだ。
 繰り返してはならない。今回の事件の発端となった長毛用猫ブラシを手に取る。右手で透明の柔らかい樹脂製のブラシの感触を確かめた。

 こうして警視庁中央会議室は、二年ぶりにとてつもない熱で蒸しあげられることになった。
 全館冷房を停止し、巨大なサウナ室となった中央会議室にモニター越しの視線が集まる。
 腰に警視庁の文字の入った白いタオルを巻いた玄田と、浅葱色と白を基調とした袴を纏った吉永がサウナ室に入ってきた。囃の表す静寂。吉永が焼けた石にジュっと水を滴らせると、よぉぉという掛け声が室内の低い位置を漂うように聞こえてきた。

「ここぉにぃぃぃサウナのぉぉおんけいをぉぉぉぉあたえたまへぇぇぇ」
 三段の椅子の中央に座る玄田の前、磨かれた板貼りの舞台を吉永がゆっくりと舞う。口蓋を震わせるように発声を行いながら、右半身と右脚、左半身と左脚を連動させて音もなく移動している。それは相手との距離を測る猫科の野生動物を思わせた。
「みちびきたまへぇぁみちびきたまへぇぇ げんだをかいけつへとみちびきたまへぇぇぇ」
 柄杓に清らかな水を湛え、吉永が焼けた石に今度はしっかりと注いだ。
「るぉぉぉぉぉろうりゅぅぅぅ ろうりゅうぅぅぅるぉぉぉおろうりゅうぅぅぅぅぅぅ」
 広めの造りの室内に、湿度が目視できる形で翼を持った爬虫類のように這い回る。鼓に合わせて謡が鼓動を弾ませる。ナビキの波長もより一層の色気を含んでいる。
「ろうりゅうぅぅぅぁろうりゅぅぅぅ ととのわれよぉげんだのぅぉみたぁまぁをみちぃびきぃたまへぇぇ」
 よぉぉぉぉぉぉ。モニターが燻む。玄田の両肩から尋常でない量の蒸気が上がっている。虚な眼球が小さく動く。
「ととのわれよぉげんだぬぉぉみたまぁととのわれよぉぉぉぁろうりゅぅぅぅあぁろうりゅぅぅぅぅぅ」
 のぅおんおんおんおん、咆哮をあげて玄田が突如立ち上がった。
「たぁおぉぉぉるぅぅぅ とぁぁぁぁおぉぉぉるぅぅぅぅぅぅぅ」
 一瞬意識を取り戻した玄田が床に落ちたタオルを腰に手短に巻き直す。
「みちびきぃたまへぇぇげんだをぉかいけぇつのぉぉばしょへぇみちびきたまへぇぇぇ ろぉぉぉうりゅぃよぉぉぉろぉぉぉぉぉぉりゅぅぅぅぅ」
 水蒸気に覆われた玄田が再び立ち上がった。モニターがモヤの中の蠢く玄田を映す。
「みぃぃぃたぁまぁあぁぁぁぅをぉぉぉぉみちびきたまへぇぇぇぇ」
 正装に包まれた幹部全てが謡を合わせる。
「とぉとぉぬぉぉぃぃいましたぁぁぁ」
 玄田がそう発するとその体が消えた。
「たぁおぉぉぉるぅぅぅ とぁぁぁぁぅおぉぉぉぅるぅぅぅぅぅぅぅ」


 青黒い空。消えかけのネオンを掲げたバーの近くで青い光がスパークした。玄田だ。どこかの駐車場と思われる場所に、サウナ室と同じ姿でしゃがみ込むような姿勢で玄田が現れたのだ。
 立ち上がりあたりを見渡すも人影が見当たらない。ということはとりあえず身に纏うものを探す時間はあるということである。
 前回は確か19世紀前半であった。独立して間もないチェコに飛ばされた時は真昼間の市街地で随分と恥ずかしい思いをしたものだ。それも当然である。雷鳴と閃光と見知らぬ東洋人、それも全裸の男が突如目の前に現れたのだから、奇異な者を見る視線は絶えることはない。
 
 駐車場を抜けた先に、地面に刺さった鉄のパイプに引っかかっている大きなシャツを見つけることができた。その隣に放置されている古びたセダンの中には、オリーブ色のミリタリーパンツのようなものがあった。玄田はそのパンツを手に取りサイズを確かめた。ウエストはキツそうではあるがゴム製、全体的にはゆとりのある造りだ。ラベルは随分と色褪せてしまっていて、それが男性用なのか女性用なのかは確認できなかったが、〈n ko and…〉と読める。
 何はともあれ、多少の汚れは気になるものの誰かに出会う前にその肌を隠すことができたのは大きい。何せこの後、玄田は精神を集中させる必要があるからだ。
 次はなるべく大地に接することができて、その土地の水が流れる場所を探さなければならない。サウナが玄田をここへ導いたからには何か意味があるのだ。それを探らなければ何も始まらない。

 おそらくこの時間は深夜なのだろう。荒廃したこの場所は玄田の生きている時間よりだいぶ先の未来であるようだ。町並みの所々に、過去の映像や資料で見たことのないものが溢れている。
 特に信号機らしきものは全く新しいタイプであるようで、一つのライトもしくは何かの情報を出しているであろう光が、交差点の周辺の十メートルほどを照らしているだけであった。
 静かに巨大なトレーラーが近づいてきた。玄田は咄嗟に身を隠し、ゆっくりと走るそれを観察した。トレーラーのフロントライトが照らす世界、建造物の全てが喜びのない世界であった。前向きな精神で作られたものではないことを感じた。
 おそらく誰も乗っていない。フロントガラスもない。玄田はトレーラーの側部につかまり移動することにした。
 
 数十分が経っただろうか、玄田はなんとなくこの時間の世界を理解し始めていた。深夜だからというのもあるが、人々は住居からあまり出ない生活をしているのではないか、という仮説をたてると納得ができることが多々あった。
 おそらくはなるべく外に出ない方がいい世界。夜の街でこの規模でしかもここまで荒れているのにネズミや猫といった動物が全くいない。小さな虫すらも見ることがない。その事実に玄田は悲壮感を覚えた。

 さらに進むと、トレーラーは水辺の公園のような場所に近づいた。錆びた遊具がいくつか確認できる。玄田はそこで飛び降り、大地の様子を確かめた。よし、ここなら十分に整うだろう。玄田は早速大地にその体を預け、クルマーサナ、スプタヴィターサナといったポーズで大地と水の記憶を探っていく。
 ヴァシシュターサナに差し掛かった所で水の流れと体の水分がシンクロし始めた。脳の中に猫と人の暮らしのビジョンが浮かんでくる。パウチに入ったおやつのようなもの。美味しかったにゃ、楽しかったにゃ。沢山の猫。玄田はビジョンの中で涙を流していた。



【続く 3500字】



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