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【隣町の豆もやし】

 豆もやしが隣の畑に引っ越してもう数週間が経つ。あの豆もやしのことだ、今頃はきっと立派な豆の苗にでもなっているのだろうと思いながら道端の石をつま先で軽く蹴った。その石はコロコロと転がりながらなだらかな傾斜の上を徐々に加速していく。そして先にあった溝に落ちて小さな音をたてた。

 どうってことのない普通の豆もやしだった、最初の印象はそうだ。ところがある日、朝の水やりをしていると唐突に話しかけてきた。そのひと束の豆もやしは自分の言葉で、ゆっくりと一言一文字を選ぶように耳と脳に映る文字の両方から自身の思いを聞かせてくれた。ながく豆もやしを栽培してきたわたしにとってもそれはとても稀有な体験であったのだけれども、そう言えば以前も似たような状況があったような気がしたので家に着くなり薄く淹れたコーヒーを飲みながら記憶の隅を辿るように目を閉じた。

 あれは、そうだ、日米の貿易摩擦のあった頃だったと思う。畑の一部の豆もやしたちがざわついた時期だ。彼らも将来に何かしら感じることがあったのだろう、わたしは土に触れ彼らの伝えたいことを極力正確に汲み取ろうとした。当時のわたしはまだ若くその全てを聞き取ることができたかと言えば自信はないが少なくとも豆もやしとある種の意思の疎通を得ることができたことを憶えている。それは感情と思慮の共振のような感覚だった。そんなことをハッキリと思い出したのだ。

 今回の豆もやしは規模で言えば少ないもので、スーパーで市販されている豆苗の苗程度の量だ。彼らはゆっくりとわたしに話しかけ、わたしは大地に腰をおろし臀部から同じ土の熱を感じながらその言葉を体に染み込ませていった。認識の差異が生じないように所々で言葉の奥の意味を丁寧に擦り合わせながら豆もやしの声を聞いた。小さな音だがそれはわたしの体の中で大きく響く。共振、それを再び体験した。

 隣の畑との境に積まれた干し藁の香り、遠くの町の喧騒、それらと豆もやしが繋がり、わたしもその中に確かにいて、彼らがこことは違う場所で自分たちの苗を育みたいという気持ちが伝わってきた。

 すぐに隣町のいくつかの知り合いに連絡して里親を見つけることができた。うちの畑の豆もやしであれば、ということで快く受け入れてもらうことができ、土を合わせた後に引っ越しを速やかに行った。

 少し離れた場所からポッカリと空いたひと束分の土地を眺める。不思議なものだね、今はとても誇らしい気持ちになって家までの道を歩いている。会おうと思えばいつだって会いに行くことができる。そんなささやかな事実がわたしの足取りを強く、確かなものにしてくれる。




 

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