超マスカレード

パノプティコンという牢獄を知っているか。

それは功利主義者のベンサムが提唱した牢獄で、効率よく囚人を従順にさせるシステムを内包している。

円状の牢獄があり、

その円の中心に看守の塔がある。

看守塔からは全ての囚人を監視することができる。

囚人からは光と影の加減で看守塔を見ることができない。

囚人は看守塔にいる看守がいつ自分を監視しているのか分からない。

でも監視されている可能性がある。

だから下手に脱獄の動きを見せたりセンズリこいたりできない。

そうして囚人は見えない看守からの目線に怯えて自ら従順になるという。

囚人たちは看守が常に目を光らせていると思っているが、当の看守はエロ本読んでてもいいわけだ。

極論、看守がいなくてもいい。(本質的な話ではないけど)

……

そしてそのシステムは現代社会に生きている。

防犯の概念は発展して、今や至る所に防犯カメラが設置されている。

その映像は記録されている。

他にもデジタル化により検索履歴、アクセス履歴、通話履歴などあらゆる痕跡は記録されている。

その記録こそがパノプティコンでいうところの見えない看守からの視線なんだ。

いつどこで自分の行動が監視されてるか分からない。でも常に誰かからの視線を意識する。

そうして人々は囚人と同じように従順になっていく。

それが現代社会という超パノプティコン。

高校の現代文で扱った教材でこれが印象に残っている。

……

そんな社会の中でもみんな、SNSやソシャゲなどインターネットを楽しんでいる。

それは超パノプティコンに発生した特異点のようなものであると思う。

僕はそのようなネット社会を超パノプティコンに準えて超マスカレードと名づける。

マスカレード、それは仮面舞踏会。

従順となったはずの囚人は仮面をかぶり、その正体を隠す。

正体を隠せば看守の視線も気にならない。

強気になれる。

直接言えないことも仮面を被れば好き放題言える。

こうして誹謗中傷が渦巻いている。

匿名性のあるネット社会の危険性はここにあると思う。

……

マスカレード、それは虚構。

ネット社会は虚飾に溢れている。

地位も学歴も性別も年齢も。

嘘を真実と語ることができる。

逆もまた然り。

だから全ての発信はその信憑性を失う。

どれが嘘でどれが真実かの判断は当人に委ねられている。

これがメディアリテラシーというやつだ。

……

僕は高校生ながらに人間関係に疲れたことがある。

高校受験が終わって燃え尽き症候群となり、一切の勉強をやめた。

おかげでテストの点はチンカスだった。

17、29、18

この数字は高1の1学期中間テスト、期末テスト、夏休み明けテストの数1の点数だ。

ひどいもんでしょう。

当たり前だ。

そして、テストの点数が悪いとみんなの笑いものにされる。

当たり前だ。

バカのレッテルを貼られ、笑いものにされる高校生活はつまらない。

それに腹立たしかった。

勉強してねんだから取れるわけねーだろ!って開き直ってさえいた。

……

勉強していなかった理由は、ソシャゲをやりこんでいたからだ。

そのソシャゲは当時すごい熱を帯びていた。

ギルドみたいなものがあった。

やりこんでいるゲームを誰かと一緒に遊びたい。

でも周囲に同じゲームで遊んでいる人は誰もいなかった。

みんな勉強に部活で忙しくてゲームなんかやってる暇がないようだった。

じゃあやる相手、ネットで見つければいいじゃん。

そうして僕はインターネット、いや、超マスカレードへ飛び込んだ。

超マスカレードは居心地がいい。

誰も僕をバカになどしない。

誰も僕の素顔を知らないからだ。

嘘も真実もどうでもいいと思った。

どこの馬の骨とも知れない奴らと関わっている方が楽しかった。

そいつらが何を騙ろうがその正体がどうであろうが、どうでもいいからだ。

とはいえ僕自身は年齢も性別も別段詐称する必要性はなかったから真実を語っていた。
(出会い系アプリでもないからね。)

ネットの友達がたくさんできた。

いろんな人がいた。

小卒の人(中学校中退)とか、

大喧嘩した相手の本名やら個人情報をTwitterにあげるやつとか、

メンヘラにも会った。こいつぁ逸材だったぜ?

そしていろんな話を聞いた。

バイト先のコンビニの金庫から金盗んでトンズラこいたとか、

同級生を孕ませて高校退学になったとか、

アイコスを盗まれたとかで喧嘩してお互いの言い分を聞かされることもあった。

どれが嘘でどれが本当かなんてわからないから(上に書いた6つの項目のうち半分くらいはガチでした)、

ひとまずたいていのことは本当のこととして受け止めることにした。

相手の仮面を自分の都合のいいようにリペイントすることはしなかった。

……

総じてろくな奴がいなかった。というより、

みんな、僕から見てろくでなしとみなすには十分な仮面を引っ提げていた。

それに、学校終わり次第速攻で家に帰って勉強もせずにゲームしてる僕と同じ時間帯に一緒にゲームしてるってことは、

そいつらも僕と同じ、バカなんだ。

仮面舞踏会?正体を隠していても分かる。

僕たちは同じ穴の狢なんだ。

そして、思い出した。

僕が必死のパッチで高校受験のために勉強したのは、こんな低レベルの手合いとゲームをして学生生活を無為に過ごすためじゃない。

穴から出よう。

そうして僕はソシャゲをやめ、超マスカレードを後にした。

高2以降、少しずつ勉強をするようになった。
超マスカレードに入り浸りはしないけど、たまに顔を出す程度に落ち着いた。

高校の友達と切磋琢磨しながら、お互いを深く知っていく。

今度は仮面なんてつけていない、ありのままの僕たちを見せ合っているはずだ。

そっちの方がずっと楽しいことに気づいた。

……

でも、高1の頃に人との関わりを煩わしく思ってしまったこと、それが残した傷は大きかった。

それは僕の性格として、根強く残ることとなった。

続く。


追記

仮面舞踏会ソシャゲ会場は散々だったけど、
会場(界隈)によっては素晴らしい出会いもあると思う。

今でも僕は超マスカレードで出会った人と深い関係を築いている。

いつか仮面を外して会えるといいな。

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