他人の人生には不干渉でいたい

俺はファッションについて詳しいわけでもないし、自分のことをお洒落だと思ったことは一切ないが、それでも買う服のブランドは自分で気に入ったところだけに決めているし、名前を出して大変申し訳ないが全身ユニクロで街に出たいとは思わない。デザイン的に好みでないというのももちろんあるし、自分がイケていないと思っている服を着て人前に出るのが許せないというのは大げさに言えば矜持の問題だが、同時にあくまで自分の中だけでの問題でもある。

だから逆に言えばユニクロ自体を何ら馬鹿にする気はないし、それが好きな人が全身ユニクロだったからといってなんとも思わない。当たり前だがもうちょっとよい服を着ろなんて余計なことを言うつもりもない。まぁユニクロに限らずTPOにそぐわない服装の場合はさすがにその人のためにも何か言うかもしれないがそれはまた別の話だろう。

人それぞれ価値観があって、服に金を使う人もいれば使わない人もいる。質素な暮らしが好きな人もいれば、稼いだ金はすべて趣味に突っ込んだり、友人と遊び回るのが好きな人もいる。他人が稼いだ金をどこにどういう風に使うかなど俺の知ったことではないし、俺が自分で稼いだ金をどう使おうが他人から口を出される筋合いもない。

にもかかわらず世の中には他人のお金の使い方が気に入らない人間がいるようだ。服に金を使うのは見栄っぱりだとか、高い時計を買って何の意味があるのかとか、自分がそこに興味がないからといって、なぜそんなところに金をかけるのか意味がわからない、そんなところに金を使う人間は中身が空っぽなのだと馬鹿にしたようなことを言う。

どこかの国の元大統領とやらが日本にやってきて行きすぎた消費社会に警笛を鳴らせば、まるでよい生活を求めるのが悪のような極端なことまで言い出す輩もでてくる。件の元大統領の話は一通り聞いたが、彼自身は質素こそ善といったような偏った話はしていないし、自分の価値観を他人に押しつけようという意図もないようなのであくまで受け取る側の問題なのだが。

もちろん彼の生き方や考え方には共感できる点もある。だが、かといって俺が同じ生き方をしたいと思うかといえば全く思わない。一方でそれに共感して彼と同じように生きたいと望むのであれば淡々とその目標に向かって一人で行動すればよいだけのことだ。

人は根本的にわかり合えない。自分と異なる価値観を持った人間を理解することは恐らく無理であると同時に無理に理解する必要もない。理解する努力がしたくないのであれば、自分には理解できないということだけ理解して口をつぐんでいればよいのに黙っていられないのだろうか。もっと他人の人生に対して不干渉になってもらいたいものだし、自分もそう心がけたい。

2016/4/14

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