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高橋幸宏に魅せられて

高橋幸宏が好きだ。氏の長いキャリアから見たら、自分が追い始めた年月はほんのわずかな期間なのだけれど、音楽、ファッション、人となり、様々な面で初めて「こういう人になりたい」と思わせられるほどに魅せられた、そんな素敵な男性だ。



幸宏さんに出会ったのはご多分に漏れず、YMOからだった記憶がある。
Yellow Magic Orchestraの名前はもちろん知っていたけれど、当時「テクノといえばP-MODELでしょ」と平沢進やその周辺に傾倒していたので見向きもしなかった。

数年後、色々調べているうちに「テクノ」という言葉がくくっている範囲の広大さを感じ、色々な音楽を貪るように聴いていた過程でテクノ界の巨人・YMOにもチャレンジしてみた。初めて聴いたのは名盤と名高い「SOLID STATE SURVIVOR」だったはず。無機質なサウンドの裏にあるグルーヴと「未来の音楽」の雰囲気に一発KOされた僕は、そこからアルバムをすべて買い揃え、無事YMOフリーク(年代的にはYMOチルドレン・チルドレン・チルドレンくらいだろうか?)となったのであった。


そこから坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏それぞれのソロ・ワークスを追いかけ続けたのだけれど、一番好んでどっぷりハマったのは幸宏さんだった。
教授は現代音楽からポップス、実験音楽、細野さんはロックからエキゾチカ、アンビエント、カントリーと、それぞれ年代によって作風が異なる。
もちろん幸宏さんもニュー・ウェイヴ~シンセポップ~エレクトロニカと音楽性こそ変化してはいたのだが、一貫して「ポップ」をやっていたように思う。

初期であれば『NEUROMANTIC』が好きだ。
遡ること40年前の1981年に制作されたとは到底思えないような前衛的なサウンドは、どこか不安で悲しげで、光と影が同時に心に差していると思わせるような雰囲気をアルバム全体に纏わせている。

上記のアルバムに限らず、幸宏さんが書く歌詞はどこか弱々しくて、悲しげに思えてしまうことが多い。ロックのように夢や希望を説くのではなく、等身大の自分を見つめるような、ネガティブではないんだけれど決してポジティブでもないどっちつかずな人間が幸宏さんの歌詞の中には存在していた。自分も共感できる部分がすごく多くて、そこがリアルで魅力的だった。


そして幸宏さんから、METAFIVEを知る。
今では、自分にとって欠かせない構成要素のひとつとなった。

1stアルバム『META』はこんなにお洒落な音楽は後にも先にも出て来ないんじゃないか、と思うほど洗練されている。数十年後も繰り返し聴き続けているアルバムだと思う。捨て曲いっさい無しの名盤なのだけれど、強いて言うなら「Luv U Tokio」「Whiteout」「Threads」が特にお気に入りだ。

幸宏さんがいなければここまで音楽にのめり込むことはなかったんじゃないか、と思う。YMO、Sketch Show、METAFIVEに触れて、自分が聴く音楽ジャンルはどんどん増えていった。
特にMETAFIVEの影響はすごい。小山田圭吾(Cornelius)を知り、TOWA TEIを知り、そして個人的な憧れの男性として幸宏さんと双璧をなす砂原良徳を知った。その過程でFlipper's Guitarや電気グルーヴと出会うのはまた別の話である。



幸宏さんを初めて生で見たのは、2019年9月の新宿文化センターだった。


台風が迫っているなか向かった新宿で初めて観た幸宏さんのライブ。
その衝撃はすごかった。30年近く前の曲から最新のソロアルバムまで、新旧織り交ぜたセットリストの楽曲群は幸宏さんの作品群からのベストヒット的選曲で、4年経った2023年のいま聴いても古臭く感じることなく、むしろ先鋭的でカッコいいサウンドだった。

会場に掲示されていたポスター

なによりバンマスの高橋幸宏の歌声が、力強いドラムの音が、自分に忘れられない宝物となる思い出をくれた。


だけど翌年以降、体調不良などがあり生で幸宏さんを観る機会に恵まれなかった。2020年には脳腫瘍を患っていて、無事に手術を終えたという声明が公式発表された。とても心配だったけれど、本人のツイートを見たりしてひとまず安心していた。2021年も断続的にいろんなツイートをされていて、病気と向き合って頑張っている様子を窺うことができた。

2022年になって、ツイートの頻度も減りつつあるなか、高橋幸宏の70歳を祝うライブ「LOVE TOGETHER」を開催するという情報が発表された。

出演者の欄には、当たり前だけれど「高橋幸宏」の文字。リハビリは順調に行われていて、もう完全に復帰できるのかという思いがあったけれど、何より幸宏さんの身体を一番に優先してほしく心配していた。
そんなとき、公式HPからの発表が。

公演出演予定の高橋幸宏ですが、現在もなお闘病中にあり、出演が困難な状況になることもありえます。予めご了承ください。

9月のライブ出演に向けて、懸命にリハビリを続けていますが、思ったよりも時間がかかりそうです。少しでも皆さんの前に立てるよう頑張ります。応援よろしくお願いします。                  高橋幸宏

元々覚悟はしていたけれど「やっぱり間に合わないか」と思った。2022年6月以降SNSの更新はされていなかったし、最後にアップされた写真の姿が前年に比べるとものすごく痩せてしまっていた。
それでも好転することを望んで、迎えた当日。
入場口でスタッフから渡された2つ折りのカードには幸宏さんのロゴ。「リハビリを頑張り、主治医とも相談したけれど、出演は断念せざるを得ない。でも素晴らしい仲間たちの演奏をぜひとも楽しんで欲しい。」だいたいこんな内容だった。諦めはとっくについていたけれど、いざ当日に伝えられるとやっぱり悲しくて。

幸宏さんが選んだ高野寛率いるバンドと豪華ゲストの演奏は最高だった。個人的には小山田圭吾・LEO今井の「See You Again」、鈴木慶一の「ちょっとツラインダ」Steve Jansenの「Stay Close」、SteveのドラムをバックにLEO今井が歌う「Episode '87」が特に良かったけれど、最後、全員が出てきて歌い上げる「元気ならうれしいね」にすべてのメッセージがこもっていた気がする。


その後、幸宏さんの体調についての続報もなく、日常であり「なんでもない日」として迎えた2023年1月15日。

僕だけではない。
世界中のファンにとって、1月15日は「なんでもない日」ではなくなった。


一般人・著名人問わず、その早すぎる死を悼み、Twitterのトレンドは高橋幸宏関連のワードで埋め尽くされていた。朝起きたときにはその状態であったので、何となく事を察してしまった。これが復帰のニュースだったらどんなに良かったことか、と寝起きのぼんやりした頭ながらも悔しく思っていた。

多くのファンがそうであったように、1日中なにも手につかず、ぼーっと幸宏さんの音楽を聴いていた。

国内外のミュージシャンから贈られた追悼メッセージの多さに、本当に色々な人から愛されていたんだな、と改めて高橋幸宏の交友関係の広さと素晴らしい人となりを知る。
盟友のひとり、ピーター・バラカンがパーソナリティを務めるラジオでなにか言及されるのか聴いていたときの話。宛名も本文もなく、ただ一言「以心電信」と書かれただけのメールが届いたという。イントロを聴いた瞬間、耐えきれず泣いてしまった。曲が終わって言った「幸宏、じゃあな。」にバラカンが思っていること全てがつまっているんだろう。



公式Twitterより

幸宏さん、
最高の音楽を、そして「素敵な男としての在り方」を、
ありがとうございました。

少しでも、あなたのように素敵な男性になれるように。




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