奪われたもの、その残滓

 とあることがきっかけで、ふと、そう言えばいつ頃から研究やら学術的言語、雑篇の読み書きやらに執着するようになったのだろうという思いが水泡の如く浮上した。

 私は中学2年生では合唱、高校1年生では演劇に、それぞれ1年ほど携わっていた経験がある。それらの経験はいかなるものであったか、ここで詳細を語るようなことはしないが、一つ言えることは、この双方の--「芸術的」とも言えるかもしれないが--経験は、私にとっては原点回帰でもあり、resserectionでもある、ということだ。すなわち今の私は、それらの2度の「死」的イニシエーションを通過してきた「私」である。他の方々はどう思われるか知らないが、少なくとも私の現在意識の中では、確実に私の人生上には2つの深淵なる断層があると、そういうことになっている。

 合唱では「自由な声」を、演劇では「自由な身体性」を「封じられ」(その意味では、二つとも「声」であると言える)、残ったのは「自由な書き言葉」だけであった。

 巷では「忍耐力やレジリエンスを身につけるという意味で、部活動はさせるべき。結果的に勉学にも良い影響をもたらす」と言われる。そうした意見を耳にする度、少し強めの言い方をお許し頂ければ「寝言は寝てから言え」という心境に陥る。自分たちがどれほど残酷なことを強いているのか、吟味し承知した上で口にしているのだろうか。教育は実に様々な人が、様々な言い分をぶちまけ合う、格好の「エサ」だとつくづく思う。議論する分には勝手であるが、いつだって巻き込まれるのは子どもたちなのだということは、忘却の泡沫のうちに消えてしまいがちである。1年の経験がその後の数年間、いや、10年間に与えうる傷痕の深さ・昏さは計り知れない。

 FacebookやらTwitterやらで、哲学など出来はしない。結局私の文章も「いいね!」という「評価」の対象に晒されてしまうと考えると、全て馬鹿らしくなってしまうのだ。唯一残ってくれた「自由な書き言葉」までも制限されないためにも、やはり思索の拠点を移そうか、と考える日々である。

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