統一教会問題を考える
はじめに
今世間で騒がれている統一教会問題は、様々な問題が複数絡み合ったように発信され、なにが問題なのかが整理ついてない。
これはメディアの報道にも見受けられる。
この統一教会問題をきっちりと整理し、その一つ一つを考えていかなければ、真の問題解決には至らないのだ。
1.安倍元総理暗殺事件問題
この、安倍元総理暗殺については、事件として、犯罪を紐解いて行かねばならない。
殺人を犯した山上容疑者に特定して、その背景や実行事実を探るべきなのだ。
ここでは統一教会の問題は、あくまで犯行事実の背景の一部に登場するものであり、実際に犯行を統一教会や反統一教会等から示唆、もしくは指示されていなければ、それは単なる犯行に至る経緯の過程なのである。
犯行の背景とは、犯行そのものの有罪性を否定するものではなく、あくまで刑罰の酌量度合いを検討する際に重要となる事柄であり、罪そのものを無かったものにするもの(違法性阻却事由という)はない。
山上容疑者の罪は、「人を殺傷を目的に、その武器を作ったこと」「人を殺傷する武器を使ったこと」「特定の他人を殺傷しようと具体的に画策したこと」そして「現に人を殺傷したこと」である。
また、この場合、被害者が元総理であったか他の人だったかは、その罪の重さに影響しない。原則として人の命に差異はない。
量刑を検討する段階において、刑罰を軽減する度合いを減らす事には、多少は加味されることはあると思われるが、現職の行政執行者ではないので、それほど影響しないものとは考えられる。
2.統一教会系の団体と議員の接し方に関する問題
議員は選挙で当選したいと考えるので、あくまで集票のために、団体と言えるものに近づく。
連合や市民活動、宗教団体から民間企業まで、その幅は広い。
これは、宿命であるとも言える。全くそういう活動をしない者が当選する可能性は露骨に低い。
そして、その一環として、団体主催の講演会やパーティー、或いは機関誌等にも顔をだし、礼状や挨拶状、或いはビデオレター等も提供する。
また政治活動の費用を集めるために、パーティー券を売ったり、政治献金を受けたりもする。団体による政治献金は、様々な決まり事があり、その範囲内に限られているが。
しかしここまでは、現行の選挙制度の範囲なので、今は容認するしかない。
問題はここからになる。
①宗教団体の活動によって、政府の政策や公党または政治家個人の方針が具体的な影響を受けているかどうか。
本来、その人の信教にかかわらず、政治家個人から発せられる政策は、その政治家の経験や見識から生まれてくるべきものであり、教祖がこう教えたから私もそれに従ったという政策ではあってはならない。
しかし、これを規制するのはほとんど無理である。本人が内心から宗教の影響は受けまいという思いを持つ以外に手はない。従って個人はあまり問えない。
問題は政党全意としての主張や公約などに掲げる政策に対する影響だ。また、それを実行せしめんとする政府の政策への影響だ。こうなるとそこに信者以外の国民は不在となってしまう。これはそれこそ宗教団体とも政府或いはその政党とも距離を置いた研究者によって実態を整理し確認してもらわなくてはならない。
政教分離とは、信者や布教者が個人的に特定の政治家を支援してはならないということではない。
政治は、それが違法ではない限り、宗教の価値観や方針に大きな影響を与えてはならないということで、同時に宗教も政治に同様な影響を与えてはならないということである。
もしも、その宗教団体の価値観や教え、あるいは考え方や方針が、政策や公党の方針に影響を与えてたとすれば、それは大変重大な問題なのだ。もちろん、それにより政治が宗教団体の利益誘導につながっていたら、他の国民への裏切り行為であると言えよう。
②無差別殺人や霊感商法等の経済犯罪と言えるものに加担していた宗教団体との関係性がどうなのか。
かつてオウム真理教は無差別殺人という計画的犯罪を、教祖の指示のもとで実行した。従って、今では、オウム真理教から名前を変えても、その関係する団体と友好的にやり取りする政治家はいないであろう。
では、統一教会はどうだろうか。
統一教会はあくまで批判レベルだと、かつては様々な問題を抱えていた。しかし、その多くが不起訴などの形で違法性を問われ切っていない。
しかし、一件、正式に犯罪として有罪認定された事件がある。
2009年の「新世」事件である。
これは、裁判所によって統一教会関連と認定された会社「新世」が、ことさらに不安を煽って印鑑等を売りつけたという犯罪で、いわゆる霊感商法であり、裁判では罰金刑100万円が実行犯に命ぜられたと同時に、判決において、統一教会が献金や信者を集めるためにその会社を作り、統一教会幹部の指示で、この手口を展開したものと認定している。
オウム真理教とは世間に与えたインパクトの違いこそあれ、明確な違法行為である。
一応はどちらも二度と起こさないような事を言っているが、当時の統一教会側は「警察との関係性を築かなかったから検挙された」とまで言っており、今も霊感商法以外にも様々な手口で献金を集めているとの告発はあり、多くの被害者だと名乗る人がおり、その支援団体や弁護士が動いている。
つまり、名前を変えた元統一教会であろうと、オウム真理教と立場は同じで、政治家としては、もしオウム真理教を遠ざけるのであれば、同様に、統一教会も遠ざけるべきではないのかと思う。
無論、犯罪を行った過去があるから、それは未来永劫、どんな反省をしても認めないということではない。問題は、宗教組織の価値観として、その犯罪に至った経緯や解釈を真に改めていると確認できるかどうかなのだ。
統一教会の関連団体が、その後一切の類似な行為がなく、また被害者を出していないというのなら、現行の関連団体を受け入れることはできよう。 しかし、それはどうなんだろうかと甚だ疑問が残る。
ところが実際には、遠ざけるどころか、統一教会の方針や価値観に傾倒し、褒め称え、或いは講演やビデオメッセージ等で持ち上げ、その行動が団体にどのような使われ方をしているのかは無関心な政治家に溢れている。
憲法で信教の自由は認められているので、各人の入信については問えないが、多くの信者以外の有権者の支持も集める政治家として、モラルを問われても仕方がない。
また、もし①と連動しているのであれば、大きな問題なのだ。
3.統一教会系の団体における今もなお起きている事件の解明問題
さて、最後の問題は、政治家との関係性にかかわりなく、果たして統一教会系の団体は今もなお、違法な活動をしているのか、それともそんなことは一切行っていないのかの真実の追求である。
いわゆる反社会的勢力なのかを検証するべき問題である。
霊感商法事件は、多少は時の世間の注目を浴びたが、今もなお手口をかえるなどしつつも、相変わらずしたたかに高額の献金を集めていると噂される。
しかし、私はそれが違法だとは明言していない。なぜなら、違法性が明らかになっていないからだ。
違法性が確認されれば、例え警察と深い関係になっていたとしても、司法は動くだろう。
しかし、その事実はほとんど見受けられない。
だが、見受けられないからと言って事実がないとは認定できない。事実が報道されていないだけかも知れない。
ということは、①なんらかの陰謀的な力で司法やメディアの動きを封じられている ②行為が違法だと立証できない、またはグレーゾーンなところで行われており、法律が追いついていない ③あくまで過去から広がった噂で、事実はない ④単にメディアが関心を示さない のこの4つのいずれかの可能性も存在しているということだ。
なにを違法行為と特定するかが重要である。 法律で明文化されていないのであれば、立法も必要かもしれない。
だがいずれにせよ、明確でなければ、私たちは統一教会系の団体のことを何も言えない。
さいごに
統一教会は、今は名前を変え、団体を分派し、また関連企業を複数作って、広く展開している。
その実態を捉えて、もし過剰な金銭要求や関連物品の異様な売価設定、あるいは不健全な政治介入が見られたら、政教分離による政治の不介入事案ではなく、社会秩序の破壊につながるので、法律によって適度に活動を規制しなくてはならないだろうが、その作業はとても大変であろう。
絡み合った糸をほどくのは根気と執念がいる。
しかし、誰かがやらなくてはならない。
そして、その使命は、ジャーナリスト、公正取引委員、政治家、弁護士、司法職員、といった立場の人が負わざるを得ない。
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