#182長野県諏訪市

この記事ではブラタモリ#182に則って長野県諏訪市に関わる地理歴史の豆知識をまとめたいと思います。旅行に行った際は息子もしくは奥様に披露してポイントアップを目指していますが、うっとうしいと思われる可能性ももちろん秘めています。笑

山いっぱいの一見のどかに感じる長野県ですが、縄文時代はかなりの人口密集地だったらしいです。現在の長野県の人口密度は1平方キロメートル154人で全国38位。ちなみに全国平均は340人で、1位の東京都は6168人です。

縄文時代に人気の土地だった理由はすばり黒曜石が沢山とれたから!です。

まずはそんな縄文時代のおさらいです。

キーワードは①狩猟②漁労③採集④竪穴住居⑤貝塚⑥黒曜石です。

縄文時代の人々は、狩猟、漁労、採集を生業としていました。まず①狩猟は主にシカやイノシシを狩っていました。弓矢を引くこともあれば、落とし穴という罠を仕掛けて狩りをしていたようです。

②漁労は日本は島国ですから、容易に想像ができます。この時モリやヤスを鹿の角を使って作り、使われていたと考えられています。

最後の③採集はドングリなどの木の実を集めていたとされています。

そして住居に関しては、縄文時代=竪穴住居と覚えていいくらいの用語ですね。温度を少しでも一定に保つ為に数十センチ地面を掘って、切ってきた栗の木を4〜7本立て頂点が合うように建て屋根は茅葺きです。数棟が集まり小さな集落を形成していました。そのいわゆる生活ゴミを捨てていたのが⑤貝塚です。この貝塚が発掘されれば当時の生活が伺い知れるわけです。

狩りの道具や木を切るのにどんな道具を使っていたの?という疑問に答えながら、⑥黒曜石というキーワードの説明をしていきます。ここでブラタモリの諏訪のテーマ、なぜ諏訪に人々が集まったか?にも繋がります。

黒曜石を弓矢、モリの先端や使っていて、その黒曜石が諏訪周辺で沢山とれた。と言うことになります。黒曜石はマグマが急速に冷えた岩石の事で、諏訪湖の東に広がる霧ケ峰高原は火山活動によって作られたなだらかな高原です。

諏訪湖の成り立ち、黒曜石の成り立ちに欠かせないのが、糸魚川静岡構造線です。

糸魚川静岡構造線の西側のユーラシアプレートの南向きの力と東側のフィリピン海プレートの北西の力による断層で、その横ずれによってできたスペースに諏訪湖が出来ました。

諏訪湖の成り立ち
引用:大鹿村中央構造線博物館

糸魚川静岡構造線の東側をフォッサマグナと呼んでいますが、フォッサマグナ上にできた火山によって、黒曜石ができるわけです。

さらにさらに土を掘り起こすクワの先端に使われていた片岩も大量に諏訪周辺で取れたわけですが、これは中央構造線という構造線のの南側の地層からとれる岩石です。

1億年前の白亜紀にユーラシアプレート上の1つの島が未来の日本列島と引っ付きます。この境界線が未来の中央構造線です。ですので、この境界の北と南では地質が異なり、南側に砂岩と泥岩に高圧が加わってできた片岩が地表へ現れてきます。

その後、今から2000万年前に未来の日本列島が大陸から切り離されます。その後真っ二つに離れ、その間に堆積したエリアをフォッサマグナと言い、フォッサマグナの西の縁が糸魚川静岡構造線となっており、これらの構造線は日本の成り立ちにも関係する壮大な話に繋がっています。

大地の裂け目
引用:フォッサマグナミュージアム

どうやら、マインクラフトにも黒曜石が出てくるようですが、マイクラで遊んでいる息子にドヤ顔で説明したいと思っています。

#ブラタモリ #諏訪市 #黒曜石 #糸魚川静岡構造線 #中央構造線

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