ラグビーとあたくし

旧国立も秩父宮も行きやすい環境にあったので、よちよち歩きの頃から、大の明治ファンの10歳年上の従兄に連れられて、よく試合を見に行っていたようです←記憶にはないけど。

こどもの私には、ゴリゴリの明治よりもBKsで華やかに取りきる早稲田のラグビーがかっこよく見えました。

従兄が大学を卒業し、就職してからもそれは続き、日本がスコットランドに勝利した宿澤JAPANのあの試合も秩父宮で観戦していました。勝利の高揚感をよく覚えています。

ラグビー部に入部したのは高校入学と同時。
高校で初めて念願のラグビー部に入ったわけですが…顧問の先生は「女子マネはスカートのままで(ウチの高校は私服です)、にこにこ選手を見守り、練習合間の水出しだけやってくれればいい」というタイプの人でした。

先生は協会にも顔がきき、都大会レベルではレフリーもしている方で、部の中では絶対。でも、私はボール出ししたり、練習中のウォーターもやりたかった。
先生に頼みこんで、少しずつできることを増やしていきました。

ジャージの洗濯、練習試合のスコア記録、ビデオやスチール撮影など、メンバー外の選手でやっていたことを私も分担しました。でも最後まで練習中のボール出しはやらせてもらえなかったな…
合宿に同行したマネージャーは、部発足以来私が初めてだったそうです。

卒業後、ラグビーとの直接の関わりはOB会のマネージャー業くらい。
観戦では、高校の試合を中心に見に行ってましたが、ついでにのぞいたサッカーの試合で、出会っちゃったのですよ。
それが山沢拓也選手。この子がラグビーやればいいのにな~って。

翌年以降、名将横田先生に見いだされ、深谷高校ラグビー部に入部した彼は、見る間に高校ラグビー界の風雲児となります。
花園出場を果たした後、藤島大さんのラグマガ冒頭のコラムで「見つけた!」ってタイトルの記事を書かれたりもします。
すごい先見の明じゃない?って、ちょう鼻高々になるわけなんですが。

このことが深谷高校を応援するきっかけであり、今日まで続いているわけです。

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