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パート2 結局、脚本解釈ってなんだろう(カレーライス脚本解釈術6)

 1. 「ホンが読める役者」とは 「上」から見る編

 「脚本の解釈」とは何かを認識を確認しておく必要があります。

 「ホン(=脚本)が読めない役者が多い」ってよく聞きますが「読めない」とはなんでしょう。上から目線ですね。制作全体から眺めてみます。 言葉の本体に目を凝らしてみる。どういう時に発せられる言葉か。それはたいてい『監督(プロデューサー)と役者との間で脚本の話が「合わない」』時です。プロデューサー、監督が解釈について上から目線になりがちなのは話を脚本家と練りながら作っており(脚本の開発には1年以上かかる事もあります)理解する為の時間があるだけでなく、そもそも自分達の意向を反映させている事がほとんどだから、ですね。

そもそもホンは「完成」しているのか

 「ホンが読めない」という言い方はホンの完成度が高い事が前提です。ホンはまるで自然物と仮定されているような。でもその前提自体がマボロシだったらどうでしょう。開発現場から察するに、歪な事も珍しくないかもしれないのです。

 まず、脚本の制作現場は荒れる場合がほとんどです。小さい予算から大きな予算まで。例えば、超が付く大作映画。資金の出所から四方八方それぞれの立場からの多くの要求がホンに課されます。脚本家が次々に失脚、一番こだわりのない脚本家が残った、という脚本家間で有名な痛々しく哀しい話があります。

 誤解なきよう付け加えますがスター脚本家以外も職能で飯を食べている方々です。例えば、テーマのブレを生むくらいならばその作品の為に書いた最高にお気に入りのシーンも容赦なく切っています。例えばステーキと寿司が並んでいたら困るから最高にウマい中トロもえいや、と捨てる事ができます。端正込めて一番美しい部分をゴミ箱に無慈悲に捨てる事ができます。産みの親が。想像が難しいかもしれませんが、これは、本当に、ものすごく痛い。実際、私も2時間のドラマを書いていて、その中で最も好きなシーンが切るべきシーンになった事があります。こんな事あるんだなあ、と思いました。でも本当に一番痛いのは伝わらない事です。基本的にはそこまでして文字通り筋を通しています。

 では、ホンに口出しする人数が少なければ揉めないのか。違います。低予算だって揉めています。脚本家1人のクレジットの場合も監督、もしくはプロデューサー、またその両方と詰めて作っていく事がほとんどです。そんな中、脚本の制作中に皆が迷子になる事もざらです。原作があってもなくても「何の話か」を確認しなおしたりします。現在普通に活躍している私の友人脚本家も途中で何度も降りてます。数年しか仕事をしていない私でさえ、荒れなかった事、ありません。荒れないどころか珍事も多発します。

 例えば日本で4本の指に入る映画会社の実績あるプロデューサーが、プロット(話の筋)に「飾り」を付けてくれ、と言いました。おもしろい所を大文字にしたり、間を余白で表現したり、文章を漫画みたいに、と言う意味だそうです。それまで制作会社としか仕事をしてなかったので、その要求に出会ったのは初めてでした。予算はすでに決まっていて、スポンサー集めもない。つまり、そのプロデューサー1人の為だけに文章をマンガみたいに飾ってほしい、しかも大きな会社の素晴らしい受賞歴のあるプロデューサーが……。と驚きつつ3時間打合せし、取りあえず頑張ってプロットを仕上げました。

 作ったプロットを提出し、打合せに臨みました。プロデューサーは何分も黙り続けてます。長い打合せの中で自分との相性の悪さも分かっているので、仕事を請け負った人間として言いました。

「どこが間違ってますか」

「うーん」

「ではどこがあってるんですか?」

「1行もあってない」(300行中)

 紛れもなく、私の圧倒的な実力不足ですが……原作ありの脚本で、3時間打合せして1行も反映しない方が逆に難しいわ!

 「飾り」の発注を無視したのがいけなかった。「飾り」を一行もつけなかったので「1行も合っていなかった」と私は解釈してます。まさか、Ctrl+Bを押さないだけで1行も読まないと思いませんでした。もちろん、この結末は、私の脚本制作能力以前に、全然話を聞かない下請けとしての私の人間性を疑いを持たれた事から生まれています笑。それでも「飾りを付けないと僕は読めない」とは、信頼関係もない中、どうしても理解できませんでした。

 「飾り」繋がりで情けないのをもう一つ思いだしました。信頼する脚本家経由で知り合った監督から発注してもらいました。原作から2時間の映画の脚本を制作する仕事です。何か月も作業を経たある時、監督が原作にない、筋の上で理解できないシーンを書き足されていたので「あの、このシーンは何の為に付けたんでしょう」とたずねました。「あなたのホンみたいに『飾り』をつけてみました」と返されました。必要だから書いているシーンを『飾り』を付けていると思われていたのか! と衝撃的でした。それまでの数カ月、一体私達はこれまでどれほどコミュニケーションが取れていなかったんだろう、と思いを馳せました。それにしても、お互いの実力不足が過ぎる。

 で、何が言いたいか、です。愚痴がいいたい訳ではありません。(少ししか)

 読解力が素晴らしい人達も確かにいますが、そうでない人は役者だけでなくプロデューサーにも監督にも脚本家(原作からの解釈という意味で)にもいます。私自身が極小物だったので、お互い様でそういった方々に会う確率は高かったと思いますが。自主映画の世界でなく、普通にお金を使える人達がそうだったりします。だからもし「なんだかわからないホン」がやってきてもある意味その感想が正しい感想の時もあるかもしれません。

「解釈」とは

 そうして重大な事がもう一つ。あらゆる解釈ができるパターンがある事でです。特に古典などでは根幹に近い部分から複数の解釈が生まれたりします。細部に至れば、どのホンにあり得ます。

 「解釈」を「ウィキベテア」でどう解説されているか見て見ましょう。

> - 文章や作品や物事の意味を、受け手の視点で、理解したり説明したりすること。
> - 技法的な理解。
> - ある表現に対して同じ物の表現として別の表現を与える行為、あるいはその実際の置き換え行為。外国語や古典語の翻訳・現代語訳と同義になる場合がある。
> - 個人的・恣意的な理解の仕方(相対性・多様性・恣意性があることを喚起するための呼称)。

 最後の項をさらに詳しく見ると

> 注意を喚起させるための用法
> 同じ文章・作品・物事であっても、理解しようとする人の個人的な立場や関心によって、理解の仕方が異なる時に、その理解を「解釈」と呼ぶ。そこに相対性や恣意性があるということを注意させるために、あえて「解釈」と呼ぶ。

 要するに「解釈」は個人的、恣意的。個人それぞれどうぞご自由に、という面があるという事です。ゆらゆらして当然なのです。それでも大勢で作品を作ろうとするとき、そうも言ってられません。解釈のある程度の共有はどうしても必要です。

 では改めて、「ホンが読める役者」ってどう捉えればよいでしょう。私はこうまとめてみます。

  制作の権限を大きく持つ人達(話を作りたい、とプロジェクトを始動させたプロデューサー、監督)の作品を通してやりたい事を汲み、それを前提に脚本細部(構成、キャラクターなど)について、脚本が意図しているかぎり取りこぼさず理解しており、作品の意図を効果的に伝える為の演技の選択が高確率でできること。また食い違う時も、解釈を元に建設的な話し合いができる役者。

 それが、これがホンを読める役者と思われているんじゃないでしょうか。そして、これは「いい役者」とほぼ同じ意味かもしれません。

 偉い人達の意図を汲み、というのはわざわざお伺いを立てる、という意味ではありません。彼らのやりたい事は彼らが開発したホンそのものです。だからその意図を読む事が必要です。

 「金を出す側の言う事聞きましょう」に聞こえると、ちょっとがっかりですよね。もう少しキレイな言い換えを試みると、ゼロからイチにしようとする人が一番権限を持っている。それだけは動かしようがありません。

 そんな事を言っている私も若い時はトライしました。監督なしでプロデューサーと二人でノンフィクションの原作から映画脚本を開発した事ありますが、「おもしろいところ」の意見が皆目合いませんでした。性別だけでなく20ほども年が離れている、世代間の問題もありました。どうしても納得できなかったので、私は自分がおもしろい、信じるものとプロデューサーが欲しがるものを二つ書きました。2時間まるごと2本になりますから、もう、自分の為です。

 でも結局はプロデューサーが原作にほれ込んで始めた事ですし、その人がお金を集める人なので、私の「趣味」では力及びませんでした。皆さんもお客さんのエンターテイメントの為、と自分の思うところをプレゼンをしてみる事は良い事だと思いますが、制作の時点で一番偉いのはお客さんでなくて「言い出しっぺ」です。

 プロデューサーがなぜ偉そうにしていいか、という話を制作会社のプロデューサー自身がしていたのを思い出します。「だって、家を失うから。監督は失敗したって家失わないでしょ」監督だって家失う人います。大島渚監督「戦場のメリークリスマス」を制作する為に自宅を担保に1億円調達したという有名な話もありますね。人生そのものがかかってしまってるのでその作品においては「偉い」わけです。こういう事情も頭の隅に入れておけば、上と対立した時、作品に対する自分の覚悟、失うものと比較すれば冷静になれる時もあるかもしれないですね。失う物が大きい人ほどその声が大きくなる(影響力が強くなる)、という気持ちでよいと思います。

 皆さんが思うより少し哀しかったかもしれない解釈の本体を眺めたところで、次はもっと耳にする「ホンが読めない」の正体について、眺めてみます。そこから「脚本解釈」の作業内容を具体的に整理する作戦です。

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