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パート3 演技の為のカレーライス脚本解釈術(カレーライス脚本解釈術10)

4. 物語解釈作業のまとめとトラブルをシューティング

 ここまで来て、一通り作品のやりたい事が見ようと試み、自分の中の最大限にたどり着いても、何がおもしろいかさっぱりわからない時の事を考えてみます。

 大きく2種類あると思います。

一つ目 ホンの不出来、自分の読解力不足のせいでわからない。

二つ目 やりたい事は見えた。でも自分には響かない。

 原因二つ目から行きます。狙いは分かるけど同意できない時。一つ目を経てさらにこちらたどり着く哀しい場合もあるかもしれません。

パターンを考えてみると三つほど思いつきます。

A(作品の言わんとしてる事と)反りが合わない。普段思っている事と食い違う。

B(作品の言わんとしてる事を)かつて感じていた事あるけど今は響かない。

(作品の言わんとしてる事を)いつか分かるかもしれないけど、少なくとも今は無理。

 わからん=つまらん、でもないけれど、どんな理由にせよ、わからないまま演技を作るのは色々難しそうです。

 例えばA。あたり前ですよね。人間全員、遺伝子も経験も違います。

 でもそんな中だからこそ、これ、分かりますよね、と慰めに挑戦してるのが物語かもしれません。あなたが日々感じてるのはこういう事ですよね?と。

 村上春樹さんの小説は読者に「俺だけはこの感覚が分かる」と思わせるのが上手い、というのをどこかで見た事があります。だからこそ「ハルキニスト」と呼ばれる熱狂的なファンが生まれるんですね。マジョリティーではないけれど、という意味が含まれていそうです。そういうぎりぎりが面白いわけで、狭い範囲を狙っている作品であれば自分が「理解者」から漏れる可能性が高くなります。

 例えばB。そのままですが。反りの合わない主張同等に厳しい「……若いなあ」と過去の自分に通ずる時ですね。 

 そしてC。「感覚が理解できない、合わない」と感じるものの中には死ぬまでそう感じるものと、新たな人生を変えるような経験によっては急にピッタリはまるものだってあるかもしれません。今はわからないけれど、いつか分かるようになるかもしれない感覚だって当然ある。それがなければ、人間は進歩しない、変化もない、という事にもなるし。年をとり、周りも自分も常に変化していく中で、自分も変化するのが当たり前。

 Cについてはは、ちょっと英語のリスニングに似たところがあるかもしれません。自分の中に知っている同じような音があれば認識できる、というような所が。そうでなければ、雑音でしかない、というような所が。

 ただCタイプは、経験のありそうな他の人に話を聞いて、少しでも自分の腑に落とす努力は可能かもしれません。

 さて、「トラブルをシューティング」のタイトルをつけたのでここで終われません。簡単になんかピンとこないから「今回はやめとこう」とは、主要人物級でもなかなかできません。私が個人的に思うのは脚本家のように少人数の現場ならば、生理に反する作品は精神の消耗も激しいので辞退した方が良いと思います。本心から面白がってる人の方が適任です。

 でも役者は、そうも言ってられませんよね。むしろ、この作品ずっとやりたかったんだ、の方が少ないかもしれない。でも希望はあります。役者業はたくさんの人が関わる現場にいる、という事。それはつまり、時間と自身を含む関わる人の性質によって刻々と変化していく事だと思います。

 よほど生理的主張の違いでなければ挑戦していくしかないと思います。「つまらない、浅い、若すぎ」程度じゃ、やるしかない。自分が面白くするんだ、の気持ちで挑戦してほしい。何より、いちいちたくさんの経験値も得られるはずです。たくさんの経験なしに進歩は難しい。

 一つ、命綱はあります。AでもBでもCでも使える綱が。

 それは主人公の状態を基準に演技を作っていく事です。次の項で説明します。もちろん、以上のトラブルがなかったとしても必要な段取りです。

 では戻って一つ目。ホンの不出来、自分の読解力不足のせいでわからない、について考えてみます。ホンの不出来の時も自分の実力不足の時も、両方の時も良好な人間関係が助けになると思います。自分で基礎を勉強してみても分からなかったら人に助けを求めながら参加するしかありません。ホンが上手くない時も、皆で力を合わせるしかありません。

 ある部分が弱くても、その事を自覚している事は強みです。なんとかしなきゃならないと分かっている事は大きなポテンシャルだと思います。足掻く中で進化を感じられたら続けていける。

 努力したけど、どうしようもない、と感じたら。自分で期間を決めて、続けるのか、自分がもっと輝ける場所を探すのか選択するのがいいと思います。解釈の話から、急に仕事を辞める話になるのか、ど驚かれる人もいるかもしれませんが。作品がやりたい事を見つけられない、見つける事に意欲がわかない、という事は役者にとって根本的な不安だと思います。単純にそもそも本当に興味があるのか振り返ってみてください。 花だって元気なうちでないと散れません。桜が枝から折れると花は散らずに枝にくっついたまま枯れてしまうのを見た事がありますか。その時に、桜は花びらは力尽きて散っているのでなく、自ら手を放して舞っているのだと気が付きました。

 選択を迫られるときは長い事やっていれば一度ではないかもしれません。それまでに誠実に関わった人間がたくさんいるといいですね。相談できます。自己評価だけでなく他者に認められる強みも把握しておくべきです。励まされて続ける選択をする人もいるかもしれません。きちんと判断材料が揃って辞める選択をする人がいるかもしれません。逆に誰にも評価されてない事をバネに続ける選択をする人もいるかもしれません。都度、自分で選択している感覚が大切です。

 枝にしがみついて枯れるより「舞う」選択はその先に繋がりやすいと思います。楽しんで、離れた、それでいいと思います。それを「失敗」と誰かが呼ぶかもしれません。でもそれがなんだ。七転八倒の時間そのものがお宝です。無駄なわけありません。

つづく

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