素人表現者、その表現自己紹介に終わる

我ながら自虐的なタイトルだが
「素人」というのは「商業に絡んでない」ってことでなくて
成熟してない、という意味で使った。
先日の出来事から。
ふと立ち止まった店先、トランプよりも小さい額縁がかわいかった。
店の奥に入って額縁をみた。
店のテーブルに座っていた人が急に立ち上がった。
さっきから目の端に人影があったには気づいていたけど
速い動きに驚いた。
「ゆっくりご覧ください」
という。
絵の事を言っているのか。
額縁を見に来た私は、失礼かしら、とおもいつつも
期待を持たせてもアレだな、と。
「小さい額縁珍しいなと思って」
と、つい、言ってしまった。
でも許してくれるだろう。5センチ四方の絵だってある。
出入口から絵がかわいくて入ってくる人はいない。
「絵を描かれた作家さんですか」
と聞けば、正解。
そうですか。
その人は椅子に座らなかったので
なんとなく無礼にならぬよう
15ほどある絵のうち
「私はこの絵が一番好きです」
と言った。

するとその人は話す。
「ありがとうございます。絵本、書きたいです。
こうやっていれば、いつか絵本のお仕事来るかなって思って」
と明るい。

その「待ちの態度」は別に人によってはまちがっていないと思う。
そこにそうやって作品を展示している事は素晴らしいと思う。
死にもの狂いの営業もありだと思うけれど
結局、運によるところも大きいから。
でも何より、私の目から見てその人の絵に力がなかった。
その絵から伝わるものは
「私が好きなのはこういう感じです」
「私が好きなテイストはこういいう感じです」
しかなかった。どこかで見た事あるようなシャレオツな絵。

私にとっては
それは表現ではなくてまさに自己紹介。
私に見る目があるとは思ってなくて
他の人にとっては「表現」たるのかもしれないけど
表現とはこういう事だと思っている↓


自分の頭から見た世界の見え方を伝える事ができる事。
それが表現だと思ってる。
そしてそれがたまたま偶然運よく人の心を打つ時がある。

自己紹介でひとの心を打つのは難しい。
でもそうか、その人は「仕事が欲しい」のであって
「誰かの心を打ちたい」のではないから
その作品の感じでよかったのかもな。

演技だって歌だって脚本だって全ての表現に共通する事だと思う。
まだまだ入り口に立っている間は「自己紹介」でしかないって事。
世の中にあふれる「仕事」の中にもその程度の方が多いくらいだ。
この表に出てきちゃってるレベルが底上げされたら世の中精神的に元気になる人は増えるんじゃないかって本気で思う。
アンダーグラウンドには胸を打つものを作っちゃう人がそもそも最初から無数にいるんだけども

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