見出し画像

パート2 結局、脚本解釈ってなんだろう(カレーライス脚本解釈術8)

「ホンが読めない!」までの道、一本目は前記事で紹介しました。

「ホンが読めない!」までの道、二本目

 二本目は「キャラクター」の読み間違え、です。

 今、咄嗟にどの「キャラクター」の事だと思いましたか。

 例を見てみます。私が最後に自分で演出した自主映画のホンです。(この脚本はnoteに載せていません)

 妻子がいる、密に同性愛者の部長が、若い男性社員に気がある事を娘程の年の女性に気づかれます。しかも男性社員はその女性に夢中。女性は部長をソフトにからかいます。部長は「笑われたくないんだ、娘みたいな君に」と言います。

 リハで立ち位置のアイデアを得たいだけなので、感情を乗せないようお願いし、セリフを言ってもらいました。ところが役者さんはめちゃくちゃ叫んで怒ってセリフを言いました。「乗せるなと言われてもやっぱり感情が盛り上がってしまう」と、とてもいい事をした、という感じでした。でも私のイメージしていたものとはまるでズレていました。

 この場合のイメージと全然ズレてる! はどこから来たのか。自分のセクシュアリティーを嘲笑される事は不愉快でないわけありませんから、負の感情は間違っていません。では「一本目」の例のよう例のように構成の問題はどうでしょう。この短い短編は3人主役の話だったので、先のお母さん程、構成からの強い縛りはありませんでした。

 では今度こそ演出の趣味の問題でしょうか。演出があらかじめ抱いていた、おじさんキャラクターのイメージが違ったから? 脚本でキャラクターの関する情報、説明が足りなかったから? 違います。役の解釈を間違えていたからです。おじさんの解釈を? それよりむしろ「相手」キャラクターの解釈です。

 役を解釈する順番が大事です。この例では相手役の読み間違いですが、まずはなにより主人公、そして次に影響を与える相手(こちらも主人公の時も多い)です。そして最後に自分の役です。

 演技の本でキャラクターの話になると、なぜか自分の役の話しかされていません。自分の役の事なら「履歴書」をまで考えるのに、なぜ他のキャラクターに触れないのか。これは脚本を書く身からするとちょっと不気味ですらあります。自分の生まれた場所やら朝食のメニュー(作業の否定はしてません)をいくら積み上げてセリフの表現という「解」を出したとしても相手役のリアクションと齟齬があったら成立しないからです。

単純に言うと

3(発言する自分)+X(セリフと言い方)≒8(受け止めた相手の態度)

という方程式がもうあるわけです。(無論、こんなに単純じゃないですが、イメージ説明の為)。この値Xに100、入れないですよね。「5あたり」をいれるはずです。

 でも、おじさん役の俳優さんは100を入れてきたように見えるのです。

 様々な演技ツールは他の役について、当たり前として触れないのか、役者に先を予想させてしまう「悪」と扱ってきたのか、初心者を相手にしてないだけなのかわかりません。

 それでもこの私の分際で言いますが、この視点が初心者に触れられない事で生まれる物語の説得力の損失は大きい。この視点に違和感を覚える方いますか? それも全然不思議ではありません。これ以降の私の説明もこの調子の自分勝手で進んで行きますのでここでやめるか、進むか、選択してください。時間は大事です。

 1点で縛っておくより2点で縛られた方が安心してどこへでも全力で振り切れるというのが私の考えです。

 部長には実際の娘がいる。セリフから明らかなのはその娘と部長を笑う娘は重なっている。この物語はおじさん、部下、女性の3人全員が主役のような作りでした。そのセリフ以降、嘲笑った女性は少し方向転換しています。物語上、そのセリフで彼女は方向転換しなきゃならない。意地悪な彼女に響く言い方は何か、と考えます。

 では、演出(私)はどうしたかったか、考えてみます。

 実際にその役者がリハーサルで見せてくれた選択を動詞にするとほぼ、「恫喝する」でした。果たして「恫喝する」は彼女のようなキャラクターに一番効果があるのか。賢くて意地悪な女の子です。私は個人的に一番効果がなさそう、と感じます。(逆に「恫喝する」が効きそうなキャラクターも想像してみてください)相手に働きかけるやり方は発信側だけでなく、受け取める側のリアクションも同じ重さで考える必要がある。表情はわかりませんが、少なくとも行動とセリフ、その後の展開まで「解」が出ているからです。もちろん、自分のセリフ内容に引っ張られすぎてはいけないように、相手のセリフにも引っ張られすぎてはいけませんが。その後の「展開」に嘘はありません。発信側が「鈍感」という性質を持っていたとしても、それも計算の上でアイデアを出す必要があります。

 役者の人の個人の考え方が影響する作業ですね。こういう人はこういう事で反応する、など日常興味が湧いてますか。ここで大きな問題が起きるかもしれません。それまでの役者自身の経験の違いからいや、こういう子はこの言い方が一番心が動くはずだ、と役者が自覚的だった場合。それはもう演出との「感覚」の違いになってしまう。単に演出と「合わない」のです。経験も性格も人それぞれで、だからこそおもしろいんですが。

 感覚の気が付いたら時間の許す限り演出と話を交わしてください。演出の方が全体のバランスを見て決めて行く責任の重さがあるのは確かですが、少なくとも話す事ができます。もっといい「表現」が生まれる可能性もありますし、どちらかの妥協の必要があるかもしれませんがどちらにしても前進です。

 改めて解釈について整理してみて私が最も意外だと感じたのはここでした。解釈がきちんとされていても、演技作りの際の個人的感覚による表現選択部分にまで「ホンが読めない!」と言われていそうだ、と発見しました。「その演技違う」「本が読めてない」が「本の内容は読めてるかもしれないけど、キャラクターの性格についての考え方が俺と合わない!」などが含まれてしまっているようです。これでは言われた役者も混乱します。それでも正体が見えてくれば対処法も考えられますよね。

 ただ、あまりにも頻繁に、あまりにもあらゆるタイプの違う監督と、ことごとく感覚が合わないと感じる時、真剣であるほど息苦しいですから、まず、自分が日常で他者に興味があるか、問うてみてください。他者の態度にそれほど興味がなければ、職業として役者をするか改めて自分に問うてみるのが良いと思います。

 ちなみに私が役者ならば、このおじさん役のこのセリフをどう作るか。動詞※で考えてみます。

※: 動詞、他動詞を使って演技をする事は一つの演技創作の方法です。私はこれを知った時は自分の脚本が考えた通りに伝える事ができるぞ! と小躍りしました。『俳優・創作者のための動作表現類語辞典』という辞書も存在します。試された事がない方は是非、やってみてください。

 作用する相手の彼女の性格と、その後の展開から、少なくとも「乞う」。でもなんかおもしろくない。大胆に「リラックスさせる」「かわいがる」でセリフを言うのはどうだろう、試してみたい。これから詳しく解説する物語解釈、役の解釈を踏まえていれば、演技の選択が大胆になっても説得力は消えません。共同で制作する人達と感覚による違和感が生じても、修正も容易になるはずです。

 結論。「ホンが読めない!」までの道、二本目は役の個性を読まなかった、または読み間違えた事により効果的な表現選択ができなかった事。 そして時々、監督と「合わない」事。

 脚本解釈、作業内容が少し見えてきましたか。では、次のパートからやっと本題です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?