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フリージャーナリストは食っていけるのか?新聞社を辞めて独立した結果...

あっという間に会社を辞めてしまった

 我ながら、本当に考えなしだと思う。
 何の収入のあてもなく会社を辞めたからだ。

 12月8日に退職を決意した翌日には、社内で最もお世話になった上司に電話で報告。翌週には直接会って経緯を説明していた。
 ありがたいことに、「もう1年間だけ会社に残ってから考えないか」と慰留もして頂いたが、こちらも吹っ切れてしまっており、「会社に残って頑張るより、独立して自分の力で走り出したほうが面白いと思ってしまった」と率直な気持ちを伝えた。
 「『面白い』と言われてしまったら引き留めようがないな」。グラスを傾けながら呟いた上司の一言に、部下の感性を第一に考えてくれる優しさを感じた。
 結局その日は日付が変わって午前3時まで飲み明かし、日が明けてから二日酔いの体で外務省の記者クラブ(霞クラブ)に出勤したのを覚えている。

 その後は社内の上司や同僚に退職する意向を少しずつ伝達。
 だが、そこは流石の情報屋である記者の集まり。
 予想以上にあっという間に私が会社を辞めることは知れ渡っていった。

選挙に出ると勘違いされ…

 面白かったのは、永田町でも同様に私の話が広がっていったことだ。
 政治部の記者をしながらYouTuberもやっている「変わり者」という評判は前からあったので、話題にもなりやすかったのだろう。
 そして、私も知らないうちに「宮原が選挙に出るらしい」という尾ひれまでついて、噂は流れていった。

 政治部記者がいきなり辞めたかと思ったら選挙に出ていた、というのは永田町あるあるなので、私の退職の話も、勝手にそういう憶測を呼んだのだろう。
 人に会うたびに「選挙に出るの?」と聞かれ、「違います」と釈明しながら説明して回ることとなった。

 そんなことをしているうちに年の瀬が近づき、私は最後の冬休みを取ると同時に、今まで溜まっていた有給休暇の消化に突入。
 すでに新聞記者としての仕事は終えて、1月は全て休み扱いとなり、そのまま1月末に退職する流れとなった。

フリージャーナリストになった結果

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