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鯛焼きで締めていた週末

高校時代はあんなに熱心に通っていたのに、卒業と同時に自然と遠のいてしまった店の近くを、最近偶然に通りかかることがあったので立ち寄ってみました。

通い始めるずっと前から営業されていたそのお店は、鯛焼き店と名乗りながらもおでんも並べています。

内装は新しくなっているものの、年季が入ったアルミ鍋に、きちきち詰まった串刺しおでんとつゆから放たれる湯気と匂いに包まれた店内で、お姉さんがひたすら鯛焼き機で鯛焼きを焼いている光景はあの時と変わらず。

客が途切れることが無いので、大量に作り置きしておいた鯛焼きを発泡スチロールの中から取り出して渡すという売り方も、当時のままでした。

有名店なのでお土産で頂いたことは何度もありましたが、自身で購入するのは何十年か振りです。

鯛焼きを数個持ち帰り、自宅のレンジで温め頂きましたが、カリカリながらも野暮ったい位分厚い生地と、しっぽまでぎっしり入ったあんこは健在。

決して思い出補正は無く、自称舌の肥えた今でも本当に美味しかったです。

そのお店は、通学に使用していたバス停のすぐそばにあり、今でも若い子にも、懐かしの味を求めるかつての若い子にも大人気。

高校を卒業したと同時に通り道では無くなったので、私は滅多に行くことはなくなりましたが、学校帰りに友達数名とそこへ立ち寄るのが、土曜午後のルーティーンでした。

平成一桁時代には、土曜の午前中にも授業があったのです。

こんな風に、生活圏から外れてしまったため時間と共に忘れてしまった味とか、人生の中で実は限りなくあるのでしょう。

お金のなかった高校時代、ファストフード店や百貨店のフードコーナーなど、安くて長居出来る場所を求めて友人たちと散々ジプシーしていました。

その結果、当時麦茶を無料で頂けたその店に行きついたのです。

週末ごとに通いつめては10席も無い狭い店内に結構な時間居座り、卒業の打ち上げもそこで行いました。

今思えばプチ迷惑行為に近いだろうな。

当時の値段は、たい焼きが90円くらい、おでんは1本30~50円という価格帯だったとの記憶です。

先日寄ってみたら、何と鯛焼き120円、とこの物価高時代のものとは思えないほど値上げしていなくて、約30年越しに驚きと感動を頂きました(おでんも全て100円以下)。

いつもお腹を空かせていた高校三年生の昼下がり、食事代わりにおでんを3~4本注文し、鯛焼きで締めても300円以下だったのは嬉しかった。

今でも同じ金額でお腹も心も存分満たされそうです、ここだったら。

高校生当時は、いつもそこに(体感的には)1時間程お邪魔し、その間はずっとしゃべりっ放し。

おでんと鯛焼きを肴に友人と話すことといえば、教師の悪口、クラスメイトの噂話や恋バナ、受験勉強の事。

本当に些細なことばかりだけど、その時にしか出来ない話ばかりでした。

そこに、市内でも有名なお店の鯛焼きというアイテムが添えられていて良かったと、今になれば思います。

時を経て再び偶々手にした時、それに紐づいた昔のことを記憶から取り出せますから。

長い間続く老舗の力って本当に凄いなと今更気づきました。

ちなみにたい焼きの種類は、あんこのみ。

それで半世紀お店が持っているだなんて、どんだけなんだ。

そして思春期真っ只中である我々はそれぞれの悩みも当然抱えており、おでんの横には酒ではなく麦茶を添えて、おっさんのように延々と語り合っていました。

しょうがないから進学費用を捻出してやるという嫌々感を隠さない両親を持つ私は、子どもの将来に対し喜んで投資をする家族に恵まれた友達に対し、常にコンプレックスを持っていました。

なので友達の悩みに耳を傾けながらも、心の中ではそんな小さなことで悩むなんて羨ましい限り、なんて考えたり。

そして、肝心の私の成績はいまいち振るわなくて、どの方向を見ても不安要素しかなく。

そんなむしゃくしゃした気分を吹き飛ばすため、次の一週間を乗り切るため、鯛焼きを口にしてその週を締めて解散、という感覚でした。

実は自宅に帰った後も、夕食まで何かしら食べてはいたんですけどね。

土日も勉強から逃れられなかったので、区切りが無い状態ではありましたが、私の中では鯛焼きがその週のリセットアイテムみたいになっていました。


人生で立ち止まった時、そこから一歩進んだり、逆に引いてみたり、あるいはスキップしてみたり。

その繰り返しが遠い未来の自分を作っているのだ、ということを勿論知る由もなく、ひたすら目の前の鯛焼きをパクついていた青春時代(今も大してわかっていませんが)。

息切れしそうな大学受験の年代、週末に大好きな物を食べるため、大好きな友達と語り合うため、細切れにあの頃は生きていた気がします。

今はお酒を嗜むことでとりあえずその週を締めているという感覚かな。

そして今は今なりの細切れ生活を送っていますが、これが何十年かの良い未来に繋がっているもの、と信じたい。