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【今日コレ受けvol.061】やっぱりネコとヒトが好き

朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。

動物には、使命があると聞いたことがある。そばにいてくれた時、龍之介は私が甘えることができる唯一の存在だった。龍之介がいなくなった後、私は人に甘えられるようになった。

龍之介のこと【さとゆみの今日もコレカラ/第68回】|CORECOLOR


使命とはなんだろうか。

はじめての出産と、飼っていたネコ たびの高齢での病気が重なった。
しかも出産後ネコアレルギーを発症し、息子もネコアレルギーと判明。どうしても触れ合う回数が減ってしまった。

腎臓が悪く、毎週点滴に通ったけれど、どんどんたびは痩せてしまい、息子が1歳を過ぎた頃に亡くなった。18歳だった。

慣れない育児とアレルギーで、「十分に面倒を見てやれなかったのではないか」と、ずっと後悔が残っている。
もっと抱っこしてもらいたかったのではないか。たびはうちに来て幸せだったんだろうか…と。

2年ほど前にあるイベントで、「亡くなった動物の気持ちが視える」というスピリチュアル系の占い師さんがいた。半信半疑ながら、たびについて聞いたところ、「もう私の使命は終わって別の人生(ネコ生?)を生きているから、次に進んでね。ありがとう楽しかった」と言っているから大丈夫ですよ、とおっしゃった。

少しだけホッとしたのだけれど。
じゃあ、たびの使命とはなんだったんだろうか。


使命をあらためて辞書で引くと、「与えられた重大な任務、天職」とある。
そう聞いてふと思ったのは、息子のことだ。

息子には、1歳まで一緒に暮らしていたたびの記憶がない。でも時々写真を見て、なぜか「たびは僕のネコだ」と言う。「もうたびに会えないんだね。でもお空で見ているね」と涙ぐむこともある。

わたしは思い出すのが辛くて、あまりたびの話を息子にしていない。
なのに、息子とたびには確かな絆を感じるのだ。だからたびの使命はもしかしたら、息子の心のなかに住むことだったのかもしれない、と。
かなり勝手な解釈かもしれないけど、そうだったらいいなと思う。


ひるがえって、では、自分の使命はなんだろう。
与えられた重大な任務とは。

仕事? 子育て? それともなんらかの人助け?
まったくもって、果たせている気がしない。
というか、気づいていないのかも。

いやそもそも、「ただ生きて死ぬだけ」では駄目なんだろうか。使命もおそらく、人間が生きやすいように考えられた概念なのだから。

使命のある人生とない人生、どちらが幸せか。
答えは分からないけれど、できるだけ、人にたくさん出会う人生がいい。そして、その人たちと関わっていく人生が。良きにも悪しきにも。
あと、もう飼えなくても、たくさんのネコにも出会いたい。そっと愛でたい。

そうすれば死ぬとき、後悔は少ないのではないか。…と思うということは、まさかそれが使命?

なんだか面白い。
使命についてもう少し、意識して生きてみよう。
今はまだ見えていない、なにかが見えてきそうな気がする。

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