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朝日を見るために起き、夕焼けを見るために生きる

先日ニュージーランドに行った。人生の中でもさまざまな場所で心臓に焼きつく瞬間を味わっている。ニューヨークの世界一の年越し。ニースの海岸線。道東の屈斜路湖の心が震える景色。その一つに新たな瞬間が加わった。

人はなぜ生きるのだろうか?

ファイナルファンタジーに出てくるセリフにあったようななかったような。最近映画もこんなのがありましたね。

実は過去に大切な人を失った時なんで人は生き続けれないのか、突然いなくなってしまうのかと絶望しながらも考えていたことがある。突然何も言わずに家族から抜けた人もいた小さい頃の僕は小さいながらも人はいつかいなくなると諦める癖を持っているのも事実としてある。ダメージを喰らわないように必死に自然に身につけた能力である。客観的にみて入り込まないようにあたかも他人の出来事のように痛みを苦しみを逃してきた。

人はどこからいなくなるのか?

いなくなってなお。心の淵にい続ける存在とはどういうものなのか。考えのベースになっていたり、感情の起伏を作っていたり。子どもの脳は5歳までに決まるという本を昔読んだことがあるがまさに今の自分を作っているものはそんな別れの繰り返しだと感じる。「じゃあ生きてるくない?って思う。」「生きてるより生きてるじゃんって。」思う。

じゃあどういきたいのか?

皆皆さんはどうですか?ぜひこそっと教えてください。

向き合い、そらし、逃げてきた事がある。どう生きていくのか。結局はこことの向き合いに着地するのかと。じゃあどういきたいのか。わすれられない存在になりたいのか、万人が泣き悲しむのがいいのか、楽しく思い出を話してくれるようなのがいいのか、恨まれて蔑まれるのがいいのか。どう生きのかは「今の時間」をどう過ごすかの連続で。決してそれをまとめて名前はつけれないのかなと思う。

とにもかくにも朝日を見たい、夕焼けを見たい

ニュージーランドの毎日は朝日をどこで見るか夕焼けをどこで見るかを話し続けた。そして車から降りた名前のない素敵な場所(本当に野っ原)で味わい尽くすように見続けた。息を止めて。冬の冷たい空気を肺に含ませ、その空気があったかいものに変わるまで。この時間が好きだ。好きで好きでたまらなく感動して涙は出なかったけど口元が緩んだ。色が変わっていく、朝も夕も素敵な瞬間は同じではなくずっと変わっていく。黒く染まるまでずっとい続けた。今は正直この景色をなん度もなん度もなん度もみたいしこのために生きたいと思う。

心臓に焼きつく瞬間

ふと、この景色を見てこの景色を見せたい人がいると思った。それは自分の中で新しい感覚で一緒の行った友人にも話した。なんでかわからないけど一緒に冒険してこの朝日を、夕焼けを見て生きたいと思った。不思議な感覚。自分の心臓に焼きつく瞬間に見てどういう反応をするのか、どういう顔でどんなことを思い、どう言葉にするのか。踊り出すかもしれない。

最後に

素敵な景色を思い出しその時に書いたメモに雑記したものをnoteにしてみました。やっぱり旅はいいなと思ったのとそれよりも写真はいいなって思って始めてみたくなりました。ぜひみんなもニュージーランド行ってみてね

photo by @shuntaro

横浜→中野 現在はイベント運営企画,組織マネジメントをしています。