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「愛してる」と言うか、「愛させてほしい」と言うか

文章プロデューサー大竹ひろこです。


まずはこちらを読んでみてください。

いやなお方の親切よりも、好いたお方の無理がよい

古い都々逸

今どきの人は、「愛してる」と言えばいいのに「愛させてほしい」と言う。「信じる」と言えばいいのに「信じさせてほしい」と言う。恋とは人に焦がれること。自分のことより相手のことを先に思いやること。そして自身は痛い思いをしてもなお、その人の思いを支えたいと願うこと。愛されたいと思うよりそれが先なのでは? 愛とは、もらうものでなく贈るもの。

2015年9月30日朝日新聞『折々のことば』より抜粋


上記にある通り、私も「愛させてほしい」というのは何かおかしいと感じる。



愛したい。でも相手がそれを許してくれないならあきらめるしかない。そう思うのだろうか? 同様に「信じさせてほしい」に関しても、なにか尻のあたりがムズムズする。こちらが「信じています」と言ったら相手がイヤな顔をすると思うのだろうか。「あんたになんか信じてもらいたくない」そう言われたらもう信じないのだろうか。



「愛させてほしい」「信じさせてほしい」いずれにしても、こちら側の本気度が感じられない気がするのは私だけだろうか。相手の顔色ばかりうかがっていては動けないじゃないか。前に進めないじゃないか。私はそう思う。



だからといって、全力で相手にぶつかっていいのだろうか、ということも頭をかすめる。「いやなお方の親切よりも、好いたお方の無理がよい」そう言われればたしかにそうだと思ってしまう。人間関係は悩ましい。



自分を優先するのか? 相手を優先するのか? 人間はそんなことで悩んでばかり。でもだからこそ、人間関係はおもしろいとも言える。



あなたは人を愛した時、
「愛してる」と言いますか?

それとも「愛させてほしい」と言いますか?

私は「愛してる」と何度も言います。



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