私の身体を生きる/17人の書き手によるリレーエッセイ

性被害の内容を読むと男であることが恥ずかしくなる。欲が生まれてしまったとしても、相手を傷つけてまでやってしまう感覚が分からない。生物であるから、雄なんだからしょうがない、では済まされない。人間なんだから。綺麗事だろうか。

性に関しては、自分が持っている感覚が普通(一般的な感覚)だと思って生きてきたけど、映画、文学、エンターテインメントなもの、最近はSNSに触れると、むしろマイノリティに位置しているのでは、と感じることが多い。普通ってなんなのか。類は友を呼ぶ。周りにいる人たちの感覚は近しいのだろうか。純粋に、真面目に、茶化さずに、曝け出して話せる相手が欲しいとたまに思う。引かれると思うし、リアクションは難しいし、傷付きそうだけど。センシティブ。

普段は上手く覆い隠してはいるけれど、いっそのこと心の中のとんがってしまった部分を削ぎ落として、男とか女とか関係なく、誰とでもフラットに付き合っていけたらいいのにと思う。人間として生まれて、生きる。一種類であることで個体差を楽しめるような。女だから、男だからと、バイアスが作用しないように。そういう感覚で過ごせれば随分と楽に生きられるような気がする。もっと多様性を認め合いながら。

とか、ちょっと苦しい気持ちになりながらも一気に読みました。柴崎友香さんの書く文章は落ち着いた雰囲気が伝わってきて、改めて良いなぁと思った。藤原麻里菜さん、児玉雨子さんの他の文章も読んでみたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?