死なれちゃったあとで/前田隆弘

明日死ぬかもしれないとか、死なんて突然やってくるものだと思って生きているけど、正直現実味なんて感じていない。だから今日を無駄にしないように、とか思って生きられてはいない。垂れ流される毎日。生に執着がないと思っているけど、いざとなったら見苦しい程しがみ付くかもしれない。

最近よく会う人といえば会社の人ぐらいなもんで、と言っても小規模な会社だから一人としか会っていなくて、友達というものには暫く会っていない。学生時代は、ただ同じコミュニティにいたからつるんでいただけな気もする。社会人になってから一人でできちゃう趣味が増え過ぎているせいでもある。ほとんど会わないし、連絡も取らないのに友達と呼んでいいのだろうか。もう二度と会えなくても、友達と呼ばせて。

会わなくなった友達。連絡は取るけど気軽に会えない人。SNS上でよく話す人、たまに話す人、全く話さないけどずっと昔から相互フォローしている人。この人好きだなぁとか、この人の言ってること行ってるとこ好きだなぁとか、親近感を感じている人たちに対しては、元気にしているかなぁ、元気でいてほしいなぁといつも思っています。そういう人たちには、自分が死んだ時には連絡が行くのだろうか、とふと気になるけど、いつの間にかスッといなくなって、近親者のみでしめやかに弔われるのだろう。そういやいたよなぁどうしてるんだろって感じで、たまに思い出してくれたら嬉しいです。承認欲求も一緒に燃やしてください。

自分が死んだ時に悲しんで欲しい(悲しんでくれるかな)、泣いてほしい(泣いてくれるかな)、とかそういう欲はあるけど、好きな人を悲しませるぐらいなら、最後まで生き残るべきなんじゃないかなとも思う。俺が全ての悲しみを背負ってやる、みたいな。地球最後の生き残り。今で言う世紀末って21世紀末のことだと思うけど、頭の中のイメージは茶色いスーツを着たサラリーマンが崩れて火の出たビルの谷間であわあわしてる絵の、昭和に構想された20世紀末で止まっている。

とか、読んだあとはそんなことを思っていました。『40歳がくる!』から興味を持った雨宮まみさんが不意に出てきたことを含め、読み終わったら、とても気持ちがすっきりした。


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