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井坂勝之助 その13

江戸 幡随院長太郎邸宅
 
「えっ、それでは長太郎親分はご存知なかったので?」
「ああ、知らねぇ。てっきり井坂塾で静養されてるものと思ってたよ。
腕に矢傷を負ったと聞いて翌日見舞いに行ったんだが、大したことはねぇから心配するな、まあ飯でも食って行け‥と、それきり会ってもない」

「ふーむ、つれは竹蔵さん一人であったか‥そいつぁ物騒だな。勝之助様を射た奴は、警護の者と斬り合うこともせず自害しやがったので何も分からねえ。背後に何者かがいることは間違いねえことだ。
井坂塾でも、探索しているが、めぼしい成果は上がっちゃいねえ。
そこで、とりあえず関八州に情報網を持つ、辰五郎親分に助っ人を頼んだわけだ。
それが、まさか道中、勝之助様に会うとはな・・・」
「へぇ、そのような事情が分かっていたら、対処のしようもあったと思いますが‥申し訳ありません」
「いやいや仁吉さん、こっちも詳しい話は会ってからでもと思ってたからな、仕方ないことだ」
「へぇ、親分からは、おい仁吉、長太郎さんからの文では出入りでは無さそうだ。例によって何かしら情報が欲しいのだろう。
おめえ近隣の親分衆に声をかけて利け者を四〜五人集めてすぐにでも発て‥と」
「さすが辰五郎親分だ、察しがよいわ。
まっ、今日はゆっくりして酒でも酌み交わそう。
で、明日からでも、勝之助様を襲った男の背後を洗ってくれると有難い。
何しろ手がかりがあまり無い。よろしく頼む!」
「承知」
「そこで、これまで分かってることをかいつまんで・・・
その男、髪は総髪を後ろで括っていたらしい。
背丈はそうでもないが、筋骨はりゅうとして武士の体つきではなく手のひらは百姓よりごつごつとしていたとのこと、そして左の二の腕にカエデか八手の葉のような彫物があったらしい。」
「八手‥‥」
「どうかしたのかい?」
「いえ‥‥
分かりました。早速明朝より八方に散って探索してみます」
 
それから数日後、
「仁吉さん、もう何か掴めたのかい?」
「へい、左手の入れ墨ですが、少しひっかかることがあって、ずっと考えていたら思い出しました。
二年程前に、うちの若い者がよそ者と酒の上のいざこざで刃傷沙汰になったんですが、その時先方の一人が瀕死の状態になり、仕方なく当方で手当てをしてやったんですが、その男の腕にやはり八手らしきものの入れ墨があったんです。その時は、へえ珍しい彫物じゃねえかくらいであまり気にも留めませんでした。
その男は
「すまねぇ、酒の上とはいえ随分迷惑をかけてしまった。すまねぇがこれで水に流しちゃくれねえか」と言って五両もの銭を出しやした。
水に流すことは何でもねえが、この銭は受け取れねぇと突き返したんですが、野郎強引に銭を置いて出て行ったんです。
その時去り際に
「権現の仲間の所に早く戻らなきゃならねぇ‥」とか言ったような気が・・・
それで、すぐにその方面に詳しい連中にあたりましたら・・・
権現というのは箱根権現のことで、そのあたりの修験者集団で八手の彫り物を仲間の証としている連中がいるらしんです。
その者たちが、なにやら天狗党と名乗っていると・・・」
「箱根権現か・・・
関東における山岳信仰の一大霊場であったな。山伏など修験者も多かろう。
それにしても天狗党とはな・・・
こりゃ、一刻も早く勝之助様に伝えなくてはならんな」
 
つづく


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