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井坂勝之助 その12

湯治

「キュン!」という音が聞こえた時には既に遅かった。
左肩に焼け火箸を押し付けられたような痛みがはしる。
勝之助は、矢の飛んできた方向を注視し、二の矢を警戒したがそれは無かった。
恐らく、すでにその場所には居ないであろう。矢を放った時点で己が居所を知られるのである。一矢必殺を期し狙いすましたものであったろうが矢は逸れた。
この頃になると、勝之助の身を案じ、遠巻きに警護する者が数名いる。
既に捕えられているのかも知れない。

「竹蔵、矢を切るのじゃ」
矢じりには鋭い返りがある為、むやみに抜くと危険である。
「旦那、大丈夫で?」
「うむ、大事ない。しかし、全く殺気に気付かなんだ」
時刻は暮れ六つ少し前、目視で標的を狙えるぎりぎりの刻限である。そこに勝之助ほどの者でも油断があったのかもしれない。

翌朝、塾頭室
「塾頭、失礼致します」
「おお、上杉か、入れ」
「何か分かったか?」
「はい、あの後、警護の者が刺客を取り囲み、捕えようとしましたが自害して果てました。申し訳ありません」
「うーん・・・ただの曲者ではないか・・・ で?」
「はい、昨日来死体を検分し、本日より本格的に背後関係を含めて探索するよう手配を致しております。何か分かり次第報告申し上げます」
「うむ、頼む」
「では失礼いたします」と言って上杉が退出してほどなく、
「旦那お加減は?」と竹蔵が縁側から上がって来る。
「なに矢の一本や二本、どうということもないわ」
「ところで、旦那、上杉様が塾頭は昨今多忙に過ぎる故、この際、箱根に湯治にでも出かけられては如何かと・・・」
「何?上杉が?そうか・・・
 たった今、上杉が来ておったがそのようなことは一言もなかったな・・・」
「旦那、上杉様はかようなこと、面と向かって言えるような人ではありません」
「いかにもな」と言って二人で微笑む。

荒んでいた頃とはいえ、勝之助を斬ろうとした男である。
が当時の面影は今、微塵もない。
「よし、上杉の言葉にあまえよう。たしか塔ノ沢に手頃な宿があったな」
「委細承知、手配致しまする。
 ところで昨夜の件がはっきりしてからのことで宜しゅうございますか?」
「まぁ、そう気にすることもなかろうが、矢傷も少し癒えてからのことだな」

それから半月ほど経過したが、事件の手がかりは何も無く、またこれと言った事も起こらなかった。しかしこれまでも、妬み逆恨み等で襲われることは珍しいことでは無かったので、さして勝之助は気にしてはいなかった。

それからさらに数日後
勝之助、長旅に耐えられる程度に回復したため、竹蔵と二人で旅立った。
梅がどうしてもついて来ると言うのを振り切るのにはほとほと手を焼いたものである。
また、上杉は船旅の方が疲れないのではと勧めたが、
「道中の世情も見てみたい故、ゆるゆると参る」と言い含めた。
大島はさらに
「せめて馬をお使い下され」と食い下がる。
勝之助は流石に苦笑いを浮かべ
「ならば、よろしく頼む」

竹蔵が轡を取り、日本橋を経て品川へと向かう道中、勝之助は馬上の人となっていた。
そのころ、上杉は井坂塾の精鋭十名を選抜し、勝之助に気付かれぬよう後を追わせた。

前方に小さな茶店が見える。
「竹蔵、しばし休息してゆくか」
二人して緋毛氈の敷かれた縁台に腰掛け、茶をすすりながら、街道を行き交う旅人を見るともなく眺める。

「竹蔵、あれを見てみろ」
竹蔵、勝之助が顎をしゃくる方に目を向ける。
「ほぅ、これはまた伊達者で・・・」
一丁ほど先に、揃いの道中合羽に三度笠、腰にはこれまた揃いの朱塗りの長脇差の渡世人風の男八人が足早に近づいて来る。
旅人が振り返り、また道を譲り、この粋な渡世人の一団に注目する中、
勝之助主従が休息している茶店に勢いよく入ろうとする。
先頭の男が縁台に座る勝之助を横目でちらと見たようであった。
ややあって、その男が勝之助の所へ戻って来る。

「ごめんなすって、井坂様ではござりませぬか?」
腰を屈めて右手を差し出し脇差を背後に回す。
「いかにも井坂でござるが・・・お主は?」
「へぇ、手前、駿州は富士川に産湯を云々・・・」
「よいよい、あい分かった。で、おいらに何の用だ?」
「へぇ、手前これより幡随院長太郎親分がところへ与力に参る道中にて・・・」
「ほう、長太郎が処へな。おいらも長く会ってはおらん。よろしく伝えておいてくれ」
「へぇ、御尊顔を拝しましたること、この上なき誉に存じます。」
「ご尊顔?
そんなたいそうな顔じゃねえよ」勝之助、思わず苦笑する。

この様子を離れた処から見ている修験者二人に、勝之助主従は気付いていない・・・
     つづく

帯刀
苗字帯刀は武士の特権といわれているが、幕府は刀剣の所持について比較的鷹揚であったらしい。無論、二本差しとなれば話は別である。
旅人の道中脇差などはその典型であり、道中身を守るためのものである。
但し、刃渡りは二尺以下と定められている。渡世人等が帯刀しているものは長脇差と呼ばれている物で二尺以下であることは言うまでもない。
つい百年程前まで血で血を洗う戦国時代が終わったばかりで自分の身は自分で守るという戦国の風の名残りがあったものと思われる。
これは西部開拓時代、南北戦争を経た米国において未だに銃の所持が合法化されているのと無縁ではないのかもしれない。
また江戸時代になって世の中が平和になり、人口の急増や経済、文化が戦国期の反動で爆発的に発展したため、それらに対処する幕府の治安維持政策が追いつかなかったことが挙げられよう。


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