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包 丁

包丁

料理人である山森、商売柄包丁は用途により二十本程常備している。

素人の研ぎには限界があり、定期的に本職の研師にお願いすることになる。

 ある日、自宅近くのスーパーマーケットの店頭に、包丁の販売と研ぎの露店がのぼりをあげている。

「土佐打刃物三千円より」 「研ぎ 一丁 五百円より」

見ると、八十歳前後の老夫婦である。

「まともな研ぎが出来るのだろうか?・・・・・」

「すみません。四本研いでもらえますか?」

爺さん反応がない

「うち三本は土佐物です」

爺さんニカリと嗤う。

「へい、承知」

「で、お客さん名前は?」

「はい、山森です」

「へい、敦盛さんね」

「いえ、やまもりです」

爺さん、古びた大学ノートに、2Bの鉛筆を品よく持ち、思わぬ達筆で 「敦盛」

と書く。

「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり・・・」
信長出陣の折の舞として知られる。

爺さん幸若舞もやるらしい。

それとも小生が平敦盛に見えたのか。

いや、それはない。

敦盛、齢十六で没している。山森は65歳である・・・

夕刻、包丁を受け取りにいく。

「あの、研ぎをお願いしていました・・・」

「父ちゃん、ヤマモリさんやで」

婆さん敦盛に興味はないらしい。


ところで、この土佐打刃物、豊臣政権下(天正十八年)の総検地帳に鍛冶屋四百軒近くとあり既に隆盛を極めていたと思われる。
見栄えはしないが、軽くて薄くて、めっぽう切れ味が良いのである。
極限まで熱した鉄をこれでもかというくらいに、たたきに叩いて(自由鍛造)研ぎ澄ました業物である。

兵農分離以前の雑兵は、このような刀を藁帯にさして、戦場に駆り出され、さしたる軍功を上げることもなく、刀は折れ、曲がり、戦場の露と消えていったのではなかろうか・・・

などと想いを馳せていると・・・

「あの、もし・・・」と爺さん。山森の顔を覗き込んでいる。

「有難うございます。敦盛さん」

山森、小さな声で

「かたじけない・・・」

               完



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