井坂勝之助 その8
反乱
「竹蔵、それは誠か?」
「へぇ、手の者に一月ほど探索させましたので間違いありません」
「山鹿流軍学者・・・涌井庄雨か・・・門弟他浪人共を千人・・・」
「それが、浪人のみならず、貧乏旗本、地方の小大名なども呼応し、幕府の転覆を企んでいるやに、半年以内には江戸に結集し蜂起するのではないかと・・・」
との報告にございます。
「竹蔵、涌井なる者に会いに行くぞ。委細段取りを付けろ」
「旦那お一人で?・・・」
勝之助、ニヤリと笑い
「無論だ!」
竹蔵「ははっ」
渋谷村のはずれに結構大きな古寺がある。そこに涌井一統が結集しているという。
その人数はまだ百人足らずらしい。門弟他、主だった幹部であろう。
話は竹蔵がつけてある。勝之助、いつもと変わらず着流しに黒漆の豊後刀一振りの落とし差し。単身乗り込んだ。
「御貴殿が、涌井殿にござるか」
「いかにも涌井庄雨でござる」
年の頃は六十歳前後か、白髪交じりの総髪、痩せてはいるが眼光は鋭い。
涌井を守るように、両脇に各々三名、屈強そうな武士が居並んでいる。
若く血気盛んな様子が見て取れる。流石に刀は右側外向きに置いてはいるものの殺気は隠せない。
「井坂勝之助でござる」
「ははは、御高名はよく存じ上げております。
その井坂殿がまた如何なる御用で・・・」
「単刀直入に申し上げます」
涌井、無言で頷く。
「御貴殿の計画を断念していただきたい」
「ほっほー、これはまた・・・」涌井左右を見渡し大仰に驚く。
「さてもさても、一体何のことやら・・・」
勝之助、全く動ずることなくさらりと、
「不平不満の分子を糾合し、決起なされるやに聞き及んでおります」
「これはまた穏やかならず・・・
まるでみどもが幕府転覆を企てているかのように聞こえまするな・・・」
「違いますかな?」
「もしそうだとしたら、井坂殿、無事にここを出られませぬぞ」
「もとより承知」
「さすが聞きしにまさりますな」
涌井、居ずまいをただし、
「井坂殿ほどのお方ならご存知の事だと思うが、幕政はもはや腐りきっておりまする。
このような状態が続けば賄賂が大手を振ってまかり通り、悪徳官僚とそれを取り巻く悪徳商人・役人の天下となり、まっとうに生きている者が報われませぬ。
全国の外様大名は勿論、百姓・町人も我慢の限界に達しております。
我々は捨て石になっても、幕政の改革、出来ることなれば、幕政を壟断する幕閣を一掃し、我らが上様をお支え申す覚悟でござる」
「幕府を武力討伐なさるおつもりか」
「江戸城を急襲し籠城して一戦仕ります。そのうちに全国から呼応する者が次から次へと現れましょう」
「僅か数千人集めたところで、そのような大それたことが可能ですかな?
平和ぼけしているとは云え、旗本八万騎とは言いませぬが譜代・親藩関東周辺は将軍家の
親衛隊のようなものです。数万人の動員にさしたる時はかかりますまい。
憚りながら、我らが井坂塾の戦闘部隊は一騎当千の手練れの者が日々実戦を想定して訓練
しております。
幕府中枢とも密接に連携しておりますので沙汰があれば、先手を仕ります。
さらに我が部隊は、弓・鉄砲・槍・抜刀各部隊が、それぞれに騎馬隊を編成しております。
その数およそ八百騎。
我らだけでも千や二千の混成部隊であれば瞬く間に蹴散らしましょう。
涌井殿とて軍学者でござろう。彼我の差は歴然としております。
勝てますかな・・我らに・・・
いたずらに・・・国の行く末を憂う若者たちを死地へ赴かせまするか」
勝之助、穏やかな眼差しで涌井を見つめる。
涌井、暫くの沈黙の後、
「して、如何なされるおつもりじゃ」
勝之助、大きく頷き
「我らとても、今の世の有様につきましては、涌井殿同様危惧の念を抱いております。
同感と言ってもいいでしょう。しかし、無謀な決起には賛成致しかねます。
各々方ように革命的ではござらぬが、世の中を変えていく方法は他にもござる。
幕府とてまだまだ捨てたものではござらぬ。幕閣の中にも有能な人材はいるのです。
涌井殿が、先ほど危惧されていたことは、何を隠そう上様とて同じ思いなのです」
涌井、目を見開き、
「な、何、上様が・・・」
「いかにも」
これまで、目なじりを上げ、膝に置いた拳を握りしめていた者達の間に驚きの表情が浮かぶ。
堂内は変わらず静まり返ってはいるものの殺気は既に無い。
一同、勝之助の一言一句に聞き入っている。
涌井、
「このような男がまだ幕府にいたのか・・・」
己よりも遥かに若い勝之助の落ちつきように驚嘆する思いである。
「予の治世のうちに、天下万民の為の政治を取り戻すのじゃ。勝之助、そう心得よ!」
と仰せられておいでです。
「涌井殿、御一同、性急な行動は控えられ、上様の為にご尽力いただけぬか」
勝之助、座したまま、一尺ほど後ろへ下がり平伏した。
涌井は口を半開きにし、周りの者は呆然としている。
勝之助が頭をあげた時、一同我に返り、全員平伏するのである。