わが青春想い出の記 20 東京に着いた

 わが人生想い出の記 20 東京に着いた

 自分は荷物もそのままにして父母と洋子に手紙を書いた。父母への手紙より洋子への手紙が自然に長くなったのは仕方なかった。

「今、東京に着いた。東京に来て最高の喜びは君からの手紙が待っていたことである。船旅中は船酔いで食事も碌々取れず、横になったまま君のことばかり考えていた。それでも今回の航海は珍しく好天に恵まれ、「こんな穏やかな航海は初めてだ」と、毎年帰省していると言う学生は言っていた。僕は、
「それはある人が祈っていてくれるからです」
と、言ってやろうと思ったが黙っていた。言えば、それは誰だと聞くだろう。そうなれば君の名前を言わずにはおられない。それはいやだ。絶対にいやなのだ。僕以外の男性に君の名前を知られたり、君の存在を知られたくないからだ。君は「欲張り」と思うかも知れない。しかし僕は出来ることなら、君のからだ丸ごとポケットの中に仕舞い込んで誰にも見せないで隠しておきたい。だから黙っていた。

 那覇へ向う船の中で、父が「佐々岡の娘はいい娘だ。お母さんにも見せたかった」と言っていた。君は家族の皆からも歓迎される可愛い素敵な妻だ。君が良妻になってくれるのは嬉しい。そして今まで通りの快活な女で、少しオテンバな女であって欲しいとも思う。君が妙に落ち着いて神妙な女になるのは柄にあわないように思う。だから今まで通りいやもっと快活で元気でいて欲しい。僕が引っ込み思案の方だから、快活で朗らかで、屈託のない女がいつも傍にいてくれると大変に助かる。君はその点でも理想的な女だ。僕はそんな君に巡り合えたことを幸せに思っている。僕はこれから君のことを「お前」と呼ぶように練習しようと思っている。

僕はもう帰りの船も決めた。帰りも日本海汽船㈱の白山丸にしようと思う。白山丸だと那覇直行だし、船体も大きく所用日数も短いからだ。月日は3月27日だ。

卒業式は3月25日だからその2日後だ。卒業試験はその前に終り、卒業単位が取得出来ておれば、その時点で帰ることも可能ではあるが、それだと苦労して学資を送ってくれた父親、家族にお土産がない。卒業式に出席し、卒業証書を持って帰るのがせめてものお礼と思うからそうしたいと思う。
日数にして3日程度遅れるが当初の予定より5日早くなる。ことが予定通り運べば、3月30日に那覇の港に着くはずだ。まだ200余日以上もあるのでウンザリするが、そのあとの楽しみを考えると贅沢は言えない。

那覇で手紙やはがきを出したので見たと思う。美しい景色に出会うとき、美味しいご馳走を食べる時、いつも洋子がそばにいたならば・・・と悔やんだ。そして次回、ここに来る時は必ず洋子を連れて来ようと心に誓った。その時はお前に似た可愛い子供も一緒かなーと考えたり、微笑ましくもなる。あと210日。210日過ぎればまた楽しい1日が始まる。

僕も君の真似して210個の丸を書き、それを壁に貼って明日の朝から一つずつ消すことにする。一日、一日と丸を消すのが楽しみになってきた。
今、君から貰った写真の一枚を机の上に置いた。もう一枚は入り口のドアーの内側に貼った。出かける時、
「行って来るよ」と、言えるようにと考えてのことだ。さらにもう一枚は押入れの戸に貼った。これは寝るとき「お休みなさい」
と、言うためである。これでどこを見ても君と向かい合うことができる。
ここは君と僕の2人の部屋だ。急に明るくなった気がする。机の上に飾った写真に
「ただいま」
と、言うと、君はニッコリ笑って
「お帰り」、
と、言っているような笑顔で迎えてくれた。その笑顔がとっても可愛い。美くしい。
「ごめんね。船の中では船酔いで辛い思いをさせて・・・」と、詫びました。僕って優しいでしょう。これからはもっともっと優しく良い夫になりたいと思っている。それでは3月30日に会いましょうね。」
   愛する洋子様へ                    智                                        
                                                    

                                              

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