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【SFC対策講座/用語③環境デザイン】対策問題つき

(1)SFCでは「環境デザイン」的思考が重要

「環境デザイン」という言葉は、かつては主に建築学で用いられていた。個別の建築物の中の空間デザインだけでなく都市計画の構想として 語られるようになり、特に近年では地球環境問題との関連で考えられることが増えていった。

また、「環境デザイン」には、アートのなかでのヒトとモノや場所との関係という文脈も含まれている。

慶應義塾大学環境情報学部や総合政策学部では、「環境デザイン」をさらに発展的に捉え、「デザイン」の領域を現代社会が直面している問題解決のための方策やテクノロジーにまで裾野を広げて考えようとしている。

それは、あとで引用する慶應義塾大学環境情報学部長、脇田玲の挨拶からも読み取れる。

SFC対策としてまず初めに何を学ぶか、と考えるとき、私は迷わず「環境デザイン」と答えるのは、このような理由による。

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(2)対策問題

資料を参考にして、以下の設問に答えなさい。

問題

資料①の太字「デザインが薬だとすれば、アートは毒です。安心、安全、便利、健康な生活を作り出す上でデザインによる問題解決は欠かせません」とあるように、現代社会の課題解決のために未来をデザインしてください。(字数制限はなし)

その際、資料②の太字「一瞬、一日、一月、一年、一世代、数百年、数千年、そして地球や宇宙の時間」といった具体的な時間を設定したうえで、考えること。また答案には必ず「環境」「情報」「サービス」「資本」の言葉を最低1回は用いること(複数回使ってもかまわない)。

資料①

現代のクリエイティブマインドを学ぶ場所
慶應義塾大学環境情報学部長 脇田 玲

環境情報学部ではデザイン、アート、サイエンス、テクノロジーを横断的に用いながら、多様な研究を実践しています。
デザインが薬だとすれば、アートは毒です。安心、安全、便利、健康な生活を作り出す上でデザインによる問題解決は欠かせません。しかし、人間は刺激や害になるものも求めずにいられません。問題そのものを発見し、アートを通してその中に入り込むことで、人間性とは何かと問い続けてきました。
サイエンスが謙虚さであるとすれば、テクノロジーは欲望です。科学を通して自然の叡智と向き合うことで、足るを知る心や物事を広く捉える視野を得ることができます。一方で、人間は己の欲望に素直になり、高みを目指す成長心も持っています。テクノロジーを駆使することで、人間は自らを満たし、自らを拡張し続けています。
さて、現代においてクリエイティブであることとは、デザイン、アート、サイエンス、テクノロジーを自在に駆使できることに他なりません。環境情報学部はこれら全てを横断的かつ実践的に学ぶことができる世界でも稀有な場所なのです。

資料②

構造デザインの意味

① (前略)講義のタイトルにしている「構造デザイン」という言葉について考えてみます。なぜ最初に構造にまつわる難しさや困難さについて語ったかというと、まず君たちを取り巻く状況を知ってもらいたかったのと、これらの問題に対処するには、勉強も大事ですが、なにより柔軟な思考と全体に対する想像力を鍛え上げることが不可欠だ、ということを伝えたかったからです。簡単に言えば、人間の体験や感性、すなわち経験と勘、そうしたものから得られることへの信頼についてです。そこに至るにはデザインについて考えることです。デザインは、エンジニアにとって必須の素養であり、より高度で豊かな全体に至る唯一の道だと信じています。

② 最初に述べましたが、「構造デザイン」、このタイトルはよく考えてみると言葉としては矛盾しています。矛盾しているからこそ面白いのです。「構造」はメカニズムであリシステムです。一方「デザイン」は心理的なものです。この二つを繋げることがこの七回の講義です。(中略)

③ まず、「構造」についてわたしがどのように考えているか表明せねばならないでしょう。構造とは何か。最初にも話しましたが、わたしは、建築や土木の構造の意味と役割は、「一Gの重力場で地球上の物質を使って人間の生活を可能にする場を構築すること」、だと思っています。宇宙空間や月ではない、一Gという重力場を持つ地球で、一七〇cm前後のある程度決まったサイズを持った人間が生活するためのシェルターや構築物を、地球にある物質の石、鉱物、木、布などを使ってつくる、というのが構造の基本的な意味です。仮に、重力場が三Gだったら構造は全く異なる姿形になるはずです。また、人間の身長が四mだったりしたら建物の形式もそれを構成する構造も全く異なるものになるはずです。これが構造の根源的な意味です。

④ 次に、「デザイン」とは何かについて説明します。こちらは少し複雑です。デザインという言葉は、大変頻繁に使われますが、実はこの言葉の意味を正確に説明出来る人はあまりいません。みんな分かっているつもりでも、改めてよく考えてみると、全く本質が分かっていない、というのはよくあることです。西欧発の言葉としては珍しく正確には定義されていないのです。多分、西欧の人も答えは各人各様で、正確には説明出来ないはずです。誰もデザインについて正確に語れないのですから、長い講義をする前に、わたしはわたしなりに定義しておく必要があります。

⑤ わたしは、「デザインとは翻訳すること」だと考えています。これはわたし独自の定義です。土木に籍を置き、数多くの土木のエンジニアと接するようになって、「デザインとはどういうものですか」と質問される機会が圧倒的に多くなりました。建築関係の人と会っている時は、そこで交わされる会話の中で、「デザイン」という言葉が出てきても、誰も意に介しません。その意味はどうやら自明のことのようなのです。でも、実は建築の人も、曖昧なままなんとなく使っているだけで、よく分かっていないのです。建築分野においても、「デザイン」という言葉を再定義しておく必要があります。

⑥ さて、そういうわけで、経験上、身につけた説明の仕方を披露します。なかなか良い線を行っているのではないかと自負しています。説明は、三段階に分けてするようにします。最初は初心者用、次に、少し分かっている人、さらに、かなり分かっている人、と相手の理解度を見極めながら順を追って説明するようにしています。土木に限らず工学系の人には、このやり方が最も分かりやすいようです。

⑦ 君たちも経験があるでしょう。ひどい翻訳の本に出会うと、原作の意図が分からなくなるだけでなく、イライラします。誤訳に至っては、論ずるまでもありません。一方、素晴らしい翻訳もあります。ごく稀にですが、優れた翻訳の本は、原作よりも本質をうまく伝えてくれます。優れたデザインとは、優れた翻訳のことです。では、「何を」翻訳するのでしょう。

技術の翻訳

⑧ 一つ目は「技術の翻訳」です。

⑨ 橋梁や建物には多くの優れたテクノロジーが使われていますが、専門家以外の人、つまり技術のことなど何も知らない普通の人に、その良さやスピリットを分かり易く伝えるには、それを分かり易く翻訳する必要があります。その翻訳がないと構築物はただの技術で終わってしまいます。日本の土木、とくに戦後の土木分野には、世界に冠たる素晴らしい技術がたくさんあるのに、それを一般の人に向かって翻訳する努力を怠ってきました。公共事業が中心だったので、専門以外の一般の人に対して開かれていなかったのです。でも、これも妙な話です。公共事業なのですから、一般の人の理解は不可欠なはずなのですが、経済復興に必死でそこまで気が回ってこなかったのです。専門でない人は、姿形に興味を抱き、美しさに心惹かれ、直観で理解します。技術が生み出す価値を一般の人が理解出来るようにすること、そのように翻訳すること、すなわちデザインすることによって、技術は初めて社会に対して開かれたモノになるのです。この「技術の翻訳」というのが一番単純で分かり易い「デザイン」という言葉の説明です。

場所の翻訳

⑩ 二つ目は「場所の翻訳」です。こうなると少し高度になります。「技術の翻訳」に加えて、「場所の翻訳」も必要です。場所の持っている固有の価値を翻訳出来なければ、すなわちデザイン出来なければ、構築物はその場所に存在する必然性を失ってしまいます。地球上のどこでも同じもので良いと言うことになってしまいます。これが二十世紀の建築と土木を大きく支配したモダニズム〔注1〕の犯した過ちです。モダニズム、特に建築におけるモダニズムは、「技術の翻訳」には精力を使いましたが、「場所」の固有性に関しては一貫して冷淡でした。「技術の翻訳」だけでは不足です。合理性や教条的なイデオロギーだけでは、構築物は存在し続けるエネルギーをその場所から得ることが出来ません。あらゆる構築物は大地と共にあるのです。また、その気候風土の中でしか存続できないのです。ですから、構築物が存在する場所の持っている特性を理解し、誰にでも分かるような姿形としてデザインに活かすことが大切です。これが「場所の翻訳」の意味です。

時間の翻訳

⑪ 三つ目は一時間の翻訳」です。

⑫ こうなるとかなり難しくなってきますね。人は時間を感じ取ることは出来ても、見ることは出来ないからです。わたし自身、このあたりについてはいつも暗中模索です。「時間の翻訳」は、現代のデザインに突きつけられた最も困難で大きなテーマです。これが出来れば本望、といった類いのモノです。様々な時間があります。一瞬、一日、一月、一年、一世代、数百年、数千年、そして地球や宇宙の時間。どんな場所にも、様々な形で時間は流れ込んできています。どの時間と向き合うのか、答えは様々です。君たちが自分の設計する構築物に、例えば百年単位の時間を与えようと思ったとします。そうしたら、その時間を想像する必要があります。しかし、いきなり百年後なんていってもよく分かりません。それを感じ取るのに、ひとつ役に立つやり方があります。

⑬ 百年後を想像するためには、現代を起点に百年前を想像してみることです。そうすると百年という時間の重さと意味が分かってきます。現在の百年前は、一九〇四年ですね。明治三七年です。日本は日露戦争の真っ最中です。世界で最初の量産自動車であるT型フォードはまだつくられていません。ライト兄弟は一九〇三年に空を数十m飛んだばかりです。そう考えると愕然としますね。その距離を実感した上で、今度はそれを未来に延ばしてみることです。今取りかかろうとしている仕事の成果である構築物が百年存在するとしたら、その構築物はそういう時間をくぐり抜けていくものだ、ということが実感できると思います。そうすると、小手先のデザインで誤魔化そうなんていう気持ちは消えて無くなるはずです。

⑭長い時間にせよ短い時間にせよ、どんな構築物でも、その場所に流れている歴史的な時間をうまく構築物に受け継がないと、その価値を未来に受け渡すことはできません。時間を翻訳するためには、その場所に流れている時間を理解し、想像する感性が必要です。歴史について学び、敬意を払い、その上でそれを受け継ぎ、未来に対して提言するのです。これが「時間の翻訳」という高度なデザインの意味です。大変難しい目標ですが、究極の目標として掲げるだけの価値はあると考えています。近代二十世紀の建築や土木では、「場所」と「時間」という二つの要素は一貫して無視され続けてきた、と考えています。常に関心の中心は「技術」でした。「技術の翻訳」も誠意のある限られたエンジニアや建築家の手で行われましたが、ほとんどのものは経済が優先されて、それさえも往々にして翻訳されてきませんでした。早く安くつくればいい、という考え方です。これは明らかに偏った考え方です。これまでわが国では、戦後の経済復興が第一の目的でしたから、この傾向が強かったのです。しかし、これからは人口が減少に転じ、世の中の雰囲気も変わりつつあります。二〇〇三年に国土交通省が発表した「美しい国づくり政策大綱」〔注2〕が語っているように、これからは丁寧に世の中をつくっていこうという気運が生まれつつあります。今後、建築や都市計画、土木の仕事をする場合、この「技術」「場所」「時間」の三つを意識し、それをどうやったら誰にでも分かり易い姿形に翻訳出来るかを強く意識しないと、社会的な合意形成をすることができなくなってくるのではないかと感じています。

〔注1〕 近代の普遍主義をその基本に、合理性と機能性を重視した芸術運動。一九二〇年代にヨーロッパに起こり、その後世界に広がった。
〔注2〕 戦後の経済発展の中での整備の在り方を見直し、社会資本の量的な整備から質的な整備への転換を図った政策大綱。翌年、景観法が制定される。

(『構造デザイン講義』内藤廣、王国社、2008年、P26~32)

資料③

「生態系サービス」

① 生物多様性は,人間社会が生態系から受けるあらゆる利益を意味する生態系サービスの源泉である。生態系サービスは,次の4つのグループに分類される。①資源の供給サービス:食料,燃料,建材,繊維など,暮らしや生産に必要な資源を供給するサービス②調節的サービス:地球温暖化の緩和,穏やかな気象の維持,水の浄化,防災・減災など,私たちが安全に,快適に暮らす条件を整えるサービス③文化的サービス:感動,楽しみ,学びの機会など,精神的な満足につながり,芸術の源泉ともなるさまざまな刺激を与えてくれるサービス④基盤的サービス:①~③の直接ヒトが利用するサービスを生み出す生態系のはたらきを維持するための一次生産(光合成による有機物の生産)や生物間の関係など,生態系の基盤を維持するサービス① この地球上にヒトが出現したときから,その暮らしも生産も,これらのサービスに依存してきた。時代によりとくに重要なサービスは変化することから,現在は利用していないが将来重要になるサービスもあるはずである。将来の世代にとって重要となるサービスの潜在的な供給可能性を失わせないようにすることが生物多様性の保全である。基盤的サービスを維持することは生物多様性の保全にとっても重要である。

② ヒトは,特定の生態系サービスをより多く利用するため,土地利用やその他の人間活動を通じて生態系を改変してきた。近年になると著しい改変により,生物多様性が失われ,他の多くの生態系サービスやその潜在的供給ポテンシャルが失われることが多くみられるようになった。現代の大規模な農業・林業などは,特定の生産物の供給サービス提供のみを強化することで,生物多様性喪失の主要な原因となっている。

③ 今では多くの人が都市に居住し,消費者として遠隔地のサービスに頼るようになり,原産地においてどのような問題が生じているのかを認識することが難しくなっている。

④ 生態系サービスのうち,精神的な充足にとって重要な文化的サービスは,太古からの自然に抱かれて生活してきたヒトの「心」の適応進化とも深く関係している。子どもの心身ともに健やかな成長に欠かせない「自然とのふれあい」は,そのような根源的な文化的サービスを享受する機会としてとくに重要であるといえるだろう。

(『絵でわかる生物多様性』鷲谷いずみ、講談社、2017年、P22~23)

資料④

ゆたかな社会とは何か

①ゆたかな社会とは,すべての人々が,その先天的,後天的資質と能力とを充分に生かし,それぞれのもっている夢とアスピレーション(注1)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり,その私的,社会的も貢献に相応しい所得を得て,幸福で,安定的な家庭を営み,できるだけ多様な社会的接触をもち,文化的水準の高い一生をおくることができるような社会である。このような社会は,つぎの基本的諸条件をみたしていなければならない。
(1) 美しい,ゆたかな自然環境が安定的,持統的に維持されている
(2) 快適で,清潔な生活を営むことができるような住居と生活的,文化的環境が用意されている。
(3) すべての子どもたちが,それぞれのもっている多様な資質と能力をできるだけ伸ばし,発展させ,調和のとれた社会的人間として成長しうる学校教育制度が用意されている。
(4) 疾病,傷害にさいして,そのときどきにおける最高水準の医療サービスを受けることができる
(5) さまざまな希少資源が,以上の目的を達成するためにもっとも効率的,かつ衡平に配分されるような経済的,社会的制度が整備されている。

②ゆたかな社会は,くり返しながら,一言でいってしまえば、各人が,その多様な夢とアスピレーションに相応しい職業につき,それぞれの私的,社会的貢献に相応しい所得を得て,幸福で,安定的な家庭を営み,安らかで文化的水準の高い一生をおくることができるような社会を意味する。それはまた,すべての人々の人間的尊厳と魂の自立が守られ,市民の基本的権利が最大限に確保できるという,本来的な意味でのリベラリズム(注2)の理想が実現される社会である。

③このような意味でゆたかな社会を実現するための経済体制は,どのような特質をもっているか。また,どのようにすれば具現化できるであろうか。この課題に対する回答として,社会的共通資本を中心とした制度主義の考え方によって理想的な経済体制を特徴づけることができるといってもよい。

社会的共通資本の考え方

④社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が,ゆたかな経済生活を営み,すぐれた文化を展開し,人間的に魅力ある社会を持続的,安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。社会的共通資本は,一人一人の人間的尊厳を守り,魂の自立を支え,市民の基本的権利を最大限に維持するために,不可欠な役割を果たすものである。社会的共通資本は,たとえ私有ないしは私的管理が認められているような希少資源から構成されていたとしても,社会全体にとって共通の財産として,社会的な基準にしたがって管理・運営される。社会的共通資本はこのように,純粋な意味における私的な資本ないしは希少資源と対置されるが,その具体的な構成は先験的あるいは,論理的基準にしたがって決められるものではなく,あくまでも,それぞれの国ないし地域の自然的,歴史的,文化的,社会的,経済的,技術的諸要因に依存して,政治的なプロセスを経て決められるものである。

⑤社会的共通資本はいいかえれば,分権的市場経済制度が円滑に機能し,実質的所得分配(注3)が安定的となるような制度的諸条件であるといってもよい。それは,アメリカの生んだ偉大な経済学者ソースティン・ヴェブレンが唱えた制度主義(注4)の考え方を具体的な形に表現したものである。ヴェブレンの制度主義の思想的根拠は,これもまたアメリカの生んだ偉大な哲学者ジョン・デューイのリベラリズムの思想にある。したがって,社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり,また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は,職業的専門家によって,専門的知見にもとづき,職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。社会的共通資本は自然環境,社会的インフラストラクチャー,制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。自然環境は,大気,水,森林,河川,湖沼,海洋,沿岸湿地帯,土壌などである。社会的インフラストラクチャーは,道路,交通機関,上下水道,電力・ガスなど,ふつう社会資本とよばれているものである。なお,社会資本というとき,その土木工学的側面が強調されすぎるので,ここではあえて,社会的インフラストラクチャーということにしたい。制度資本は,教育,医療,金融,司法,行政などの制度をひろい意味での資本と考えようとするものである。

⑥もっとも,この分類は必ずしも,網羅的ではなく,また排他的でもない。社会的共通資本は何かということを,分かりやすく説明したものにすぎない。自然環境,社会的インフラストラクチャーについては説明の必要はないであろうが,制度資本の考え方は,必ずしも一般的ではないと思う。制度資本は,社会的共通資本の機能,役割を考えるとき,重要な意味をもつ。そのなかで。とくに大切なのは教育と医療である。

⑦教育は,一人一人の子どもたちがそれぞれもっている先天的・後天的能力,資質をできるだけ育て,伸ばし,個性ゆたかな一人の人間として成長することを助けようとするものである。他方,医療は,病気や怪我によって、正常な機能を果たすことができなくなった人々に対して医学的な知見にもとづいて,診察・治療をおこなうものである。どちらも,一人一人の市民が,人間的尊厳を保ち,市民的自由を最大限に亨受できるような社会を安定的に維持するために必要不可欠なものである。人間らしい生活を営むために,重要な役割を果たすもので,決して,市場的基準によって支配されてはならないし,また,官僚的基準によって管理されてはならない。

日本の世紀末

(中略)

⑧世界的な視点でみるとき,20世紀の世紀末を象徴する問題は,地球温暖化,生物種の多様性の喪失などに象徴する問題は,地球環境問題である。とくに,地球温暖化は,人類がこれまで直面してきたもっとも深刻な問題であった。21紀を通じていっそう拡大化し,その影響も広範囲にわたり,子どもや孫たちの世代に取り返しのつかない被害を与えることは確実だといってよい。地球温暖化の問題は,大気という人類にとって共通の財産を,産業革命以来,とくに20世紀を通じて,粗末にして,破壊しつづけてきたことによって起こってきたものである。人間が人間として生きてゆくためにもっとも大事な存在である大気をはじめとする自然環境という大切な社会的共通資本を,資本主義の国々では,価格のつかない自由財(注5)として,自由に利用し、広範にわたって汚染しつづけてきた。また,社会主義の国々でも,独裁的な政治権力のもとで徹底的に汚染し,破壊しつづけてきたのである。20世紀の世紀末的状況は,資本主義の国々と社会主義の国々とを問わず,20世紀を通じて,さまざまな社会的共通資本の管理・維持を適切におこなってこなかったことにもっぱら起因するといっても過言ではない。

⑨20世紀の世紀末的状況を超えて,新しい世紀の可能性を探ろうとするとき,社会的共通資本の問題が,もっとも大きな課題として,私たちの前に提示される。

〔出典〕宇沢弘文『社会的共通資本』岩波書店,2000年による。ただし,問題作成のため,原文の一部を改変している。
(注1)熱望,野心的な志望,大望。
(注2)自由主義。個人の権利や自由を基本とし,社会のあらゆる領域における個人の自由な活動を重視する思想的立場。
(注3)生産の成果が社会の各構成長に対してどのように分けられるかを示す経済学上の概念。
(注4)19世紀末から20世紀初めにかけてアメリカで形成された経済学の一学派。
(注5)存在量がきわめて豊富で希少性をもたず,売買の対象とならない財。空気・海水など。

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