「障がいの自己理解を促す教育」大阪教育大学教育学部後期2020年
設問 次の文章を読み,要点をまとめた上で,障がいの自己理解を促す教育について,あなたの考えを述べなさい(600字以上800字以内・横書き)。
① 「自閉症だってほんとうにわかったのは,いつですか」とよく尋ねられる。人生で決定的な瞬間があったかのような,人生が一変してしまう宣告を受けたかのような尋ね方だ。けれども,一九五〇年代初めのころには,自閉症に対する一般の理解はそこまで進んでいなかった。当時の児童精神医学は,私と同様に,まだ誕生して間がなかった。私が五歳だった一九五二年に出たDSM『精神疾患の診断・統計マニュアル』〕の初版は,アメリカ精神医学会が精神疾患の診断の統一をはかろうとした最初の試みだったが,「自閉症」と「自閉的」という言葉はほとんど出ていない。わずかに使われているのは,まったくべつの診断名である統合失調症の症状を説明する箇所だった。たとえば,「統合失調症的反応,子ども」という見出しの下に,「子どもに見られる精神疾患的な反応,おもに自閉症が見られる」と書かれているが、自閉症自体についての説明はどこにもない。
② 母は,私が子どものころにお世話になった医師の一人が,「自閉的傾向」とちらりと口にしたのをおぼえている。けれども,「自閉的」という言葉が自分にあてはめられるのを,私が実際に初めて耳にしたのは,十二歳か十三歳のころだった。「へえ,変わっているのは,みんなじゃなくて私だったんだ」と思った。それでも,そのときでさえ,自閉症の行動がどういうものか,どうして友だちをつくるのが苦手なのか,まだ正確に説明できなかった。
③ その後の人生では,イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で博士号をめざしていた三十代初めになっても,まだ,自閉症が自分の人生におよぼす影響に気づいていなかった。博士課程の必修科目に統計学があり,私の成績は絶望的だった。講義を教室で受けるかわりに個人指導教員から教われないか問い合わせると,許可を得るには「心理教育評価」を受けなければならないと言われた。一九八二年十二月十七日と二十二日に心理学者と面談し,標準テストをいくつか受けた。その点数は,今,あらためて見てみると,「このテストを受けた人は自閉症ですよ」と訴えているのも同然だ。
④ 一秒に一音節の速さで話される単語を聞きわけるテストの成績は,小学二年生のレベルだった。通常の名詞が任意の記号に置き換えられている文章――たとえば旗の記号は「馬」を意味する――を理解するテストも,小学二年生のレベルだった。
⑤ 「まあね,こういうテストがよくできないのは当然」と私は思った。おぼえたばかりの一連の概念を記憶にとどめておかなければならないのだから。旗は「馬」という意味で,三角形は「船」,四角は「教会」。待って――「旗」は何だったっけ。あるいは,三秒前に聞いた音節は「mod」で,二秒前が「er」,一秒前は「a」,今聞こえたのは「tion」。待ってよ――最初の音節は何だった。
⑥ きちんと答えられるかどうかは短期記憶にかかっていた。あとでわかったのだが,自閉症の少なからぬ人と同様に,私の短期記憶はお粗末だ。
⑦ その一方で,同意語と反意語の成績がよかったのは,テストに出てきた単語を頭の中で画像と結びつけることができたからだ。検査官の心理学者が「止まれ」と言ったら,頭の中で停止信号が見えた。「進め」と言ったら,青信号が見える。だけど,見えるのはふつうの停止信号や青信号だけでない。過去の記憶から,特定の停止信号や青信号が見える。たくさん見えるのだ。たとえば,メキシコの税関にあった「止まれ」と「進め」を示す信号は,税関職員が私の荷物を調べないことにしたら赤から青に変わったが,その光景は十年以上前に見ていても,ありありと思い出す。
⑧ それも私には当然のことだった。だれもが画像を思い浮かべて考えていると思っていたからだ。自分は,それがたまたまたいていの人より得意なだけだと思っていた。人生のその時点で,もう何年も建築用の設計図を描いていた。完成した図を見て,「へえ,よくできてる。私が描いたなんて信じられない」と思ったことは何度もある。それでも,「こういう作図ができるのは,敷地を歩きまわって,細部をすべて記憶して,コンピュターみたいに画像を頭の中に保存して,適切な画像を好きなように取り出していたからだ。こんなふうにして図が描けるのは,私が自閉症だからだ」というふうには考えていなかった。「論理的思考のテストの成績が百人中下から六番目で,言語能力のテストは1言語と画像を結びつけていたため,上から六番目だったのは,私が自閉症だからだ」とは思いもしなかった。それは,「自閉症の人」というカテゴリーが,そのころは,まだできはじめたばかりだったからだ。
⑨ 当然ながら,「自閉症」という言葉は一九四三年以来、精神医学の専門用語になっていたから,自閉症をもつ人という概念もそのころからあった。けれども,定義は曖味だったと言わざるをえない。行動が奇妙だと指摘されなければ,私は,自分のしていることを自閉症という観点から考えることはなかった。この点では,私は例外ではなかっただろう。
(テンブル・グランディン,リチャード・パネク著中尾ゆかり訳『自閉症の脳を読み解く どのように考え,感じているのか』NHK出版2014年一部改変)
(2)解答例
自閉症の方本人は自閉症の行動を正確に説明できず、対人関係が苦手な理由もわかず、自閉症が自分の人生に及ぼす影響に気づいていなかった。その後、自閉症の特徴として短期記憶に問題があることを自分で理解するようになった。その一方で設計図の作図能力などの特異な能力が自閉症の特徴であることも自覚していなかった。行動が奇妙だと指摘されなければ自閉症の人は自分のしていることを自閉症によるものと考えることはなかった。
障がいの自己理解を促す教育の要点として以下、2点を提案する。第一に自身の障がいの症状を正しく認識し理解すること。第二に障がい者が他者や社会に与える影響である。
第一の論点については、まず何より特別支援学校教員の障がいに対する正しい理解が前提となる。同じ障がいでも、個人によって症状や程度が異なる。障がいを持つ児童・生徒それぞれの障がいに対する自己認識を深めることが大切になる。教師には医師やカウンセラーとの情報交換や共有が求められる。
第二の論点については、障がいはハンデとなる場合も多くあるが、逆にこれが稀有な能力として社会から評価される可能性があることにも留意したい。参考文にある特異な記憶や作図能力のほか、音楽、美術などの芸術面で高い能力を発揮する方も少なくない。障がい者の支援団体が主催する障がい者の展覧会では、独特の色使いや大胆な構図がひとつの魅力的な作品になっている。特別支援学校教員は、児童・生徒の持つこのような能力を見出してこれを伸ばす教育にも目を向ける。
特に発達障がいについて言えることであるが、障がいをマイナス面だけで捉えるのではなく、当事者の独特の見方や考え方を健常者のそれとは異なるオルタナティヴなものとして捉えることも社会の側に求められている。特別支援学校の教育を通して障がい者の自己理解が他者や社会などの外へとつながり、社会の意識の変化を促す機運になることを目指したい。
(800字)
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