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「『年功制』と『能力給』の是非」慶應義塾大学経済学部2009年

(1)問題


次の課題文を読んで設問A。Bに答えなさい。


[課題文]


 人材の評価や選抜の方式は,社会の根本的な活力を規定する最も重要なファクターである。しかもその人材の育成には時間がかかる。競争のない社会,公正な評価が通らない組織は,長い目で見れば必ず衰退する。だからこそ,いつの時代でも,どの組織でも,優秀な人材の獲得に躍起になり,人材の育成に多大の努力を注ぐともとに,いかに公正な評価のシステムを組み込むのかという点に強い関心を払ってきたのである。

 しかし競争や実力主義が大事だといっても,人材の評価にあたって誰も能カについての「完全な情報」を持ち合わせていないから,事はそう単純にはいかない。人物の力量を即座に知りえないからこそ,あらゆる組織は能力の判別に関する独自の方式を開発してきたのである。「誤りのないように時間をかけて人をよく観察する」ことの必要性もここにある。人が人を評価することがいかに難しいかを知悉していたからこそ,その対応方法にあらゆる組織は知恵を絞ってきたといえよう。

 しかし近年,このような伝統的な知恵を真っ向から否定するような人材がもてはやされるようになってきた。企業内の人事処遇制度のうちで,「新体制」をすすめる言説,あるいはもっと単純に(その意味は不問に付したまま)「能力給」こそが公正な処遇方法だと主張する論が,大向こううならせるようになってきた。しかし「年俸制」や「能力給」は,長期期な視野と観察に基づく慎重な処遇制度と基本的に相容れるものではない。年ごとの評価が直接に年々の報酬にリンクするような年俸制は瞬く間に広まっている。年俸制はプロスポーツ選手の場合のような純粋型ではないが,基本的に一年ごとの短期評価だからだ。

 企業の研究所員たちの中に,この年俸制が不人気であり,営業職あるいはデイーラー,アナリストなどの専門的な職種には割に素直に受け入れられるということも理解できよう。研究員はその成果を長期的に測ってほしいはずだし,後者の営業職等は,その成果がかなり客観的に,測定できるため,年俸制に対する抵抗は少ない。こうした例からもわかるように,「能力」の何かを曖味にしたまま,とにかくできるだけ早くその「能力」なるものを測って序列をつけるという形の競争は,能力の構成要素が複雑であり,その力の測定が難しい仕事ほど不向きなのである。

 日本の長期雇用や「年功制」は非競争的だと思い込んでいる論者が多いが,小池和男氏が早くから指摘し強調しているように,これは大きな誤解である。日本では個別の賃金は,ホワイト・カラーもブルー・カラーも査定によって入職以後わずかずつ差がつきはじめ,年功と勤続年数が増えるにつれて,そのチラバリは大きくなる。つまり次第に差がつきはじめる,ということである。このチラバリの拡大を無視して,平均のみを見て論ずると,「賃金は年とともにじっとしていても上昇する」というとんでもない誤解をしてしまう。賃金が年とともに上昇するということと,企業内での競争が激しいということには何の矛盾もない。

 この点を理解するには,アメリカの法律事務所における弁護十の処遇制度の変化が参考になる。意外なことに六〇年代までは,アメリカのほとんどの法律事務所のパートナーの利潤分配(給与)は,年功ベースで決定されていた。ところが七〇年代に入ると,アメリカ社会の訴訟件数は非常な勢いで増加しその需要に応えるべく多くの法律事務所が他社から有能な弁護士を引き抜きはじめる。この引き抜きへの対抗策として,大規模法律事務所ではパートナーの給与を「年功給」から「能力給」にシフトする動きが出はじめた。

 ところが「能力に応じて」という抽象的な表現にとどまる限り,パートナーたちはこの改革に同意したのであるが,実際に能力や成果の測定が行われはじめると,さまざまなトラブルが生じはじめた。新しい依頼人を得たのは誰か,「お得意様」を保持する努力はどう評価されるのか,若手弁護士(アソンエート)の教育に熱心な人が「冷や飯」を食わされていないか等々。

 その結果,「有能」と評価されようとして,パートナーたちは従来とは異なった行動をとりはじめる。「割りのよいケース」をひとりでたくさん抱え込み,訓練のための時問と金銭が必要で,勝訴の確率が容易に計測できないケースは避けるという傾向である。弁護士たちはリスクを避けるようになったため,事務所の収益も伸び悩みはじめた。さらに,ひとりがたくさん「割りのよいケース」を抱え込むようになった結果その法律事務所全体のサービスの質が劣化し,事務所としての「評判」を含めた長期的利益が損なわれるようになった。

 こうした弊害が次第に明らかになりはじめた八〇年代後半に,新たな処遇制度の模索が始まったひとつは,パフォーマンス・ベース(「成果給」)にシフトしたところが,再び年功制に戻るという動きである。もうひとつは,従来から年功制をとり続けてきた事務所は,年功制に固執しつつも,他社と対抗するために,若いアソシェートの人数を増やし長時間働かせる。そしてパートナーヘの昇進競争を激しくして生産性を上げることによって,パートナーの給与を高くして,他社の「引き抜き」に対抗するという動きである。このような動きがどれほどの割合で起こったのかは確認できないが,表面的な「能力評価義」(一般論としてはきわめて妥当なシステムと思われたが)に対する強い反省が起こつたことは事実である。

 先にも述べたように,「年功制」といっても,厳しい競争と能力評価の措置は査定を通した昇給などを通して,組み込まれている。能力の評価に時問をかけ,短期的な決着を避け,ゆっくりとした競争と選抜ができるが,これまでの「年功制」の長所だった。それは短期的に人間の力量を評価することは難しいという考えに基づいており,こうした長期的な視野のもとで初めて,個人も組織全体も,リスクをとりながら生産性を上げえるのである。自己責任の原則のもとで,リスクをとってはじめて利潤があがるという自由競争の大原則を考えれば,リスクを回避するような短期評価のシステムは,もはや経済活動に生気を与えることはできないのは当然であろう。こうした心理的な萎縮状態が現在の世界経済に広がり出したのではなかろうか。

(猪本武徳著『自由と秩序―競争社会の1つの顔』中央公論新社2001より抜粋)

 [設問]


A.企業にとっての「年功制」の長所と短所について,課題文をもとに200字以内で説明しなさい。


B.中学校教論の給与は「年功制」が主流であるが,これを「能力給」に替えた場合どのようなことが起こると考えられるか。課題文のみにとらわれず,良くなる点と悪くなる点の双方に触れながら,能力給の是非についてあなたの考えを400字以内で書きなさい。

(2)考え方


「年功制」の長所と短所


●長所


・(前提)人物の力量を即座に知りえない。


・人物の力量の評価にあたって「誤りがないように時間をかけて人をよく観察する」ことができる。


・長期的な視野と観察に基づく慎重な処遇を施すことができる。


・成果を長期的に測ってほしい企業の研究員には向いている。


・能力の評価に時間をかけ、短期的な決着を避け、ゆっくりとした競争と選抜ができる。


・長期的な視点のもとで個人も組織全体もリスクをとりながら生産性をあげることができる。


●短所


・労働需要が上昇すると高給を示す他社に有能な社員が引き抜かれる。


(3)解答例


A.

「年功制」の長所は社員の能力の評価と処遇に際して、人物の力量を即座に知りえないからこそ長期的な視野と観察に基づいてゆっくりとした競争により慎重に選抜を行うことで、個人も組織全体もリスクをとりながら生産性をあげることができるという点にある。これは成果を長期的に測ってほしい企業の研究員には向いている。一方、短所は労働需要が上昇すると高給を示す他社に有能な社員が引き抜かれる恐れがあることである。(195字)


B.

 良くなる点は高い評価を得ようと教員間に競争が生まれ、教材作成や授業内容で教員の創意工夫が一層なされることで学校組織が活性化する。評価の基準として生徒のテストの成績といった客観的な数値目標が打ち出されることにより短期的には定期テストの平均点が上昇し、生徒の父兄からも歓迎される。

 一方、悪くなる点は、評価を気にするあまりテストの成績などの数値化できる目標だけに教員が専念して生活指導などが疎かになることや、評価の基準があいまいで複雑な情操教育や道徳的な指導などの教員の能力が測れない点にある。長期的な指導で身につく教養よりも短期で結果の出る暗記中心の詰め込み教育になる可能性もある。

 これらの点を総合して考えると、中学校教員の処遇のすべてを能力給にすると、教員の評価基準を生徒の成績だけを重視する偏った教育となり、子どもの全人的な発達が阻害されるおそれが生じるので問題である。(397字)


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