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「複製技術時代における芸術の意味」日本大学芸術学部映画学科A方式第1期2017年

(1)問題

次の文章を読んで、あなたの考える「本物の魅力」とは何か書きなさい。(800字)

① 柔らかな色彩、17世紀オラングの衣裳に身を包んだ男性を映し出す繊細な光と影。同時代を生きた画家レンブラントの傑作発見か、と見まがうばかり。この新作『ネクスト・レンブラント』を描いたのは、人工知能(AI)だ。

② 先週、アムステルダムで披露されたこの作品の制作には、第一線の人材と技術が投入された。マイクロソフトやオランダのデルフト工科大学、ハーグのマウリツハイス美術館やレンブラントハイス美術館から、データサイエンテイストや技術者、美術史家が集結した。

③ 18ヶ月かけてレンブラントの全346作品の画風をAIが学習。そのデータを基に3Dプリンターで「描いた」油絵は、解像度1億4800万ピクセルと細密だ。

④ プロジェクトテームはレンブラントが得意とした肖像画に注目した。特に全盛期の632~42年の画風から、モデルの年齢、ひげ、頭の向きなどを決定。実在しない男の輪郭を生き生きと描き上げた。

⑤ 「レンブラントのさまざまな絵画から膨大なデータが集まった」と、デルフト工科大学のヨリス・ディク教授は振り返る。「彼らしい絵を実際に描けるのか、魅力的な挑戦だった」

⑥レンブラントの画風を提えるため、AIの顔認識技術を活用した。全作品の光の組成要素と絵の具の原料を基に、ピクセル単位で解析。それを踏まえてAIが創作した「図面」の上に、3DプリンターでUVインクを13層に塗り重ねる――こうして、レンブラントらしい質感と陰影が再現されていった。

⑦ 「人間の魂に触れる作品」と、マイクロソフトのエンジニア、ロン・オーガスタスは絶賛するが、美術界の評価は歓迎一色ではない。「当代きっての識者がこんな愚かな『挑戦』に打ち込み、デジタル礼賛の風潮に流されて、これほど魂のないものを称賛しなければならないなんで」と、英ガーデイアン紙の美術記者ジョナサン・ジョーンズは酷評する。「奇妙な時代に生み出された、恥ずべき作品だ」AIの次なる課題は「魂」の解析と、評論家の歓心を買う学習かもしれない。(Newsweek、20、2016年4月19日)

(2)考え方

 小論文の書き方としては、まず最初に定義から始めて議論する。定義を初めに固めないと、読者の考えとの間にズレが生じ、言いたいことがスムーズに伝わらず、齟齬が生じるおそれがある。

 しかし、芸術については例外だ。

 芸術を定義できない。定義してはいけない。「定義できないものが芸術だ。」と定義するほかない(これでは定義になっていないが)。

 なぜ、定義できないかというと、芸術はどんどん変わっていくものだ。定義した途端にそれをすり抜けて、新しい芸術がどんどん生まれる。

 「芸術作品は後世の時代に残るもの。」と定義したところで、それは後世からの結果論であって、同時代に生きる私たちが現代アートを「この作品は後世に伝えられる価値があるから芸術だ」ということはできない。

 そこで、結局「芸術はひとの魂に触れ、心をゆる動かすもの」といった定義が無難ということになるが、「芸術」というわからないものに対して「魂」や「心」といった、これまた定義するのが厄介なもので説明するわけだから、これがきちんとした定義になっているかは、大変心もとない。

 「芸術」の定義なしで芸術論を述べるのだから、なかなかうまく結論に収まるかは書いてみないとわからない。そして結局は失敗する。

 今回のテーマの「本物」とは、という議論もそうだ。

 ベンヤミンが「複製技術時代の芸術」すでに述べているように、版画や映画などに代表されるように、現代の芸術は本物ー偽物(オリジナル―コピー)の区別があいまいになってきている。いや、区別すること自体がナンセンスとなっている。

 そういうなかで、AIが描いた絵画を[本物/偽物]で評価しようとするのだから、難しい。

 市井の人々は芸術家(レンブラント)が描いたものは「本物」で、AIが描いたものは「偽物」であることは明白だ。こう言うかもしれない。

 しかし、ことはそれほど単純ではない。

 芸術にはパロディやオマージュというものがある。和歌でいうと本歌取りが典型だ。

 こうしたものはすべて芸術作品として価値がない偽物だ、と言い切ってしまっていいのか。

 今回の小論文の課題はこのような問題も含めて、じっくりと考えてみなければならない難しいものだ。

 書き方としては、自分が「本物の芸術」に触れたときの経験を書く。「本物の芸術」を前にしたときの自分の状況や心身の変化などを詳細に書いて、「本物」の持つ魅力に迫る。したがって、表現力・描写力が問われる。本問は「本物」を創り出すアーティストとしての受験生の資質(表現力・描写力)を試す問題である。

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(3)解答例

 

 本物とはオリジナルではない。なぜなら複製技術時代の芸術は映画に代表されるように、オリジナル/コピーの区別を曖昧、無意味にするからだ。また芸術にはパロディやオマージュというジャンルがあるように、原作を借りてきたものをすべて偽物として否定することもできない。さらには「本物の芸術はひとの魂をゆり動かすもの」といった定義も無効である。「魂」といった、これまた定義することが不可能なもので「本物の芸術」を表現してもこれは定義にならない。結局、「本物」は鑑賞者個人の主観的な評価に委ねられる。

 先日、長谷川等伯の「松林図屏風」を鑑賞した。横幅が3ⅿ以上もある巨大なもので、展示室の奥に据えられていた。霧靄に霞んだ松林が墨で描かれている。余白の空間が奥行を感じさせて、鑑賞者をぐいっと画の中に引き込む。霧深い松林に迷い込んだ私は感覚を喪失し迷子になった。ほかの観客もこの松林の世界に引き込まれたようで、みな一様に息を飲んで鑑賞している。鑑賞室に足を踏み入れた途端に場の空気が一変した。「本物の芸術」は現実世界を変える力を持つ。四百年以上前に描かれた作品であるのに、時を超えて21世紀に生きる私たちに働きかける。絵画は現実の模写であり、フィクションであるはずのものである。しかし「本物の芸術」は強いリアリティを持つために、現実のほうがフィクションであるかのような錯覚を起こさせる。「本物」はこのような倒錯をもたらす。

 「本物の芸術」を予め定義することはできない。定義した途端にそれをすり抜けて新しい芸術が生まれてくる。「本物の芸術」は私たちが持っていた既往の価値観を破壊し、美に対する問い直しをする。作品がたとえAIによって描かれたものであろうが、これが現実を変え、私たちに働きかける力を持つのなら、それは事後的に「本物の芸術」ということができる。私たちに求められることは先入観を捨てて、誠実に作品と対峙することだ。

(800字)

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