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【押しが大切】結論は強く書く

(1)「思う」という表現はなるべく使わない

 小論文の答案で「~と思う」という文末表現をときどき見かけます。

 「~と思う」という表現は、小論文での使用はなるべく避けたほうがいいでしょう。(志望理由書などでは許容される場合があります)

 絶対に使うな、というわけではありません。文脈によっては使うときあるでしょう。

 ですが、小論文のとくに結論部分で「~と思う」を使うと、読者から見れば弱い印象を受けます。

 弱い、つまり書き手に自信がないように受けとられてしまうという問題があります。

 大学入試小論文の採点基準では、「きちんと自分の主張がなされているか」という項目があり、「~思う」ではこの条件を満たさずに減点となる可能性があります。

 大学としては原則として厳密かつ客観的に採点していますが、採点者も人間です。

 評価として印象に左右される部分があることは否めません。

 「~と思う」と書くがことで印象を悪くする恐れがある場合は、なるべく使用を控えたほうがいいでしょう。

(2)「思う」のメリット


 小論文ではなく作文(日本大学芸術学部)などでは「思う」を使ってもいいでしょう。

 小論文でも結論部分ではなく、それ以外の段落で時と場合によっては「思う」を使わざるを得ないケースが出てくるかと思います。

 それでは、文末表現で「思う」を使うことのメリットを考えてみます。

①断定や断言を避けるので、筆者の態度が謙虚な印象を与える。

 よくテレビ番組などで司会者が「~と思います」という表現を多用します。

 これは、断定的な言い方は視聴者の反発を買い、悪い印象を与えるので、視聴者に対して配慮するという意味で「~と思います」という謙虚な言葉遣いをしているのです。

 ちなみにこの小論文入門でも同様の配慮から「思う」という表現を使っています。

 巻末につけた「今回のポイント」は大切な要点ですので、より直接的な表現である断定調にしています。

② 筆者の意見があくまでも個人的な感想であるという(弱い)印象を与える。

 小論文では、個人的な特殊な意見ではなく、誰に対してでも了解してもらえるような普遍性を備えていなければ評価の対象になりません。小論文で「~と思う」がタブーなのは、この②が大きな理由となります。

 ただ、文脈上、あえて個人的な意見、あるいは暫定的な感想として書く場合に「思う」を使うケースも出てきます。

 そのあとで、急いでこの感想をより普遍性のある意見(結論)で打ち消すという流れになります。

 この「より普遍性のある意見(結論)」を書くときには「思う」を使ってはいけません。

 たとえば、次の<例文1>のような場合がこれに該当します。

<例文1>
1⃣横綱を推薦する横綱審議委員会では、横綱の資格として過去3場所の成績だけでなく、力士の品格も考慮に入れる。力士に求められる所謂「心技体」とは、技術と体格と心、すなわち精神性であるが、品格がこの精神性を構成する重要な要素となる。品格とは、「その人物の立ち居振る舞い」として表現されるものであるが、それ「自体は目に見えない」。このような抽象的で、数値で測ることができないものを根拠にしているのは、合理性を欠いていて、そこには日本文化の特殊性、言い換えれば封建的な後進性が背景にあるように思う。
2⃣しかし、横綱に不可欠とされる精神性とは相手を敬うスポーツマンシップの日本的な形態の一種であり、横綱の品格もノブレスオブリージュ、つまり身分の高い者はその立場や地位に応じて義務や社会的責任を果たさねばならないという、欧米社会における道徳観にも通ずる概念であるとみなせば、これは必ずしも後進的な島国の特殊性に還元できるものではないことが看取される。

 

 ここでは、第1段落で「思う」という文末表現でいったん自分の感想でまとめて、そのあとの第2段落で「しかし」という逆接の接続詞を用いてすぐに第1段落の感想を否定して、意見につなげています。

 「思う」は、

「弱い結論(思う)」⇒しかし+「強い結論」

というような呼吸のなかで用いられると効果を発揮する言葉になります。

(3)結論は強く書く


 結論部分の文末表現は「~にちがいない」「~しなければならない」「~すべき」「~と確信する」などのように強く締めくくってください。

 段落構成をきっちりと固めて、十分な論証されていれば、きっぱりと断言、断定してかまいません。

 逆に論拠や理由を書かず、自分で論証されていないものを断定、断言することは慎まなければなりません。

 以下に結論部分だけ例文を示します。


(途中の段落の文章は省略してあります)

<例文2>
 医療従事者の役割は、患者のいのちを繋ぎとめることにあるのはもちろんである。この場合のいのちとは、脳や心臓といった物理的なものだけではない。医師や看護師に加えて患者の家族などのつながりもその中に含まれている。言葉は両者を結びつける重要な媒体となる。治療や看護の重要な情報を伝達することだけが言葉の役割と限定的に捉えがちである。しかし、看護の現場にとって見過ごしてはならないのは、患者との円滑な関係を築き、患者のいのちの尊厳を保つことである。こうした医療を実践するために、私たちは言葉の持つ重要性に留意しなければならない。
 常に結論部分で「~にちがいない」「~しなければならない」「~すべき」という表現を使わなければならないということを言いたいのではありません。

 毎回、答案をこのような表現で終わらせると、型にはまりぎこちない文章になってしまいます。

 テーマに応じて、結論部分の文末表現を強い表現を維持しながら柔軟に変える工夫が大切です。

 以下に例文を掲げます。

<例文3>
 グローバリゼーションとは、このように人々の行動様式を画一化し、文化の多様性を損なう弊害を持つ。人々はネットの持つ利便性や効率性に心を奪われるあまり、大切な何かを失いかけている。それには、世界の政治経済の動きからいったん離れ、身近な自然に親しむこと、自分だけの思索や内省の時間を取ることが必要である。休日に携帯電話を家に置き、本だけを持って公園に出かける。木陰のベンチに腰をおろし静かに本を読む。そんな孤独な時間と心のゆとりを取り戻してみることを忘れてはいけない。


<例文4>
 不平等と格差を是正するために、センの考え方をさらに推し進めて、教育や福祉政策をさらに徹底させるべきである。そのための財源は「大きな政府で市場経済でも「なおかつ高い経済成長力を確保している」北欧諸国にならい、間接税によって補う。少子高齢化が進展する先進国にあって、国民的なコンセンサスを得たうえで、良質の教育と福祉を実現させることは私たちに課せられた急務である。


(4)今回のまとめ

①「~と思う」という表現はなるべく避ける。

②結論部分の文末表現は強く締めくくる。

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