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「近代科学における反証可能性の意味」九州大学文学部後期2018年

(1)問題

設問 以下の文章を読み,筆者の考える科学とはどのようなものであるかを要約し,その考え方をあなたが学びたい学問分野にうまく適用できるか否かについて,あなた自身の考えを述べなさい。(1600字以内)

 

①現代的な意味での科学の発端は実験研究の始まりに求めることができます。単に自然を観測する科学研究から,さまざまな外乱因子を排除した理想的に近い人為的な環境を作り出して仮説を検証するのが実験研究です。『近代科学の誕生』を著したハーバート・バターフィールドは,17世紀の近代科学の成立以降を近代と呼ぶべきであると主張し,これを産業革命にならって「科学革命」と呼びました。そしてこの科学革命の特徴は,誰にでも再現可能な実験的手法によって自説の正しさを証明するという方法論にあるとしました。この実験研究にともない,実験手法の整備と標準化が行われるようになりました。ある研究者が用いた実験手法を,ほかの研究者が再現できることが必要だからです。そこでは厳密に定義された科学的手法が要求されます。科学的手法には,ある事物や現象を説明するさまざまな仮説の提示,再現可能な実験や観測,得られた結果についての論理的かつ妥当な解釈が含まれます。そして用いられた実験方法や測定方法が公開され,ほかの研究者の手によって実験結果の再現が検証される必要があります。

②また科学を定義する側面として,反証可能性があります。20紀前半の科学哲学者カール・ポパーによってその概念が提示され,反証可能性の存在が科学であることの証明になると主張されました。反証が不可能な理論は、科学ではないとする考え方です。大事なことは,研究により導き出された結論や考えが誤りであることを証明する手段が担保されていることです。

③宇宙人の存在証明を例にとってみましょう。1人(1匹)でも宇宙人を皆に示すことができれば,宇宙人がいることの証明になります。これに対して宇宙人がいないことを証明することは難しいのです。現時点でまだみつかっていない,という表現を取ることになります。ここでは全字宙を探索して宇宙人がいないことを調べる手段がないために,宇宙人がいるかどうかの議論は厳密な意味では科学の範疇に入らないとの考えも成り立つのです。

④科学研究においてはさらに,検証されるべき仮説の設定が大切になります。実験研究において大切なのは最初の問題設定です。仮説検証型の研究において、その目的をさらに明確なものにするために対立仮説が設定されることがあります。Ⅹという出来事に対して2通りの解釈が可能である。このAという考え方を研究者は主張したいのですが,そのためにはもう1つのBという考えが成立しないことをも証明しなければなりません。ここでこのAという仮説と,Bという対立仮説が相容れないものであることが大事です。対立仮説が成り立つならば,当初の仮説は否定されるわけです。

⑤この科学的仮説の考え方は,日常の場の意見の相違の調整とは全く趣を異にするものです。交渉の場面,国会の審議,あるいは法廷などでは対立する2つの意見をすり合わせるといったことが通常なされます。ここで対立しているのは2つの意見であって,いくら論理的に見える主張が繰り広げられようとも,それは主観に基づいた意見です。また同じ状況を再現することでどちらの意見が正しいかを判定することはできません。仕方がないので現時点での妥協点を探り,これを解とするわけです。科学においては,基本的に妥協点はありません。2つの対立仮説,AとBがあった場合,妥協点を探って両者の中間の仮説を採用する,などということはあり得ません。AとB,それぞれの仮説が正しい可能性が50%ずつだとしても,両者の中間の仮説が正しい可能性は0%なのです。もちろんここでAとBが対立仮説であることが必要条件です。AとBは並び立たない説であるということが,研究開始の問題設定として極めて重要なものとなるのです。

⑥この仮説設定の重要性は,科学研究が発見型の研究から理論型の研究へと変貌を遂げてきたことと関連します。発見型の研究はある事象の存在証明がなされてしまえば,あとはその成果を皆で共有してしまえばよいことになります。一方で理論型の研究では,先に理論がありその理論が正しいならばこれらの事象が観察されるであろうとの予測のもと,仮説検証型が行われます。このような仮説検証に対する批判もあります。科学哲学者ラカトシュ・イムレは,科学者は自身の仮説を守りたがる傾向にあり,得られた実験結果がこの仮説の反証となっているにもかかわらず,当初の仮説を微修正するだけで仮説が正しいものであったかのような主張をすると批判しています。この考えをさらに大きく発展させたのが,パラダイム論です。1962年に『科学革命の構造』を著したトーマス・クーンは,研究者はデータを客観的に判断するのではなく,パラダイム,すなわちその時代の研究者集団によって共有されている特定の見方・考え方に基づいてデータを解釈していると主張しました。研究者集団が特定の考え方に支配されていると,強引なデータの解釈がなされ,さらには支配的な考え方に迎合するような形での研究が盛んに行われます。これは科学の政治的側面を表しているともいえます。科学的方法論は科学的であるといえても,科学そのものは科学的ではなく種の思想ではないのか,との考えも成り立ちます。

⑦パラダイムそのものは個別の研究成果によって反証されるのではなく,別のパラダイムの登場によって「パラダイムシフト」の形で覆されるものであると考えられています。実際,同じデータに対して異なった解釈が可能なことが往々にしてあります。1つの解釈で説明が不可能な事実が積み重なってきたとき,これを説明できる新たなパラダイムが登場する。そしてこの考え方に沿った新たな一連の研究,検証作業が行われます。

⑧クーンはさらに,科学とそれ以外の疑似科学はパラダイムの有無によって区別できると考えました。パラダイムは科学者集団で共有されている理論や方法論から構成されており,これを身につけた者が科学者と呼ばれる存在である。そしてこのパラダイムを維持するために行われる活動を科学と呼ぶのだと主張しました。科学は物事の真理を追求する行いなどではなく,その時代の科学者が正しいと信じている理論をさらに精緻化するものにすぎないとしているのです。科学は絶対的真実であると信じている社会や研究者にとって,この意見は衝撃的です。でも長い歴史的観点から考えてみると,このような科学の定義を否定することはできません。現在正しいと信じられている科学研究成果に基づく理論も,将来的には否定される可能性があります。そしてこの可能性を決して否定しないことが,科学の科学たるゆえんなのです。科学は教養ではありません。

⑨近代科学の計測手法の進歩とともにその検証法も発展してきました。先端技術の開発が進んでいるとはいえ,たとえある研究グループが最先端の技術を用いていたとしても,世界のどこかで別の研究施設が同じ研究を行うことが可能です。世界に一つしかない装置,たとえば大型ハドロン衝突型加速器を用いた研究ではデータや解析プログラムの共有化が行われます。遺伝子改変マウスや,実験用細胞,ウイルスなども世界中でやり取りが行われています。

⑩このような世界的規模の情報や物のやり取りは,科学研究成果を共有することでさらなる発展を可能にしました。また同時に他の研究者による研究成果の検証をも可能にしました。この科学のグローバル化は科学的方法論の標準化と最適化を加速することとなりました。

⑪現代科学は,客観的に計測され,再現性が示され,論理的に考察された知識の集合体と定義されます。科学的方法論に基づいて得られた知識を「科学」と定義するわけですから,この方法論のルールにのっとっている限り,得られた知識はおしなべて「科学」と称するに足るものといえるのです。さらにいうならば,科学的研究で得られた成果や知識は単なる結果であって科学を規定するものではないということになります。したがって科学を語るにあたっては結果としての科学ではなく,結果を得るためのプロセスとしての科学について考えてゆく必要があります。

坂井克之「科学の現場―研究者はそこで何をしているのか』(河出書房新社,2015年より)

 

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(2)解答例 

 

 近代科学の定義は再現可能性と反証可能性がある。このため仮説設定の重要性となった。

 その時代の研究者集団によって共有されている特定の見方・考え方であるパラダイムに基づいて科学者はデータを解釈する。パラダイムは個別の研究成果ではなく別のパラダイムの登場によって「パラダイムシフト」の形で覆さる。したがって科学研究成果に基づく理論も将来的には否定される可能性がある。したがって科学を語るにあたっては結果としての科学ではなく結果を得るためのプロセスとしての科学について考えてゆく必要がある。

 科学の一分野である医学も近代科学の方法論の下に発展してきた。その過程で、パラダイム転換が幾度か為された。たとえば黄熱病の原因として当初は細菌由来説が唱えられた。こうした仮説を提起したうえで原因菌の探索が野口英世を中心として進められたが、ついに発見することはできなかった。黄熱病の原因はウイルスであることがその後判明するが、ウイルスの大きさは細菌よりもはるかに小さく、当時の光学顕微鏡で見ることはできなかった。のちに電子顕微鏡が開発されることによっては、黄熱病の原因がフラビウイルス属のウイルスによって引き起こされることが判明した。ウイルスは基本的に宿主を持たないと増殖できず、自身での複製能力を持たないため、ウイルスは生物ではない。従来の感染症医療のみならず生物学のパラダイムを大きく転換した。こうした発見は新しい技術の進化に伴って必然的に起こるものである。

 2020年に発生した新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を迎えた。現在も感染者が増大するなかの、速やかなワクチンの開発が待たれる。新薬の発売に先だって治験や臨床試験が実施される。開発に際しては薬の有効性を確認するために治癒効果の再現性と反証可能性が試される。こうした演繹的な方法を用いた実験は有効性と合わせて慎重に薬の安全性を期すために長い時間をかけなければならない。ところが、ワクチンを待っていてはいま深刻な状態にある患者の救命はできない。とりあえず、治療効果が報告された既存の薬物で緊急避難的に患者の治療にあたることも臨床医としては重要な選択肢になる。このような薬物治療では、薬剤の機序については十分な解明が為されていないケースも多いと聞く。

 以上論じてきたように、これから医学の道に歩むことを決意する私は以下の2つのことを心掛ける所存である。第一に、ウイルスの発見に端を発した感染症の病理学の転換のような事態が将来起こるかもしれない。このようなパラダイムシフトにすぐに対応できるような心構えを持つこと。第二に、プロセスに偏重するのではなく、結果から出発する発想も臨床医にはときとして必要であること。これはつまり、参考文の筆者が主張するように、医学の基礎研究ではプロセスを重視する一方で、臨床医学では、緊急時に際して治癒結果から出発する帰納法的な治療を試みることを排除しないということ。この2つの態度や視点の共通点は、特定の方法に固執するのではなく、さまざまな方法を臨機応変に使い分けるという柔軟な発想が患者の命を救う機会を増やすことにつながる。変化が急で従来のやり方では対応できない予測不能な時代の医療に従事する臨床医を目指す者として、私は基礎医学を修了したあとで現場に立っても、生涯学習を続けながらも、新しい医療機器の導入や技術の習得に努めてゆきたい。そうして必要に応じて既存の知をアップデートできるような準備を怠らないように、今後とも修練を積んでゆきたい。(1470字)

 



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