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【法学部はリーガルマインドから考える】小論文の書き方・考え方⑥

(1)「リーガルマインド」を育てることは大学法学部の意義


前回は、キーワードからその学部における学びの核心に迫るという勉強法を紹介しました。


そして、「ウェルビーイング」という言葉からスポーツ科学を理解するうえで重要なスポーツの意義について考えるという、本質的な話をしました。


今回は法学部小論文について、同様のアプローチから合格答案作成に際しての本質を考えようと思います。


法学部のホームページを読むと、どこの大学にも「リーガルマインド」という言葉が出てきます。


たとえば、国士舘大学のホームページを下に引用します。


法学部では、ビジネスや社会生活で有用な法律知識だけでなく、人間の日々の営みのすべてに関わる法律を学ぶことができます。それを通じて、法的な思考力と問題解決力(リーガルマインド)を身につけた社会人を養成したいと考えています。

大学法学部の教育方針として、この「リーガルマインド」を涵養(かんよう=養い育てること)するということが歌われているようです。


この「リーガルマインド」の意味を調べると、デジタル大辞泉 では「法律の実際の適用に必要とされる、柔軟、的確な判断。」とあります。


国士舘大学ホームページでは「リーガルマインド」を「法的な思考力と問題解決力」と訳していますが、多くの大学でも「問題解決能力」として「リーガルマインド」を考えているようです。

今度は中央大学法学部のホームページを引きます。

地球規模の法化社会を読み解くグローバルなリーガルマインドを養成高度にグローバル化した現代において求められるのは、「法化社会」を読み解くための法律的・政治的な専門知識と、地球市民として必要とされる批判的・創造的な考え方ができる能力です。地球的な視野に立った法的問題意識と法的問題解決能力、つまり「グローバルなリーガルマインド」を養成します。


そのほか、いろいろな文献を調べてみても、「リーガルマインド」の定義については共通した見解は見られないようです。

(2)「リーガルマインド」とは何かを徹底的に考える


それでも、多くの大学法学部が考えているように、「リーガルマインド」を「法的問題意識と法的問題解決能力」と捉えてみると、小論文初心者は次のように思うのではないでしょうか。


「リーガルマインド」とは、「裁判沙汰などのトラブルが起こったときに、法律の知識を使って相手に勝つ能力」である、というように。


もちろん、これも「リーガルマインド」のひとつであることは疑いません。


しかし、意味としてはあまりにも狭く、固定的であるように思います。


また、この「リーガルマインド」とは、最近言われている「コンプライアンス」(法令遵守ーほうれいじゅんしゅ)と捉えるむきもありますが、これもその本質とは微妙に異なります。


「コンプライアンス」は企業統治の一環として、企業価値を高め、不祥事を未然に防止し、リスクを低減させるために必要な措置で、主に経営学と関連付けて考えられるのが一般的です。


このような理由により「リーガルマインド」をこの「コンプライアンス」と関連付けて「遵法精神(順法精神)」と訳すことはできないと考えます。


「遵法精神」とは「法に則り、法を侵すことをしない、という心構え」(『実用日本語辞典』)という意味になります。

「法律であれば必ず守らなければならない」というのは、当然のようですが、こうした無批判的に「国の決まり」を守ることだけが「リーガルマインド」ではありません。


「リーガルマインド」の意味するところの要点は、中央大学の定義の前半「法的問題意識」にあると考えます。


私の考える「リーガルマインド」とは、以下の問題群と深く関係します。


①「法」とは何か?


②「法」と「道徳」との違い


③「法の支配」と「法治主義」との違い


④なぜ「法」は必要か? 私たちはなぜ「法」に従わなければならないのか?


⑤「法」と社会との関係


⑥「法」は歴史的にどのようにして生まれたか?


⑦問題解決の手段として「法」以外に何があるか? 「法」以外の解決手段と「法」を比較したときの優劣や優先順位。もし「法」以外の解決手段が「法」に勝るとき、最終的な解決手段として「法」が持ち出されるときの根拠や条件は何か?


⑧いま新しい「法」が必要であるとしたら、それはどのような「法」か?



(3)「リーガルマインド」は法律だけに頼らない柔軟な考え方


上記の①~⑧を少し解説しておくと、①~③は高校の政治経済や公共の授業で習う内容になります。


⑦について、具体例を出すと以下のようなケースがこれに当たります。


普通、裁判では判決を出して勝敗を争うというイメージを私たちは持ちます。


これは主に刑事裁判の場合に当てはまります。


民事訴訟では、むしろ判決まで持ち込むケースはまれで、和解で終わることが多いのです。


和解とは、原告・被告の当事者同士が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることです。


裁判では、判決が出て問題が解決するというイメージを私たちは持ちます。


しかし、判決が出ると民事の場合には相手の非を認めさせて、勝訴した原告側が賠償金を受け取るなどの損害を回復することができますが、勝敗がくっきりと分かれて、敗訴した側にしこりが残る場合が多くあります。


喩えは悪いですが、裁判は喧嘩にあたります。


喧嘩の場合、時には凶器を使って相手を暴行することがありますが、裁判の場合の武器は法律になります。


原告被告の弁護士双方が法律という武器を使って相手をぶちのめすまで殴り合うことが民事裁判の本質です。


勝訴すれば気持ちが晴れますが、敗訴した側は公正な裁判所が下した結論であっても収まりはつかず、精神的なダメージをひきずることになります。


判決後には勝訴側と敗訴側両者の関係は修復不可能なところにまでいってしまうことはよくあることです。


つまり、判決は勝者と敗者を分断することになるのです。


これで本当の解決といえるでしょうか?


さらに裁判は時間とお金がかかり、判決までの長い時間のなかで、敗訴側はもちろん勝訴側も両者疲弊してしまうのが実情です。


腕のいい弁護士は勝訴を勝ち取るのではなく、相手とうまく和解に持ち込むと言われます。


民事の場合には、両者の言い分が拮抗する場合も少なからずあり、一方的にどちらかが悪いとは一概に言えないケースもあります。


そこで、両者の言い分を聞いて、汲むべきところは汲んで、絶対に譲れないところは残すなどの衡量をくわえて、うまく落としどころを見つけて、紛争当事者同士を仲直りさせることが現実的に有効な解決方法になるのです。


もちろん、こうした交渉の過程で弁護士は法律を根拠として用いますが、法律の合理だけでは、冷たく切り刻んで相手にダメージを与えることにもなるので、義理人情を交えながら、相手の感情を損なわずにうまく宥め、最終的に矛を収めさせることも弁護士の技量になります。


優秀な弁護士ほど、法律一辺倒にとらわれない、話術を含む交渉力や人を見抜く洞察力に長けているのです。

それを強引に法律だけで解決しようとすると、人間関係に大きな亀裂を生むことになります。


法律のよい面だけを見るのではなく、使い方によっては相手を傷つける危険な凶器ともなる、と私は考えます。

私が考える「リーガルマインド」には、このような背景のなかで現われる、案件ごとの法律との距離の測りかたに見られる「マインド」や「スピリッツ」も十分含まれます。


表題に掲げた「『リーガルマインド』は法律だけに頼らない柔軟な考え方」は私が自分の頭で考えた結果たどり着いた独自の定義であり、おそらく大学法学部の専門家からすると少数派ではないかと思います。


それでもいいのです。


小論文的な思考とは、学校や塾・予備校の教師・講師が与えた「正解」を受動的に覚え込むものではありません。


ある問題について、自分の頭で徹底的に考え抜き、そうしたプロセスを経て自分独自の何かを発見することにあります。


オリジナリティというのは、こうした対象との格闘の結果、手に入れることができるものです。


みなさんも私と一緒に「リーガルマインド」について考え、他の受験生にはとうてい書けないオリジナリティ溢れた答案を書いてみませんか?


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